離職率は「隠すべき数字」ではない
人的資本経営への関心が世界的に高まる中、自社の戦略を語る上で重要な指標として「離職率」を開示する企業が増えています。その一方で、「離職率が高いのでできれば開示したくない」「業界平均より悪い数字を出すと、投資家の評価が下がるのではないか」という不安の声も耳にします。
確かに、離職率は企業の健全性を測る分かりやすい指標です。しかし、現代の資本市場において投資家が最も嫌気するのは、ネガティブな数字そのものではなく、「情報の非開示(不透明性)」と「課題に対する経営陣の無策」です。都合の悪い情報を隠そうとする姿勢は、ガバナンス欠如という最大のリスク要因と見なされます。
また、これは対外的な開示に限った話ではありません。取締役会などの社内レポーティングにおいても、離職率の実態を隠さず、その要因と対策を経営陣が正しく把握していなければ、適切な経営判断を下すことは不可能です。
たとえ離職率が高くとも、その要因を精緻に分析し、経営戦略との関連性や今後の改善策を論理的に説明できれば、それは「リスク」ではなく、変革への意志を示す「機会」へと転換できます。本コラムでは、ステークホルダーの信頼を勝ち取るための離職率の戦略的活用について解説します。
数字に「ナラティブ(物語)」を持たせる
単純な数値比較からの脱却
投資家や経営陣が見ているのは、離職率という「点」の数字だけではありません。その数字がどのような背景で生じ、中長期的な企業価値向上ストーリーの中でどのような意味を持つのかという「ナラティブ(物語)」を見ています。したがって、単に「離職率〇%」と記載するだけでは不十分であり、時には誤解を招きます。
重要なのは、離職率の内訳と理由を、経営戦略と紐づけて語ることです。例えば、DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するために事業ポートフォリオを大胆に入れ替えている局面であれば、既存事業における離職率の上昇は「構造改革に伴う不可避な代謝」である可能性があります。
- 良くない開示例
「当社の離職率は15%です。(理由の記載なし)」 - 良い開示例
「全社の離職率は15%ですが、これは構造改革中の既存事業部における希望退職実施による一時的な影響が含まれています。一方で、今後の成長ドライバーとなるデジタル事業部における離職率は3%に留まっており、コア人材の定着は順調に推移しています。」
このように、セグメント別(事業部別、職種別、年代別など)のデータを示し、戦略的な意図を補足することで、ステークホルダーの納得感は格段に高まります。
「リスク」と「機会」のバランス
また、離職率が低いことが必ずしもポジティブであるとは限りません。極端に低い離職率は、「雇用の硬直化」や「イノベーションの停滞」を示唆する場合があるからです。投資家に対しては、「当社にとっての適正な離職率は〇%程度と考えており、現在はその水準に向けて〇〇な施策を打っている」というように、自社なりの管理指標(ものさし)を持っていることを示すことが重要です。
コトラが支援する人的資本開示の現場では、単なる実績値の羅列ではなく、この「現状分析(As is)」と「あるべき姿(To be)」、そしてそのギャップを埋めるための「打ち手」を一貫性のあるストーリーとして構築することを重視しています。
投資家が真に求める「解像度の高い開示」
「質」を語るための分解
投資家は、将来のキャッシュフローを生み出す人的資本の「質」に関心を寄せています。そのため、離職率についても、全体平均のような粗い数字ではなく、より解像度の高い情報を求めています。これは社内における組織課題の特定においても同様です。
具体的には、以下のような切り口での分析・開示が有効です。
- 離職理由の明確化
「自己都合」「会社都合」「定年退職」の区分だけでなく、自己都合の中身を分析します。特に「キャリアアップ」や「起業」などポジティブな理由による卒業なのか、「職場環境への不満」といったネガティブな理由による流出なのかを把握し、説明できる状態にしておく必要があります。 - 重要ポストの離職率
投資家が懸念するのは、事業遂行の要となるリーダー層の流出です。仮に若手層の流動性が高くても、「部長職以上の離職率は過去3年間1%未満で推移しており、経営幹部のサクセッション(後継者計画)は安定している」といったデータがあれば、事業継続性への懸念を払拭できます。
PDCAサイクルの可視化
社外への開示や社内報告は、年に一度のイベントではありません。投資家や経営陣は、以前報告された課題に対して、どのような対策が打たれ、その結果数値がどう変化したか(改善されたか)という「進捗」を厳しくチェックします。
したがって、企業内部においては、離職率を精緻にモニタリングし、PDCAサイクルを回す仕組みが不可欠です。
「昨年、若手層の離職率が高いという課題を認識しました。それに対し、メンター制度の導入と報酬制度の改定を行った結果、今年度の同層の離職率は〇ポイント改善しました」 のように、課題・施策・結果のサイクルが回っていることを実証データとともに示すことが重要です。
信頼という資産を築くために
離職率の開示を恐れる必要はありません。むしろ、自社の課題を正直に認め、その解決に向けて真摯に取り組む姿勢を示すことは、投資家のみならず、従業員や求職者に対してもポジティブなメッセージとなります。「この会社は課題に対して誠実であり、人を大切にする経営を行っている」という信頼ブランドは、結果として優秀な人材を惹きつけ、離職率の改善という好循環を生み出します。
人的資本開示や社内レポーティングは、企業が自らの姿を鏡に映し、より良い組織へと進化するための強力なドライバーです。離職率という数字を、経営改善の武器として活用してみてはいかがでしょうか。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。人的資本開示の高度化や、人的資本レポートの作成など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




