「スキルベース型人事制度」導入の落とし穴とは? 失敗しないための3つの実践的視点

スキルベース型人事制度:なぜ現場で機能しない懸念があるのか?

「新しい人事制度を導入すれば、社員のモチベーションも上がり、業績も向上するはずだ」
「先進的なスキルベース型人事制度を取り入れ、人的資本経営を加速させたい」

意欲的な経営者・人事責任者の方ほど、このような大きな期待を胸に制度改革に着手されます。しかし、その意欲とは裏腹に、慎重な設計と導入プロセスを経なければ、新しい制度が現場でうまく機能せず、形骸化してしまうという懸念があります。

「評価基準が曖昧で、結局は上司のさじ加減になってしまうのではないか」
「スキルアップが給与にどう反映されるのか不透明で、誰も本気で取り組まないかもしれない」
「運用に手間がかかりすぎて、人事も現場も疲弊してしまう結果にならないだろうか」

このような事態を避けるため、本コラムではスキルベース型人事制度の導入を検討する上で、特に注意すべき「落とし穴」を事前に想定し、それを回避するための実践的な視点について深く考察していきます。

スキルベース型人事制度については以下のコラムで解説していますので、ご参照ください。

制度設計で留意すべき3つの重要な視点

スキルベース型人事制度の導入を成功に導くためには、どのような点に留意すべきでしょうか。これまでの人事制度改革の歴史や、グローバルな潮流などを参考にすると、制度設計の段階で特に陥りやすい「3つの注意点」を挙げることができます。これらを事前に理解し、対策を講じることが極めて重要になると考えられます。

注意点1:スキルの「定義」が曖昧で、共通言語にならない

まず懸念されるのが、スキルの定義の曖昧さです。

その背景には、従来の日本企業で主流であったメンバーシップ型雇用の考え方があります。「コミュニケーション能力」や「リーダーシップ」といった言葉は便利ですが、その定義は人によって千差万別です。各人の解釈に委ねられるこれらの言葉は、個人の総合的な貢献度をふんわりと評価するには都合が良かったかもしれませんが、専門性が重視される現在のビジネス環境では機能しづらくなっています。

特に、近年のデジタル化の広がりやAIの進化は、仕事で求められる技術や知識を急速に変化させています。例えば、生成AIを業務で活用するスキル一つとっても、どのレベルの利用を求めるのかを明確にしなければ、評価のしようがありません。

スキルの可視化とは、単に名称をリストアップすることではなく、各スキルがどのような業務上のタスクや行動に結びつくのか、その習熟度レベルを客観的に記述することです。この定義が曖昧なまま制度を進めると、評価の際に「結局は印象評価ではないか」という不満が生まれ、制度そのものへの信頼が損なわれる最大の理由となります。

注意点2:スキル評価と「処遇」の連動が不公平・不透明になる

次に、定義したスキルをどのように評価し、報酬や等級といった処遇に結びつけるか、という設計上の課題が考えられます。

欧米で一般的なジョブ型雇用では、職務(ジョブ)の責任や難易度に基づいて報酬が決まるため、処遇の根拠が比較的明確です。一方で、スキルベース型人事制度では、従業員自身が持つスキルに対して処遇が決まるため、その評価の公平性と透明性が生命線となります。

評価プロセスに客観性や公平性が欠けていたり、リスキリングによってスキルを向上させても処遇にほとんど反映されなかったりする仕組みでは、従業員の学習意欲を喚起することは難しいでしょう。

また、処遇は金銭的報酬に限りません。より挑戦的で魅力的な仕事への配置や、キャリアアップの機会といった非金銭的報酬との関連も重要なポイントです。パフォーマンス(業績)評価とスキル評価をどのように切り分け、あるいは連動させるのか、という論点も避けては通れません。この設計を曖昧にしたままでは、制度が「絵に描いた餅」と認識されてしまいます。

注意点3:経営戦略と「制度」の目的が一致していない

もう一つ、根本的な注意点として挙げられるのが、制度導入の目的化です。スキルベース型人事制度の導入自体が目的化してしまい、「自社はなぜこの制度を導入するのか」「この制度を通じて、どのような組織を目指すのか」という根本的な問いが共有されないまま進んでしまうケースと言えるでしょう。

これは、最新のHR テクノロジーやシステムを導入する際にしばしば見られる現象と似ています。 会社の経営戦略、例えば「デジタル領域でのイノベーション創出」や「グローバル市場での競争力強化」といった目標と、それを実現するために必要な人材像やスキルセットが連動していなければ、人事制度は経営のエンジンにはなり得ません。

人材不足が叫ばれる時代だからこそ、限られたリソースをどの領域に集中させるべきか、戦略的な判断が求められます。その判断に基づいて人事制度を設計・運営しなければ、制度は組織変革の駆動力にはならず、ただの管理業務の変更に終わってしまいます。

私たちコトラでは、これらの課題の根底には、より本質的なテーマがあると考えています。それは「自社の存在意義や価値観との接続」です。単に流行りのフレームワークを導入するのではなく、自社の理念やカルチャーを反映した独自の「スキル言語」を定義し、全社で共有するプロセスこそが、スキルベース型人事制度を形骸化させないために不可欠なのです。

想定される課題を乗り越え、実効性を高める3つのアプローチ

では、これらの注意点を踏まえ、実効性のあるスキルベース型人事制度を構築・運用するためには、どのようなアプローチが有効なのでしょうか。ここでは3つのアプローチについて、その具体的な進め方を解説します。

アプローチ1:スモールスタートで「成功体験」を積む

全社一斉の導入は、予期せぬ問題解決に多大な時間とコストを要するなど、リスクが高い選択肢です。まずは一部の組織に限定したパイロット導入(試験導入)から始め、課題を洗い出しながら改善を進めるのが賢明でしょう。

  • パイロット部署の選び方
    部署選定は重要なポイントです。「変革への意欲が高い」「導入成果が比較的測定しやすい(専門職チームなど)」「経営層の支援が得やすい」といった基準で、協力的な部署を選ぶことが成功の鍵となります。
  • 検証すべき項目の設定
    パイロット導入は単なる「お試し」ではありません。「制度の受容性(従業員の納得度は高いか)」「運用の実現性(評価にかかる工数は現実的か)」「効果の兆し(スキル習得意欲に変化は見られるか)」「HR システムとの連携はスムーズか」「評価に必要なデータは収集可能か」など、事前に検証すべき要件を明確にしておくことが重要です。
    アンケートやヒアリングを通じて定量・定性の両面から情報を収集し、その後の改善に活用します。この小さな成功体験は、社内へのPRイベントとしても機能し、全社展開への機運を高めるメリットがあります。

アプローチ2:現場を巻き込み、「自分たちの制度」という意識を醸成する

人事部門だけで作り上げた制度は、現場から「押し付けられたもの」と見なされ、抵抗感を生む原因となります。設計段階から現場を巻き込み、制度を「自分ごと化」してもらうプロセスが不可欠です。具体的な取り組みとしては、以下のようなものが挙げられます。

  • スキル定義ワークショップ
    各部門から代表メンバーを集め、現場で本当に必要とされているスキルを洗い出してもらうことで、実用性の高いスキルリストを作成します。ファシリテーターの役割は、議論を促進し、抽象的な意見を具体的な行動レベルに落とし込む手助けをすることです。
  • 意見交換会の開催
    制度のドラフト(たたき台)を早い段階で現場に開示し、率直な意見や懸念点を吸い上げる場を設けます。ここで得られる情報は、制度をより現実的なものにする上で非常に有益です。
  • 透明性の確保
    イントラネットなどでプロジェクトの進捗や議論の内容を定期的に発信し、「何がどう決まっていくのか」を全社に見える形にすることも、信頼醸成に繋がります。従業員は、自分の働き方やキャリアがどう変わるのか、強い関心を持っています。

アプローチ3:「評価者」のトレーニングと継続的なコミュニケーションを徹底する

制度の成否は、最終的に評価を行う管理職の運用スキルに大きく依存します。どんなに優れた制度も、運用者次第で良くも悪くもなることを忘れてはなりません。管理職、すなわちマネジメント層の役割は、部下を管理することから、その成長を支援し、パフォーマンスを最大化することへと変更していく必要があります。

そのためにも、評価者向けのトレーニングを徹底し、評価のブレをなくす努力が求められます。また、1on1ミーティングなどを通じて、なぜその評価になったのか、今後どのようなスキルを期待するのかを丁寧にフィードバックするため、継続的なコミュニケーションの場を設けることが従業員の信頼とモチベーションを維持する鍵となります。

評価者トレーニングは、以下の3点をセットで行うことが有効です。

  1. 制度理解
    なぜこの制度が必要なのか、その背景と目的を深く理解する。
  2. 評価基準の目線合わせ
    具体的な評価事例をもとに評価者同士で議論し、評価のブレをなくします。このプロセスは、評価の公平性を担保し、健全な組織風土の醸成にも貢献します。
  3. フィードバックスキル
    評価結果を部下の成長に繋げるための面談の進め方(ティーチングとコーチングの使い分けなど)をロールプレイングで学ぶ。

また、制度がスタートした前も後も、管理職が抱える疑問や悩みに答えるための相談窓口を人事に設置したり、定期的に運用状況に関する情報交換会を開いたりするなど、継続的なサポート体制を整えることが、制度を形骸化させないために重要です。柔軟な運営が求められます。

スキルベース型人事制度が拓く、組織と個人の新たなパートナーシップ

スキルベース型人事制度の導入は、単に仕組みを変更することではありません。それは、組織の在り方や従業員との向き合い方を根本から見直し、会社全体の考え方を変革する一大プロジェクトです。

導入の過程で直面するであろう数々の壁や課題は、避けて通れないものです。しかし、その壁を乗り越えようと、経営と現場が対話を重ね、試行錯誤するプロセス自体が、組織のコミュニケーションを活性化させ、変革に向けた企業文化を醸成する貴重な機会となり得ます。

挑戦の先には、従業員一人ひとりが自身の成長を実感し、自律的にキャリアを切り拓いていける、強くしなやかな組織の姿があるはずです。スキルベース型人事制度の導入が、貴社の未来を創るための確かな糧となることを願っています。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。制度導入の失敗リスクを最小限に抑え、実効性を高めるための具体的な進め方についてご相談をご希望の場合は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。
X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西裕也
リサーチャー兼コンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。
DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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