期待していた社員が、次々と会社を去っていく
「最近、将来を期待していた中堅社員や若手の退職が続いている…」 企業の経営者や人事担当者の皆様と対話をする中で、このような切実なご相談をいただく機会が少なくありません。特に、将来を嘱望されていたはずの優秀な人材ほど、この傾向が顕著ではないでしょうか。
業績は決して悪くなく、むしろ安定しているにもかかわらず、なぜか組織の活気が失われ、中核を担うべき人材が静かに去っていく。この現象の根底には、多くの場合、「エンゲージメントの低下」という共通の課題が潜んでいると考えられます。
本コラムでは、多くの企業が直面するこの深刻な課題について、エンゲージメントという切り口から深掘りし、その本質的な解決策を探ります。
【事例】成長の踊り場で見えた、中堅化学メーカーA社の課題
当社のご支援実績をもとに、ある中堅の化学メーカーA社のケースを例に考えてみましょう。A社は、特定の分野で高い技術力を誇り、安定した経営基盤を築いていました。しかし、ここ数年、将来のエース候補と目されていた若手・中堅技術者の離職が相次ぎ、経営陣は強い危機感を抱いていました。
退職者へのヒアリングでは、「新しい分野に挑戦したい」「家庭の事情」といった、当たり障りのない理由が語られるばかりで、本質的な原因を掴めずにいました。しかし、現場の管理職からは、「最近、部下の目の輝きが失われている気がする」「日々の業務に追われ、新しい挑戦ができていない」といった声が漏れ聞こえていました。
一見すると、個人のキャリア観の変化や、より良い待遇を求めた転職のように思えます。しかし、私たちコトラが組織サーベイなどを通じて深層を分析したところ、問題の本質は別の場所にあることが明らかになりました。
一言で言えば、それは『優秀な人材だからこそ起こる、構造的なエンゲージメントの低下』でした。
「成長期待」と企業環境のミスマッチ
退職していく彼らは、市場価値の高い専門スキルを持ち、成長意欲も人一倍強い層でした。しかし、A社の安定した事業環境は、裏を返せば、挑戦的なプロジェクトが少なく、意思決定のスピードも遅いという側面を持っていたのです。
私たちが組織サーベイで明らかにしたのは、彼らのエンゲージメント低下の根源が、まさにこの「成長機会の不足」と「貢献実感の得にくさ」にあることでした。彼らは自らのスキルが陳腐化していくことへの焦りを募らせ、「この会社では自分のポテンシャルを最大限に発揮できない」と会社の将来像に自身を重ね合わせることができなくなっていたのです。
その結果、エンゲージメントの低下がシグナルとなり、豊富なキャリアの選択肢の中から次のステージを選び取るという、合理的な判断を下すに至った、というのが私たちの見解です。
エンゲージメント向上の鍵は「貢献実感」と「成長期待」の接続
では、どうすれば社員のエンゲージメントを高め、組織全体の活力を取り戻すことができるのでしょうか。多くの企業が、コミュニケーション施策の強化や福利厚生の充実といった点に注目しがちですが、それらは対症療法に過ぎないケースも少なくありません。
私たちが重視するのは、より本質的な二つの要素、すなわち「貢献実感」と「成長期待」です。
- 貢献実感
自分の仕事が、チームや組織、ひいては社会に対してどのような価値をもたらしているのかを明確に認識できている状態。 - 成長期待
この組織で働き続けることで、自分自身が専門的にも人間的にも成長できると信じられている状態。
ここで重要なのは、なぜこれらの要素が特に優秀な人材の離職に直結するのか、という点です。優秀な人材ほど、自身の市場価値を客観的に把握しており、常に成長機会を求めています。彼らにとって、「成長期待」が持てない組織に留まることは、キャリアにおける機会損失に他なりません。
また、彼らは高い当事者意識を持ち、自らの仕事で大きな「貢献」をしたいと強く願っています。その意欲が、組織の構造や文化によって阻害されると感じた時、彼らはより活躍できる環境を求めて、躊躇なく次のステージへと向かう傾向があるのです。
つまり、優秀な人材の退職とは、組織のエンゲージメント課題を最も敏感に察知し、自らのキャリア選択をもって行動で示す「先行指標」と言えるのかもしれません。
まずは「対話の質」を変えることから始める
「仕組みの構築は重要だが、時間もかかる。すぐに始められることはないのか?」という声が聞こえてきそうです。そこで、読者の皆様が具体的な一歩を踏み出せるよう、実践的なアクションを一つ提案します。それは、「1on1ミーティングにおける対話の質的転換」です。
多くの企業で1on1は導入されていますが、その内容が業務の進捗確認や目標管理に終始していないでしょうか。エンゲージメント向上のためには、1on1ミーティングを「管理」の場から「支援」の場へ、そして「キャリア対話」の場へと進化させることが重要です。
ここでは、そのための具体的な3つのステップを解説します。
ステップ1:深掘り-個人のWill(意志)を共感的に理解する
まず、対話の出発点は、部下一人ひとりが持つ内面的な「Will(どうありたいか、何をしたいか)」を深く理解することです。これは、単に「将来のキャリアは?」と聞くことではありません。彼らの価値観や興味の源泉を探る、共感的な対話が求められます。
【対話のポイントと質問例】
管理職の役割は評価者ではなく、傾聴者です。「良い/悪い」の判断をせず、安全な場で本音を引き出すことに集中します。
- 現在の業務から深掘りする質問
- 「今やっている仕事の中で、最も時間やエネルギーを忘れるくらい没頭できるのはどんな作業ですか?」
- 「この半年で、一番『成長できた』と感じたのはどんな経験でしたか?それはなぜだと思いますか?」
- 未来の視点から深掘りする質問
- 「3年後を見据えた時、今の自分に『こんなスキルや経験が加わっていたら最高だ』と思えるものは何ですか?」
- 「会社の事業の中で、今は直接担当していないけれど、個人的に関心を持っている分野はありますか?」
ステップ2:接続-会社のVision(方向性)と戦略的に結びつける
部下の「Will」が見えてきたら、次に行うのが会社のビジョンや事業戦略との「接続」です。このステップこそ、管理職が単なる「良い上司」から「事業を動かすマネージャー」へと飛躍するための鍵となります。
【対話のポイント】
管理職は、会社の言葉を「翻訳」し、部下のWillが会社の成功にどう貢献できるのかを具体的に示すストーリーテラーの役割を担います。
例えば、部下が「データ分析のスキルをもっと磨きたい」というWillを示したとします。このときのトーク例としては、次のようなものが考えられます。
- 接続のトーク例
「データ分析ですか、面白いですね。〇〇さんがそういう分野に関心があるとは知りませんでした。実は、来期から新しいプロジェクトを動かそうと思っていて、まさに顧客データの分析が鍵になるんです。この分析の部分、ぜひ〇〇さんに中心となって進めてもらえたら、すごく心強いなと思っています。少し挑戦的な役割かもしれませんが、私も全力でサポートするので、ぜひ前向きに検討してもらえませんか?」
このように、個人の成長意欲を、組織が向かうべき方向へと戦略的に導くことで、「やらされ仕事」は「自己実現の舞台」へと変わります。
ステップ3:提示-次のGrowth(成長機会)を共に描き出す
対話の最後は、具体的なアクションプランに落とし込むことです。ここで重要なのは、「成長機会」の選択肢を広く持つことです。昇進や昇格だけが成長ではありません。
【成長機会の多様な選択肢】
人材開発の分野では、ビジネスパーソンの学びの7割が実際の「経験」、2割が上司や先輩からの「薫陶」、残りの1割が「研修」からもたらされるという「70:20:10の法則」が知られています。この法則を参考に、以下の3つの観点から機会を提示します。
- 経験(70%)
少し挑戦的な役割の付与、新規プロジェクトへのアサイン、部門横断会議へのチーム代表としての参加など、実際の業務経験から学ぶ機会。 - 薫陶(20%)
他部署のシニアエキスパートとのメンタリング機会の設定、ロールモデルとなる社員とのランチミーティング、関連する外部セミナーへの参加推薦など、他者との関わりから学ぶ機会。 - 教育(10%)
特定のスキルを習得するための研修コースの受講支援、資格取得のサポートなど、体系的な学習の機会。
これらの選択肢を踏まえ、一方的に「与える」のではなく、本人と「共に選び、描き出す」というスタンスが、部下の主体性を引き出し、エンゲージメントを確固たるものにします。
エンゲージメントは企業の未来を創る先行指標
優秀な人材の離職は、単なる労働力やノウハウの喪失に留まりません。それは、組織が未来の成長に必要な「挑戦」や「変革」の機会を提供できていないという、最も分かりやすい危険信号です。
この課題の根本にあるエンゲージメントの向上に取り組むことは、目先の離職防止策というだけでなく、変化の激しい時代を勝ち抜くための、持続的な成長基盤を構築することに他なりません。社員一人ひとりが自らの仕事に誇りを持ち、成長を実感しながら輝ける組織こそが、未来を創造していくことができるのです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社のエンゲージメント向上と人材定着の課題解決をサポートします。1on1の質的転換や、それを支える管理職研修の設計など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。