「いつでも、どこでも働ける」その裏で、失われつつあるもの
新型コロナウイルス感染症の拡大を機に、多くの企業でリモートワークが普及し、現在ではオフィスワークと組み合わせた「ハイブリッドワーク」を導入する企業が一般的になりました。この柔軟な働き方は、通勤時間の削減やワークライフバランスの向上といった多くのメリットをもたらす一方で、これまでにはなかった新たな組織課題を生み出しています。その一つが、「心理的安全性」の低下という静かなる危機です。
「オフィスに出社しているメンバーだけで話が進んでしまい、リモートの自分は疎外感を覚える」
「チャットでの短いやり取りだけでは、相手の真意が分からず不安になる」
「新しく入社したメンバーの顔と名前が一致せず、チームに馴染めているのか分からない」
このような声に、心当たりはないでしょうか。本コラムでは、ハイブリッドワークという新しい働き方がもたらす心理的安全性の課題に焦点を当て、その具体的な高め方について、経営者や人事、管理職の皆様と共に考えていきます。
偶発的なコミュニケーションの消失と「見えない壁」
オフィスで毎日顔を合わせていれば、私たちは意識せずとも膨大な量の非言語コミュニケーションを行っていました。廊下ですれ違った時の挨拶、同僚の些細な表情の変化、ランチタイムの雑談。このような偶発的でインフォーマルなコミュニケーションが、実は相互理解を深め、信頼関係を醸成し、結果として心理的安全性を支える重要な土台となっていたのです。
ハイブリッドワーク環境下では、この「偶発性」が失われ、コミュニケーションはチャットやウェブ会議といった「目的志向」のものが中心となります。これにより、以下のような問題が生じやすくなります。
- 情報格差と疎外感
オフィスでの立ち話や、会議後の雑談で重要な情報が共有され、リモート勤務者だけがその流れから取り残される「情報格差」が発生します。これが続くと、「自分は重要なメンバーだと思われていないのではないか」という疎外感に繋がります。 - コンテキストの欠如
テキストベースのコミュニケーションでは、背景やニュアンス(コンテキスト)が伝わりにくく、意図しない誤解を生みやすくなります。ちょっとした質問や相談のハードルも上がり、「こんなことを聞いたら迷惑かもしれない」という心理的なバリアが生まれます。 - チームの一体感の希薄化
物理的に離れていることで、チームへの帰属意識が薄れやすくなります。特に、プロジェクトの初期段階や新しいメンバーが加わった際の一体感の醸成は、より困難になります。
これらの問題は、放置すれば徐々にチーム内の信頼関係を蝕み、心理的安全性を著しく低下させます。心理的安全性の高め方を考える上で、この「見えない壁」の存在を認識することが第一歩となります。
ダイバーシティ&インクルージョンとしての心理的安全性
ハイブリッドワークにおける心理的安全性の確保は、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の観点からも極めて重要です。勤務場所(オフィスかリモートか)によって、情報アクセスや評価、キャリア機会に差が生じる状態は、「近接性バイアス(プロキシミティ・バイアス)」と呼ばれ、インクルージョンを阻害する大きな要因となり得ます。
育児や介護といった事情でリモートワークを選択せざるを得ない従業員が、不利益を被るようなことがあってはなりません。誰もが働き場所に関わらず公正に評価され、活躍できる環境の構築は必須です。心理的安全性の高いハイブリッドワーク環境を構築することは、多様な人材がその能力を最大限に発揮できる、真にインクルーシブな組織を実現するための試金石と言えるでしょう。
ハイブリッド環境で心理的安全性を守るための5つのルール
物理的な距離を乗り越え、チームの一体感と心理的安全性を高めるためには、意図的な仕組み作りが不可欠です。ここでは、具体的な5つのルールを提案します。
コミュニケーションの「非対称性」をなくす
オフィスとリモートの情報格差をなくすためのルールを明確に定めます。
- 「ハイブリッド会議」の最適化
会議室に集まるメンバーも、必ず一人一台のPCから会議システムに接続します。これにより、全員が同じ画面を共有し、チャット機能なども平等に使えるようになり、リモート参加者が「蚊帳の外」になるのを防ぎます。 - オープンな情報共有の徹底
業務に関するやり取りは、個人間のダイレクトメッセージではなく、原則としてチームのパブリックなチャンネルで行うことをルール化します。これにより、議論の経緯が全員に見えるようになります。
「雑談」の機会を意図的に創出する
失われた偶発的なコミュニケーションを、計画的に補います。
- バーチャル・コーヒーブレイク
毎日決まった時間に数分間、ウェブ会議システムを繋ぎっぱなしにして、自由に参加・退出できる雑談の場を設けます。 - 会議の冒頭に簡単なアイスブレイクを行う
本題に入る前に、数分間のアイスブレイクの時間を設けます。例えば、「最近あった嬉しかったこと」や「週末の過ごし方」といった簡単なテーマで、一人ひと言ずつ話すだけでも、場の空気が和み、チームの一体感を高める効果が期待できます。
テキストコミュニケーションの作法を共有する
誤解を生みやすいテキストコミュニケーションの、チーム内での共通認識を作ります。
- 感情を補う工夫
ポジティブな感情を伝える際には、意識的に絵文字やスタンプを活用するなど、テキストだけでは伝わりにくい感情表現を補う工夫を推奨します。 - 「感謝」と「称賛」の可視化
日々の業務の中での感謝や称賛を、オープンなチャンネルで積極的に伝え合う文化を作ります。例えば、社内SNSやチャットツールに称賛を送り合う機能を取り入れたり、物理的なサンクスカードを活用したりするのも有効です。
定期的なオフラインでの交流機会を持つ
物理的に顔を合わせる機会の価値は、ハイブリッドワーク環境下でむしろ高まっています。
- チームビルディングを目的とした出社日
単に「集まる」のではなく、「この日はチームの未来についてブレストする」「新製品のプロトタイプを皆で触る」など、対面ならではの目的を明確にしたオフラインイベントを企画します。
オンボーディングを再設計する
新しいメンバーがスムーズにチームに溶け込めるよう、特別な配慮が必要です。
- バディ制度の導入
直属の上司とは別に、年齢の近い先輩社員などが「バディ」となり、業務以外の細かな質問や相談に乗ることで、新人の心理的な孤立を防ぎます。 - 関係性構築のための1on1
入社直後は、チームの主要メンバー全員と、業務の話だけでなく自己紹介を中心とした1on1の機会を設けます。
意図的な設計が、ハイブリッドワークの成否を分ける
ハイブリッドワークは、もはや一過性のトレンドではなく、標準的な働き方となりつつあります。そのメリットを最大限に享受し、生産性と従業員のウェルビーイングを両立させるためには、物理的な距離によって損なわれがちな心理的安全性を、いかに意図的に構築・維持していくかが鍵となります。
「見えないからこそ、意識する」「離れているからこそ、繋がろうと努力する」。この姿勢こそが、ハイブリッドワーク環境における心理的安全性の高め方の本質です。
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