JPX日経インデックス人的資本100が日本企業に問いかけるもの
2025年7月22日、日本の資本市場において画期的な株価指数「JPX日経インデックス人的資本100」の算出が開始されました。
株式会社JPX総研と株式会社日本経済新聞社が共同で算出するこの指数は、単なる新しい投資指標ではありません。企業の「人への投資」を資本市場がどう評価するのかを可視化し、日本企業の経営のあり方そのものに変革を促す、まさに「ゲームチェンジャー」となり得る存在です。
本コラムでは、この指数の仕組みや選定基準を解説するとともに、企業にとっての重要性や、これから取るべき具体的なアクションについて、解説します。
JPX日経インデックス人的資本100の基本概要
まず、この指数の基本的な仕組みを理解しましょう。
- 目的:人的資本に関する開示や取組みを充実させている企業の株価動向を表す指数として利用されること。
- 構成銘柄数:原則として100銘柄。
- 母集団:JPX日経インデックス400の構成銘柄の中から選定。
- 定期入替:構成銘柄の見直しは、年に1回、8月に行われる。
2段階で評価される選定基準
JPX日経インデックス人的資本100の核心は、「人的資本経営への取り組み」と、それがもたらす「企業価値向上への成果」を2段階で評価する、そのユニークな選定方法にあると言えます。
人的資本への「取り組み」を評価(ベーススコア)
最初に、企業の人的資本経営に関する基礎的な取り組みが評価されます。ここでは、国際的なESG評価機関であるESG Book社が提供する人的資本スコア(ESG Performance Score Core – Dimension Human Capital Score)が用いられます 。
このスコアは、企業が開示する情報に基づき、「労働慣行」「健康と安全」「従業員エンゲージメント」「ダイバーシティ」といった網羅的な観点から、企業の取り組みの質を0から100までの数値で評価するものです 。
具体的な「成果」を評価(加点スコア)
次に、ベーススコアに対して、企業価値向上との関連性が高い3つの「成果」指標について、基準を満たした企業にそれぞれ加点が行われます。
- 女性管理職比率:30%以上で加点。
- 従業員給与の成長率:JPX日経インデックス400の構成銘柄の上位10%で加点。
- 従業員一人当たり営業利益の成長率:JPX日経インデックス400の構成銘柄の上位10%で加点。
最終的に、ステップ1の「人的資本スコア」とステップ2の「加点スコア」を合計した「総合人的資本スコア」を算出し、そのスコアが高い順に上位100銘柄が構成銘柄として選定されます。
指数の算出開始時点(2025年7月22日)の構成銘柄は以下の通りです。
ニッスイ、ショーボンドホールディングス、INPEX、石油資源開発、大林組、鹿島、住友林業、大和ハウス工業、積水ハウス、森永乳業、ヤクルト本社、明治ホールディングス、SBSホールディングス、アサヒグループホールディングス、アスクル、双日、味の素、ニチレイ、日清食品ホールディングス、日本たばこ産業、ヒューリック、野村不動産ホールディングス、東急不動産ホールディングス、東レ、王子ホールディングス、日産化学、信越化学工業、エア・ウォーター、三菱瓦斯化学、三井化学、ダイセル、住友ベークライト、積水化学工業、花王、オリエンタルランド、富士フイルムホールディングス、資生堂、出光興産、ENEOSホールディングス、横浜ゴム、AGC、日本製鉄、JFEホールディングス、三井金属鉱業、住友金属鉱山、DOWAホールディングス、三浦工業、ディスコ、ナブテスコ、コマツ、クボタ、荏原、ダイキン工業、ダイフク、日立製作所、富士電機、オムロン、富士通、セイコーエプソン、パナソニックホールディングス、ソニーグループ、シスメックス、ファナック、太陽誘電、村田製作所、日東電工、三菱重工業、トヨタ自動車、三菱自動車、アイシン、マツダ、本田技研工業、SUBARU、ヤマハ発動機、良品計画、オリンパス、伊藤忠商事、丸紅、豊田通商、三井物産、住友商事、三菱商事、ゴールドウイン、ユニ・チャーム、芙蓉総合リース、オリックス、野村ホールディングス、SOMPOホールディングス、MS&ADインシュアランスグループホールディングス、東京海上ホールディングス、三井不動産、三菱地所、ヤマトホールディングス、日本郵船、商船三井、川崎汽船、KDDI、関西電力、NTTデータグループ、ファーストリテイリング |
もう一つの特徴:評価が高いほど影響力が増す「順位係数」
JPX日経インデックス人的資本100は、単に銘柄を選定するだけではありません。指数内での各銘柄の影響力(ウェイト)を決定する際、一般的な時価総額だけでなく、総合人的資本スコアの順位を反映させる「順位係数」という仕組みを導入しています 。
このインセンティブ設計により、人的資本経営の評価が特に高い企業(上位25社)は、その影響力が2倍になります。企業がより質の高い人的資本経営を目指すことを強く後押しする、巧みな仕組みと言えるでしょう。
企業価値を高める3つの好循環
指数に選定されることはゴールではなく、企業価値を持続的に高めるための「好循環」を生み出すきっかけとなります。具体的には、以下の3つの側面でポジティブな効果が期待できます。
資本市場における対話の創出
JPX日経インデックス人的資本100への選定は、財務情報だけでは伝えきれなかった「企業の質」を、資本市場に対して雄弁に語る新たな対話の手段となります。ESG投資を重視する国内外の機関投資家にとって、構成銘柄は魅力的な投資対象です。これにより、企業理念や人材戦略に共感する長期安定的な株主層の形成が促され、企業価値の向上に繋がります。
無形の競争優位性としての「信頼」の獲得
この指数に名を連ねることは、「人を大切にする優良企業」であることの客観的な証明となります。これは、顧客や取引先といったステークホルダーからの「信頼」という、金銭では測れない無形の資産を構築します。特に、激化する人材獲得競争において、求職者に対して自社の魅力を伝える強力なメッセージとなり、採用活動における競争優位性を確立する一助となるでしょう。
全社的な変革を促す経営の「羅針盤」
「指数への選定」という明確な外部目標は、これまで人事部門の課題と捉えられがちだった「人への投資」を、全社で取り組むべき経営戦略上の重要課題へと昇華させます。経営層にとっては、人材育成や働き方改革への投資判断を下す際の強力な論拠となり、従業員にとっては、自らの成長や働きがいが企業全体の評価に直結することを実感する機会となります。結果として、組織全体のエンゲージメント向上と、持続的な変革への機運醸成が期待できます。
企業が取り組むべきアクションプラン
では、指数採用を目指し、人的資本経営を高度化するためには、具体的にどのようなアクションを取るべきでしょうか。ここでは7つのステップに分けて解説します。
ステップ1:現状の客観的な把握(ギャップ分析)
何よりもまず、自社の現在地を正確に知ることから始めます。ESG Book社の評価項目や、指数の加点項目(女性管理職比率、給与成長率、生産性成長率)と自社の現状を照らし合わせ、客観的なデータでギャップを洗い出しましょう。 特に、「女性管理職比率30%」や「成長率上位40位」といった明確な基準に対し、自社がどの位置にいるのかを数値で把握することが重要です 。
ステップ2:人的資本データの「見える化」と一元管理
人的資本経営はデータなくして語れません。人事システム、経理システム、従業員サーベイの結果など、社内に散在する人的資本関連のデータを一元的に集約し、経営陣や人事担当者がいつでもアクセスできる「ダッシュボード」のような仕組みを構築することが不可欠です。これにより、データに基づいた迅速な意思決定(データドリブン経営)への道が拓けます。
ステップ3:KGI/KPIの設定と具体的なロードマップ策定
現状把握とデータの可視化ができたら、次に取り組むのは具体的な目標設定です。「女性管理職比率30%達成」のような明確な目標(KGI)を掲げ、それを達成するための具体的な行動計画(ロードマップ)と、進捗を測る重要業績評価指標(KPI)を策定します。
- ダイバーシティ推進
女性管理職の登用計画だけでなく、採用段階での母集団形成、育児・介護との両立支援策、管理職層へのアンコンシャスバイアス研修などを組み合わせ、多角的にアプローチします。次世代の経営幹部候補を育成するサクセッションプランに、多様な人材を意図的に組み込むことも有効です。
- 生産性と連動した報酬制度
賃上げをコストではなく、未来への投資と位置づけます。そのためには、賃上げの原資を生み出すためのDX投資や業務改革をセットで実行し、従業員一人ひとりの生産性向上と企業の利益成長を連動させる仕組みを構築することが肝心です。
ステップ4:価値創造ストーリーとしての戦略的情報開示
データをただ開示するだけでは不十分です。投資家が最も知りたいのは、「なぜその施策を行うのか」「その投資がどう企業価値に繋がるのか」という一貫したストーリーです。「経営戦略 → 人材戦略 → 具体的施策(KPI) → 財務・非財務インパクト」という因果関係を明確にし、統合報告書やIR説明会などの場で、説得力をもって語ることが求められます。
ステップ5:第三者認証・保証による信頼性の向上
開示する人的資本データの信頼性を高めるために、監査法人や専門機関といった第三者による「認証」や「保証」を受けることは非常に有効です。これにより、開示情報の客観性が担保され、ESG評価機関などからのスコア向上に繋がる可能性が高まります。
ステップ6:経営トップによる強力なコミットメント
全ての施策を強力に推進するには、経営トップの強い意志とリーダーシップが不可欠です。社内外に人的資本経営への中長期的な方針を明確に表明するとともに、役員報酬の評価項目(KPI)にエンゲージメントスコアやダイバーシティ目標の達成度を連動させるなど、本気度を行動で示すことが重要です。これにより、従業員も「自らの成長や働きがいが企業価値に直結する」と実感でき、組織全体が一体となって変革に取り組むことができます。
ステップ7:PDCAサイクルによる継続的な改善
人的資本経営は、一度施策を導入して終わりではありません。重要なのは、PDCAのサイクルを回し続けることです。
設定したKPI(エンゲージメントスコア、離職率、研修効果など)を定期的に測定し(Check)、その結果を分析して次の計画や施策の改善に繋げる(Act)。この地道なサイクルを回し続けることが、施策の形骸化を防ぎ、経営戦略と連動した実効性のある取り組みへと昇華させます。この継続的な改善プロセスこそが、企業が本気で人的資本に向き合っていることの何よりの証明となります。
部分最適の罠を越えるために
JPX日経インデックス人的資本100の登場は、人的資本経営を次のステージへと引き上げる大きな推進力です。しかし、この変化の潮流において企業が陥りがちなのが、加点項目など、目先のスコアアップに直結する施策にのみ注力してしまう「部分最適の罠」です。
このような罠を避け、一貫性のある本質的な経営改革を進める上で、極めて有効な羅針盤となるのが、人的資本報告に関する国際ガイドライン「ISO30414」です。
ISO30414は、「コンプライアンスと倫理」「ダイバーシティ」「リーダーシップ」など11の領域にわたる網羅的な指標を定めており、JPX日経インデックス人的資本100のベーススコアが求める多角的な視点と高い親和性を持ちます。このフレームワークに沿って自社の人的資本を体系的に可視化・分析するプロセスは、以下の点で計り知れない価値をもたらします。
- 経営の全体最適化:場当たり的な施策の寄せ集めではなく、自社の経営戦略に基づいた、バランスの取れた人的資本投資を可能にします。
- データ基盤の構築:ガイドラインに沿ってデータを収集・管理する過程で、信頼性の高い人的資本データベースが構築され、データドリブンな経営と質の高い開示の礎となります。
- グローバルな信頼性の獲得:ISOという国際標準に準拠した情報開示は、国内外の投資家に対する強力な説得力を持ち、企業の透明性と信頼性を飛躍的に高めます。
JPX日経インデックス人的資本100は、あくまで自社の取り組みを測る一つの「ものさし」に過ぎません。その評価を高めるための本質的なアプローチとは、ISO30414のような国際的なフレームワークを活用し、自社の人的資本経営を体系的に構築・可視化していくこと。それこそが、これからの時代における持続的な企業価値創造に不可欠と言えるでしょう。
貴社の人的資本経営を、次のステージへ
「JPX日経インデックス人的資本100への対応を、本質的な企業価値向上に繋げたい」
「何から着手すべきか、体系的な戦略を描ききれない」
「ISO30414の認証取得も視野に入れているが、具体的な進め方が分からない」
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