研修のROIをデータで語る:人材育成の効果を最大化する戦略

「この研修、投資対効果は出ているのか?」に、どう答えますか?

「今回の研修に投じるコストは、最終的にどのような事業貢献に繋がるのか?」

経営会議の席上で、このような鋭い問いを投げかけられた経験のある人事・経営企画担当者の方もいらっしゃるのではないでしょうか。人的資本経営への注目が高まる中、これまで「聖域」とされがちだった人材開発投資、特に研修について、その効果を客観的なデータで説明する責任は、かつてなく増大しています。

研修の「意味」を、熱意や理念だけでなく、「投資」という経営の共通言語で語ること。これは、コストセンターと見なされがちな人事部門が、企業の価値創造を牽引する戦略的パートナーへと進化するために避けては通れない道です。

本コラムでは、研修の投資対効果(ROI)をいかに捉え、測定し、最大化していくべきか、その具体的な考え方と実践的なアプローチについて深く掘り下げていきます。

なぜ研修の「投資対効果」は測定が難しいのか

研修の効果測定が困難とされる最大の理由は、その成果が短期的な財務指標に直接結びつきにくい点にあります。例えば、営業研修を実施したからといって、翌月の売上が即座に向上するとは限りません。そこには、市場環境や製品力、個人の資質など、様々な変動要因が介在するからです。

人材育成の分野で広く知られる評価モデルに「カークパトリックの4段階評価モデル」があります。

  • レベル1:反応(Reaction): 研修に対する満足度を測る。
  • レベル2:学習(Learning): 知識やスキルの習熟度を測る。
  • レベル3:行動(Behavior): 職場での行動変容を測る。
  • レベル4:結果(Result): 業績への貢献度を測る。

多くの企業では、レベル1(満足度アンケート)やレベル2(理解度テスト)で評価が止まっており、最も重要なレベル3(行動変容)やレベル4(業績貢献)まで踏み込めていないのが実情ではないでしょうか。このことが、「研修の意味」を投資の観点から語る上での大きな障壁となっているのです。

エンゲージメントや離職率を介した中長期的価値への貢献

ここで重要になるのが、研修の効果を短期的な業績という「点」で捉えるのではなく、組織全体の健全性や成長持続性といった「線」や「面」で捉える視点です。私たちコトラは、研修の投資対効果を、より広範な組織レベルの指標、特に「従業員エンゲージメント」や「離職率」といった人的資本に関する重要指標と結びつけて評価することの重要性を強調したいと思います。

例えば、社員が自身の成長を実感できるような質の高い研修機会が提供されている企業では、従業員のエンゲージメントが高まる傾向があります。エンゲージメントの高い社員は、自発的に業務改善に取り組んだり、顧客満足度の向上に貢献したりすることが多くの調査で示されています。これは、中長期的に見れば、生産性の向上やイノベーションの創出といった形で、間違いなく企業業績にプラスの影響を与えるでしょう。

また、魅力的な研修制度は、優秀な人材の獲得(採用競争力の向上)や定着(離職率の低下)にも大きく寄与します。採用コストや、離職に伴う機会損失の削減効果を考えれば、これもまた研修がもたらす重要な経済的価値といえるでしょう。

研修ROIの測定が難しいという課題に対し、さらに中長期的な要素を入れることは、一見、問題をより複雑にするように思えるかもしれません。しかし、測定可能なKPIとしてエンゲージメントや離職率を意図的に設定し、その経済的価値を算出するロジックを構築することで、これまで曖昧だった研修の「意味」を、説得力のある「投資対効果」として語ることが可能になるのです。

研修ROIを可視化する、データドリブン・アプローチ

では、エンゲージメントや離職率への影響を含め、研修の投資対効果を具体的にどのように測定すればよいのでしょうか。ここでは、そのためのデータに基づいた3つのステップを解説します。

ステップ1:比較分析のための「コントロール群」の設定

研修の効果を科学的に測定する上で最も重要なのは、「研修以外の要因」による影響を可能な限り排除することです。そのために、「コントロール群(比較対象群)」を設定するアプローチが有効です。

例えば、特定の事業部の管理職全員を対象にリーダーシップ研修を実施する場合、その事業部を「研修群」とします。そして、事業内容、人員構成、過去の業績などが類似している他の事業部を、研修を実施しない「コントロール群」として設定します。これにより、研修の実施前後で両グループの数値を比較することで、研修がもたらした純粋な効果(差分)を抽出することが可能になります。

ステップ2:エンゲージメント・離職率の定点観測と効果測定

次に、研修実施前からコントロール群との比較を開始し、研修後も3ヶ月、半年、1年といった単位で、以下の指標を定点観測します。

  • エンゲージメントスコア
    組織サーベイを用いて、「研修群」と「コントロール群」の管理職自身のスコア、および彼らが率いるチームメンバーのスコアの変化を比較します。特に、「上司のマネジメント」「成長の機会」「仕事への誇り」といった項目に有意な差が見られるかを分析します。
  • 離職率
    「研修群」の管理職が率いるチームと、「コントロール群」の管理職が率いるチームの離職率(特に、自発的離職率)を比較します。マネジメント品質の向上が、部下の定着にどれだけ貢献したかを測ります。

例えば、「1年後、コントロール群のチーム離職率が5%だったのに対し、研修群のチーム離職率は2%に留まった」というデータが得られれば、その差分である3%が研修による効果であると合理的に推測できます。

ステップ3:測定効果の金額換算とROIの算出

最後に、ステップ2で測定した効果を具体的な金額に換算し、投資額と比較してROIを算出します。

  • 離職率低下によるコスト削減効果の算出
    仮に、社員1名の離職に伴うコスト(採用費、教育費、離職によって生じた機会損失など)は、年を1人あたり500万円、対象チームの人数を100名とします。このとき、離職率3%の改善は「100名 × 3% × 500万円 = 1,500万円」のコスト削減効果に相当すると試算できます。
  • エンゲージメント向上による生産性向上効果の試算
    エンゲージメントと生産性の関係は、直接的な金額換算が難しい領域です。しかし、「エンゲージメントスコアが5ポイント向上したチームでは、一人当たりの売上高が平均3%向上した」といった相関関係をデータで示すことができれば、これも研修の経済的価値として有力な根拠となります。

これらのリターン(効果額)を合算し、研修に投じた費用(講師料、会場費、参加者の人件費など)で割ることで、客観的な根拠に基づいた研修ROIを算出することが可能になります。

「研修の意味」をデータで語り、未来への投資を加速する

研修の「意味」を問われたとき、それを情緒的にではなく、客観的なデータに基づいた投資の言葉で語ること。これこそが、これからの人的資本経営を担うリーダーに求められる重要な資質です。

ご紹介したアプローチは、決して容易なものではありません。しかし、データに基づいて研修の効果を可視化し、その投資対効果を追求するプロセスは、自社の人材育成をより戦略的で効果的なものへと進化させるための羅針盤となります。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。人的資本開示の高度化や、エンゲージメントサーベイを通じた研修効果の可視化など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西 裕也
リサーチャー兼コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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