人的資本開示、他社との「差」をどう生み出しますか?
有価証券報告書における人的資本情報の開示が義務化されてから数年が経過し、ほとんどの企業が複数回の開示を経験しました。当初は横並びだった開示内容も、2025年現在、その質において明確な「二極化」が進んでいる、と私たちは分析しています。
一方は、義務化された項目を最低限記載するだけの「形式的な開示」。もう一方は、自社の経営戦略と人材戦略の連動性を具体的なデータで裏付け、企業価値向上へのストーリーを雄弁に語る「戦略的な開示」。
投資家やステークホルダーの目はますます肥えてきており、両者の評価には大きな差がつき始めています。もはや「開示していること」自体が評価されるのではなく、「何を開示し、何を語るか」によって、企業の未来への期待値が大きく左右される時代に突入したのです。貴社の人的資本開示は、その他大勢の中に埋もれてしまってはいないでしょうか。
本コラムでは、この「開示の質の競争」を勝ち抜くため、中核的なインフラとなるタレントマネジメントシステムによって、いかに「攻めの情報開示」を実現するかを論じます。
本質的なアプローチ:「とりあえずの開示」から「価値創造ストーリーの証明」へ
開示の義務化から数年が経過した今なお、多くの企業が抱える課題は、開示情報が経営戦略から切り離され、単なる数字の羅列に終始してしまっている点です。これでは、投資家との建設的な対話は望めません。
課題の本質:ストーリーなきデータの羅列
例えば、ただ「研修投資額:〇〇円」「女性管理職比率:〇%」と開示するだけでは、それが高いのか低いのか、効果的な投資なのか、投資家には判断できません。他社との単純比較は、必ずしも意味を持ちません。
重要なのは、その投資の「文脈」です。
- どのような経営戦略に基づいて、その研修が行われているのか?(例:DX戦略を推進するための、全社的なリスキリング投資)
- 投資の結果、どのような成果が得られたのか?(例:デジタル人材のスキル保有率が〇%向上し、新規事業開発に繋がった)
このように、自社の経営戦略と人材戦略を結びつけ、その有効性をデータで裏付けて語る「ストーリー」があって初めて、開示情報は意味を持ちます。ストーリーなきデータの羅列は、かえって「この会社は人的資本経営を深く考えていないのではないか」というネガティブな印象を与えかねません。
ISO30414を「自社戦略の翻訳機」として活用する
では、どのようなストーリーを、どのようなデータで語ればよいのでしょうか。その羅針盤となるのが、人的資本に関する情報開示の国際的なガイドラインである「ISO30414」です。
ISO30414は、コンプライアンス、コスト、ダイバーシティ、リーダーシップ、組織文化など11の領域にわたる58の測定基準を提示しています。しかし、これを単なるチェックリストとして使うべきではありません。私たちコトラは、ISO30414を「自社の経営戦略を、投資家に伝わる言葉(データ)に翻訳するためのフレームワーク」として活用することを推奨しています。
まず、自社の中期経営計画や価値創造プロセスにおいて、人材がどのような役割を果たしているのかを明確にします。例えば、「イノベーションによる持続的成長」を掲げているのであれば、ISO30414の中から「生産性」「リーダーシップ」「スキルと能力」といった領域が特に重要であると特定できます。
次に、その領域に関連する指標(例:従業員一人当たり売上高、カテゴリー別の研修受講率、など)をタレントマネジメントシステムによって継続的に測定・分析します。こうすることで、「我が社はイノベーション創出のために、リーダーシップやスキル開発にこれだけ投資し、これだけの成果を上げています」という、一貫性のあるストーリーを具体的なデータと共に語ることが可能になります。タレントマネジメントシステムは、この戦略的開示を実現するための、信頼性の高いデータソースとなるのです。
「攻めの開示」を実現する、3つの具体的ステップ
タレントマネジメントシステムを軸に、戦略的な人的資本情報開示を実現するための具体的なステップを3段階で解説します。
ステップ1:指標を「社外開示用」と「社内行動管理用」に分け、連動させる
戦略的な情報開示のポイントは、指標の役割を明確に区別し、それらを論理的に結びつけることにあります。
- 社外・社内双方で報告する「戦略指標」
これは、企業の経営戦略の進捗を示す、比較的上位の概念の指標です。「女性管理職比率」や「従業員エンゲージメントスコア」などがこれにあたります。社外のステークホルダーに対しては企業の目指す方向性や成果を示し、社内では経営層が全体の状況を把握するために用いられます。 - 主に社内で用いる「業績指標」
これは、上記の「戦略指標」を改善するために、現場が直接的に働きかけることのできる、より具体的な行動レベルの指標です。例えば、「女性管理職比率」という戦略指標を向上させるためには、以下のような業績指標を社内で設定し、管理職や人事部門が追いかけます。- 管理職候補者プールにおける女性比率
- 女性従業員の育成プログラム参加率
- 育児休業からの復職率
このように、社外に開示する「戦略指標」と、社内でモニタリングする「業績指標」を明確に分けて管理することが重要です。タレントマネジメントシステム活用により、これらの業績指標の進捗をリアルタイムで把握し、戦略指標の達成に向けた軌道修正を迅速に行うことが可能になります。
ステップ2:データの「信頼性」と「比較可能性」を担保する
データの信頼性は効果的な意思決定の土台であり、情報開示における企業の誠実さを示す証です。ここで重要なのは、「社内におけるデータ管理体制の構築」と「社外への信頼性の証明」を分けて考えることです。
まず、社内において「誰もが同じ数字を見て議論できる、統一されたデータ基盤」を確立することが不可欠です。複数の部署がそれぞれExcelで管理しているような状態では、集計ミスや定義のズレが生じ、そもそも正しい経営判断ができません。タレントマネジメントシステムの意義は、まさにこの点にあります。人事関連データを一元化し、データ管理のプロセスを標準化することで、社内における議論の質を高めるのです。
その上で、構築したデータ管理体制の信頼性を、社外の投資家に「証明」する必要があります。信頼性を証明する有効な手段は以下の通りです。
- 第三者認証・保証の取得
ISO30414認証の取得など、第三者機関に開示データの正確性や算出プロセスの妥当性を検証してもらうことは、信頼性を客観的に示す最も強力な方法です。 - 算出根拠の明示
各指標の定義や算出方法を明確に開示することで、データの透明性を高め、ステークホルダーの理解を促します。 - データの比較可能性の提示
算出されたデータを、過去の実績(経年比較)や業界平均(ベンチマーク比較)と並べて示すことで、投資家はその数字が持つ意味を正しく解釈できます。
これらの取り組みを通じて初めて、開示されたデータは「信頼できる情報」として受け入れられ、企業価値評価の向上に繋がります。
ステップ3:「ナラティブ(物語)」で非財務価値を伝える
優れた人的資本開示は、定量データと定性的なナラティブ(物語)が両輪となって構成されます。データが「何が起きているか(What)」を示すのに対し、ナラティブは「なぜそれが重要なのか(Why)」、「どのように取り組んでいるのか(How)」を伝えます。
タレントマネジメントシステムの活用によって得られたインサイトを基に、具体的なストーリーを語りましょう。
<例1:サクセッションプランに関する開示>
- データ
重要ポジションの後継者準備率が80%に向上。 - ナラティブ
「当社では、タレントレビュー会議をシステム活用により高度化しました。全社から客観的データに基づいて次世代リーダー候補を発掘し、個別の育成計画を実行することで、事業継続リスクを低減し、変化に強い経営体制を構築しています。」
<例2:ダイバーシティ&インクルージョンに関する開示>
- データ
女性管理職比率が前年比で2ポイント上昇し、15%に到達。特に、課長職への女性登用数が過去最高を記録。 - ナラティブ
「当社は、意思決定の多様性を経営の最重要課題と位置づけています。タレントマネジメントシステムを活用して、次世代の女性リーダー候補を早期に特定し、個別の育成計画に基づいたスポンサーシッププログラムを実施しました。この結果、候補者の自信と能力が向上し、今回の登用数増加に繋がりました。」
こうしたナラティブは、数字の裏にある企業の思想や文化を伝え、ステークホルダーの共感を呼び起こします。
情報開示は、自社の人的資本経営を深化させるチャンスである
人的資本開示は、単なる義務やコストではありません。それは、自社の人材戦略を客観的なデータに基づいて見つめ直し、経営戦略との連動性を再確認し、そしてステークホルダーとの建設的な対話を通じて企業価値を高めていく、またとない機会です。
タレントマネジメントシステムをその中核に据えることで、貴社の人的資本経営は、より戦略的で、説得力のあるものへと進化するでしょう。開示を「守り」から「攻め」のツールへと転換すること。それこそが、これからの時代を勝ち抜く企業の条件と言えるかもしれません。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。本コラムでご紹介した、ISO30414のフレームワークを活用した開示戦略の策定や、投資家を惹きつける人的資本レポートの作成支援について、より具体的なご相談はお気軽にお問い合わせください。