「結果報告」か「成長ストーリー」か:未来の価値を示す人的資本開示

その人的資本開示、「スナップショット」になっていませんか?

人的資本情報の開示に際し、多くの企業が陥りがちな一つの罠があります。それは、ある一時点の「完璧な姿(スナップショット)」を見せようとすることです。

高いエンゲージメントスコア、低い離職率、理想的なダイバーシティ比率…。もちろん、それらは素晴らしい成果です。

しかし、もし自社の現状がその「理想」とかけ離れていた場合、どうなるでしょうか。「開示できるような良い数字がない」と、当たり障りのない記述に終始してしまったり、場合によっては実態よりも良く見せようとしてしまったり。これでは、投資家との建設的な対話は望めません。

真に投資家が評価するのは、静的なスナップショットではありません。企業が自社の課題を正しく認識し、未来に向けてどのように変革・成長しようとしているかという「動的な物語」です。本コラムでは、「結果報告」型の開示から脱却し、企業の未来価値を示す「成長ストーリー」を語るための視点を提示します。

弱みを「変革の物語」に転換した、D社の挑戦

当社のご支援実績をもとに、ある老舗の機械メーカーD社のケースを例に考えてみましょう。

D社は、デジタル化の波に乗り遅れ、従業員の平均年齢の高さや、デジタル人材比率の低さが経営課題となっていました。これらの指標をそのまま有価証券報告書に記載すれば、投資家からは「変化に対応できていない、将来性の低い企業」という烙印を押されかねない状況です。

このような状況で考えられる一つのアプローチが、「課題を率直に認め、その克服に向けた変革の物語を語る」というものです。

例えば、有価証券報告書の中で、以下のような要素を盛り込むことが考えられます。

  1. 課題の認識
    まず、「当社の持続的成長の最大の課題は、事業構造のデジタル変革を担う人材の不足であると認識しています」といった形で、課題を真摯に受け止めている姿勢を示します。
  2. 変革への意志
    次に、「この課題を克服するため、今後3年間で大規模な投資を行い、全技術者のリスキリングと、デジタルネイティブ世代の重点採用を実行していく方針です」のように、具体的な目標や投資の方向性を明らかにします。
  3. 進捗の可視化
    「本年度は、その第一歩として、技術者向けAI研修を開始し、対象者の〇%が初期プログラムを修了しました」など、変革に向けた具体的な進捗(先行指標)を示します。

このような開示は、単に不利な情報を隠すよりも、経営陣が課題を客観的に把握し、具体的な手を打っているという印象を投資家に与え、むしろポジティブに評価される可能性が高いでしょう。不利な「結果」ではなく、未来を変える「プロセス」を示すことで、投資家の信頼を得るという考え方です。

投資家は「遅行指標」より「先行指標」を重視する

なぜ「成長物語」は投資家に響くのか

D社の事例が示すように、投資家は企業の「今」だけでなく、「未来」に投資します。そして、未来を予測する上で、過去の結果である「遅行指標」よりも、これから成果に繋がるであろう「先行指標」を重視する傾向があります。

  • 遅行指標の例
    現在の女性管理職比率、過去1年間の離職率
  • 先行指標の例
    女性リーダー育成プログラムの参加者数、次世代リーダー候補のパイプライン数、入社1年目社員のエンゲージメントスコア

現在の女性管理職比率(遅行指標)が低くても、その比率を高めるための育成プログラム参加者数や候補者パイプライン(先行指標)が着実に増加していることを示せば、投資家は「この会社は本気でダイバーシティを推進しており、数年後には成果が出るだろう」と未来の姿をポジティブに評価することができます。

課題を認め、その解決に向けた先行指標のマネジメント状況を丁寧に説明すること。それこそが、経営の質と未来へのポテンシャルを示す、最も誠実で力強いコミュニケーションなのです。

KPIを「点」ではなく「線」で語る

私たちは、クライアント企業が「成長物語」を構築する際、KPIを「点」の情報として羅列するのではなく、過去・現在・未来を繋ぐ「線」の情報として再編集するご支援を重視しています。具体的には、重要なKPIについて、過去3年程度の推移と目標値を一本のグラフやロードマップで示すのです。

この「時間軸」を導入することで、たとえ現在の水準が低くとも、過去からの改善トレンドや、未来に向けた明確な目標設定が可視化され、静的なスナップショットは、成長への意志を示す動的なストーリーへと生まれ変わります。この視覚的なストーリーテリングは、多忙な投資家に対して、貴社の変革への本気度を瞬時に伝える上で極めて有効な手法です。

「成長物語」を紡ぐための3つの実践的アクション

自社の開示を「結果報告」から「成長物語」へと進化させるために、今日から取り組める具体的なアクションを3つご紹介します。

  1. 「As-Is / To-Be」分析で課題を直視する
    まずは、自社の人的資本の「あるべき姿(To-Be)」と「現状(As-Is)」を客観的に比較し、そのギャップを明確に言語化しましょう。「理想はこうだが、現実はこうだ」という課題を直視することが、全ての出発点となります。
  2. 変革の鍵となる「先行指標」を特定する
    特定したギャップを埋めるために、どのような打ち手を実行するのか。そして、その打ち手の進捗を測るための、最も重要な「先行指標」は何かを2〜3個に絞り込みます。この先行指標こそが、貴社の成長物語の中核となります。
  3. 変革の道のりを「ロードマップ」で可視化する
    特定した課題、最終目標(遅行指標)、そして日々の進捗(先行指標)を、複数年単位の「ロードマップ」として一枚の絵にまとめてみましょう。このロードマップは、有価証券報告書だけでなく、統合報告書やIRミーティングでも活用できる強力なコミュニケーションツールになります。

最高のストーリーは「完璧な物語」ではなく「成長の物語」

人的資本開示において、必ずしも完璧な状況を示す必要はありません。むしろ、自社の課題を誠実に認め、それを乗り越えようとするひたむきな「成長の物語」こそが、長期的な視点を持つ投資家の心を動かし、深い信頼を育むのです。

株式会社コトラでは、「先行指標」の設計や、未来志向の「ロードマップ」策定を通じて、貴社の変革ストーリー構築を強力にサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西 裕也
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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