離職を防ぐ中小企業の人的資本経営|エンゲージメントを高める対話戦略

なぜ、信頼していた社員ほど突然辞めていくのか

「まさか、彼が辞めるとは思わなかった」
「不満なんて聞いたことがなかったのに、突然退職願を出された」

経営者の方から、このような嘆きを伺うことは一度や二度ではありません。特に、会社の中核を担っていたエース社員や、手塩にかけて育てた若手の離職は、業務上の損失だけでなく、経営者の精神的にも大きなダメージを与えます。

退職理由として「給与」や「家庭の事情」が挙げられますが、本音の多くは「会社の将来に自分の居場所が見えない」「意見が通らない」といった、組織と個人の関係性の希薄化にあります。

物理的な距離が近い中小企業でも、意図的な対話がなければ「心の距離」は広がってしまいます。本コラムでは、離職を防ぎ、社員が「この会社で働き続けたい」と自発的に思える組織を作るためのアプローチと、具体的な対話戦略について解説します。

「見えない不満」を可視化する:エンゲージメントの測定

人的資本経営において、会社への愛着や自発的に貢献したいと思う意欲、すなわちエンゲージメントは、組織の健全性を測る重要な指標です。しかし、売上や利益とは異なり、エンゲージメントは目に見えません。昨日まで笑顔で働いていた社員が、水面下で転職活動を進めていることも珍しくありません。

組織サーベイは「健康診断」に過ぎない

この「見えない不満」や「組織の健康状態」を可視化するために有効なのが、組織サーベイです。「心理的安全性」や「経営への信頼度」といった観点から定期的に数値を計測することで、組織のどこに課題があるのかを早期に発見できます。

しかし、ここで注意すべきは、サーベイはあくまで「健康診断」であり、治療ではないということです。 多くの中小企業が陥りがちな失敗が、「サーベイを実施して満足してしまう」こと、あるいは「悪い結果を見て見ぬふりをする」ことです。

社員が勇気を出して回答した不満や課題に対し、会社が何もアクションを起こさなければ、「どうせ何を言っても変わらない」という無力感を生み、かえってエンゲージメントを下げてしまいます。

重要なのは、測定すること自体よりも、たとえ耳の痛い結果であってもその結果を真摯に受け止め、社員に対して「フィードバック」と「改善策」を示すことです。

「会社は自分たちの声を聞いてくれている」
「課題を解決しようと動いてくれている」

この実感こそが、社員の信頼を生み、エンゲージメント向上の第一歩となります。

中小企業こそ「心理的安全性」が生命線

エンゲージメントの土台となるのが「心理的安全性」です。これは、「懸念や疑問、ミスを率直に発言しても、対人関係を損なう心配がない状態」を指します。

中小企業は経営者の影響力が強いため、トップが意識的に「聞く姿勢」を見せない限り、社員は「社長の顔色を伺う」ことにエネルギーを費やしてしまいます。

「悪い報告ほど早く上げてほしい。それは君を責めるためではなく、一緒に解決するためだ」

経営者がこのようなメッセージを発信し続け、実際に失敗を許容する文化を作れるかどうかが、定着率を左右する分水嶺となります。

対話から始まるエンゲージメント向上4ステップ

では、社員と組織の絆を深め、離職を防ぐためには具体的に何をすべきでしょうか。組織全体での対話から始まり、個人の業務配置に至るまで、エンゲージメントを高めるための4つの実践ステップをご提案します。

ステップ1:組織レベルの対話:サーベイ・フィードバック

サーベイを実施したら、必ず社員へフィードバックを行います。経営者が一方的に「来期はこれを改善する」と宣言するだけでは不十分です。現場を巻き込んだ対話のプロセスこそが、信頼獲得の特効薬となります。

  • 全社での共有
    悪い結果も含めて、「今回のサーベイでは、特に部署間の連携に課題があることが分かった。経営として真摯に受け止めている」と正直に開示します。この透明性が安心感と信頼を生みます。
  • 現場での対話(ワークショップ)
    次に、部署やチーム単位で、「なぜこのスコアが低かったのか?」「自分たちでできる改善策は何か?」を話し合う場を設けます。
    例えば、「会議が長すぎて業務を圧迫している」という不満が出たなら、「来週から会議時間を半分にする」といった、明日からできる小さなアクション(クイックウィン)をその場で決めて実行します。「自分たちの声で職場が変わった」という成功体験を作ることが重要です。

ステップ2:上司と部下の対話:1on1ミーティング

組織レベルでの課題共有ができたら、次は個人の想いに焦点を当てます。定着を促すための1on1は、業務管理ではなく「関係性のメンテナンス」の時間です。 慣れないうちは、以下の「3つの質問」をアジェンダとして固定し、部下の「Will(意志)」を引き出すことに集中しましょう。

  1. コンディション確認:まずは心理的な安全確認から入ります。
    • 「最近、心身の調子はどう?眠れている?」
  2. やりがいの発掘:ポジティブな感情に焦点を当て、本人の強みや興味の方向性を探ります。
    • 「最近の仕事で、一番やりがいを感じた(面白かった)ことは何?」
  3. 未来のキャリア:目の前の業務だけでなく、個人の成長に会社が関心を持っていることを伝えます。
    • 「半年後、どんなことができるようになっていたい?」

上司は「話す」のではなく「聴く」ことに時間を使います。この対話の積み重ねが、離職の兆候を早期に察知するセンサーとなります。

ステップ3:同僚間の対話:承認文化の醸成

上司と部下の縦の関係だけでなく、横の関係性を良くすることも定着には不可欠です。しかし、日本企業では「できて当たり前」という減点主義になりがちで、日常的な承認が不足しています。 ここで有効なのが、感謝や称賛を可視化する仕組みです。

  • 仕組みの導入例
    • 会議の冒頭5分を使って、「今週、○○さんがこんな気配りをしてくれて助かった」というエピソードを共有し合う時間を設ける。
    • チャットツールやサンクスカードを使って、「ありがとう」を送り合う。

ここで重要なのは、売上などの大きな成果だけでなく、「資料が見やすかった」「電話対応が丁寧だった」といった日常の些細な行動(プロセス)を拾い上げて称賛することです。

「自分の細かい仕事まで、ちゃんと見てくれている人がいる」という安心感が心理的安全性を高め、本音で話せる土壌を作ります。

ステップ4:対話を仕事に接続する(Willに基づいた配置)

最後のステップは、これまでの対話を行動で証明することです。ステップ2の1on1で引き出した部下の「Will(やりたいこと・なりたい姿)」を、実際の業務や役割に反映させます。

  • 具体的なアクション例
    もし部下が「将来はマーケティングに挑戦したい」と考えているなら、今の部署にいながらSNSの運用担当を任せてみる。あるいは、関連するプロジェクト会議への参加を許可します。

ここでは上司の言葉が鍵となります。「君がやりたいと言っていたから、この仕事を任せることにした」という一言があるだけで、その業務は「やらされ仕事」から「自分のための仕事」に変わります。

対話の内容を忘れることなく、具体的なチャンスとして提供する。これこそが、会社が個人を尊重している最大の証明であり、最強の定着策となります。

人と組織の「絆」を資産にする

人的資本経営の本質は、社員を「管理対象」から「共に価値を創るパートナー」へと昇華させることにあります。「対話」を通じて経営トップの想いが社員に伝わり、社員の想いが経営トップに届く。この風通しの良さと、互いへのリスペクトがある関係性こそが、中小企業の最大の武器であり、人的資本経営の基盤となります。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。組織サーベイを用いた現状分析から、エンゲージメント向上策の企画立案など、具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西 裕也
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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