制度は整えたのに、なぜか職場に「活気」がない
「キャリアパス制度を整備し、研修体系も充実させた。人事制度(ハード面)は、他社に見劣りしないはずだ」
「しかし、現場からは『上司の顔色を伺って、本音が言えない』『失敗すると厳しく追及されるため、新しい挑戦がしにくい』といった、ネガティブな声が聞こえてくる…」
「結果として、せっかく導入した制度も十分に活用されず、人材の定着にも繋がっていない」
このように、人事制度という「器(ハードウェア)」の整備に力を入れたものの、その器を動かす「中身(ソフトウェア)」である組織文化や職場の雰囲気に問題を抱え、リテンションマネジメントがうまく機能していないケースは、多くの企業で見受けられます。
特にリモートワークの普及により、社員同士の偶発的なコミュニケーションが減少し、チーム内の繋がりが希薄化していると感じている方も多いのではないでしょうか。どれほど洗練された人事制度やリテンションマネジメントの施策も、それが実行される「職場」という土壌(組織文化・風土)が健全でなければ、根付くことはありません。
本コラムでは、リテンションマネジメントの成否を分ける「土壌」として、「心理的安全性」と「組織文化」の重要性について考察します。
リテンションマネジメントの「土壌」としての心理的安全性
リテンションマネジメント(人材定着)の文脈で、「心理的安全性」という言葉が注目されています。
心理的安全性とは何か?
心理的安全性とは、ハーバード大学のエイミー・C・エドモンドソン教授によって提唱された概念で、「チームの他のメンバーが、自分の発言や行動を拒絶したり、罰したりしないと信じられる状態」、平たく言えば「チームの中で、誰もが安心して本音を話し、挑戦し、失敗できる状態」を指します。
なぜ心理的安全性がリテンションマネジメントに不可欠なのか?
心理的安全性が低い職場(例:「無知」だと思われるのを恐れて質問できない、「無能」だと思われるのを恐れて助けを求められない、「邪魔」だと思われるのを恐れて意見を言えない)では、何が起こるでしょうか。
- 成長機会の喪失
従業員は「失敗」を極度に恐れ、挑戦的な業務を避けるようになります。これは、従業員の「成長実感」を著しく阻害します。成長実感を得られない従業員は、やがてその職場を去ることを選ぶでしょう。 - コミュニケーションの阻害
業務上の問題や、自身のキャリアに関する悩みを、上司や同僚に率直に相談できません。その結果、問題が深刻化するまで誰も気づけず、突然の離職に繋がります。 - エンゲージメントの低下
自分がチームの一員として尊重され、貢献できているという実感(=エンゲージメント)が持てず、仕事へのモチベーションが低下します。
このように、心理的安全性の欠如は、リテンションマネジメントの施策(キャリア開発、1on1、エンゲージメント向上など)の効果を根底から覆してしまう、極めて深刻な問題なのです。
リテンションマネジメントとは、言い換えれば「従業員が、その組織に“所属し続けたい”と思う理由を育むこと」です。心理的安全性は、その最も根源的な「所属感」や「信頼感」を支える、リテンションマネジメントの土台そのものであると言えます。
組織サーベイで「見えない文化」を数値化する
「うちの会社は風通しが良い」といった経営層の「感覚」と、現場の従業員が感じている「現実」には、しばしば大きなギャップが存在します。そのため、私たちは、この目に見えない「心理的安全性」や「組織文化」を、客観的に把握する手段として、「組織サーベイ」の活用が不可欠であると考えています。
具体的には、組織サーベイにおいて、「上司は、私の意見や懸念に真剣に耳を傾けてくれるか?」「チーム内では、異なる意見や失敗を歓迎する雰囲気があるか?」「困ったときに、率直に助けを求められるか?」といった、心理的安全性を測る項目を設計・分析します。
さらに、こうしたサーベイデータと、「価値観分析(従業員が何を大切にしているか)」や、実際の離職率や定着率のデータを突き合わせることで、「自社が目指すべき組織文化」と「現状」とのギャップ、そしてそのギャップが従業員のリテンションに与えている具体的な影響を可視化することができます。
感覚論ではなく、データに基づいて自社の組織文化を診断し、リテンションマネジメントの「土壌改良」に取り組むことが、人事制度改革と並行して求められるのです。
心理的安全性を醸成し、リテンションマネジメントを機能させる
心理的安全性の高い組織文化は、一朝一夕に作れるものではありません。しかし、日々の地道な実践によって、着実に醸成していくことは可能です。
実践1:「聴く」文化の醸成(傾聴するリーダーシップ)
心理的安全性の構築は、多くの場合、経営層や管理職が「話す」ことではなく、「聴く」ことから始まります。
- 経営層の率先垂範
経営トップが、自らの失敗談をオープンに語ったり、現場からの耳の痛い意見(ネガティブな情報)を罰するのではなく、むしろ歓迎する姿勢を明確に示すことが、組織全体の「本音で話せる空気」を作ります。 - 管理職の「傾聴」スキルの強化
1on1ミーティングなどの場で、上司が「評価・判断」をいったん脇に置き、部下の話に真剣に「耳を傾ける」ことを徹底します。部下が「この人には安心して話せる」という信頼感を築くことが、リテンションマネジメントの第一歩です。
実践2:「失敗」の再定義(学習する組織への転換)
心理的安全性が低い組織は、「失敗=悪」と捉え、犯人探しや責任追及にエネルギーを費やします。
- 「失敗からの学習」のプロセス化
失敗が起こった際に、個人を責めるのではなく、「なぜそれが起こったのか(システムやプロセスの問題)」「そこから何を学べるか」を、チーム全体で冷静に振り返るプロセス(AAR:After Action Reviewなど)を導入します。 - 「賢明な失敗」の許容
新しい挑戦に伴う「賢明な失敗(Intelligent Failure)」は、学習の機会として許容し、称賛する文化を育むことが、従業員の挑戦意欲と成長実感に繋がります。
実践3:管理職の役割変革(支援者としてのマネージャー)
従来の「進捗を管理し、指示命令するマネージャー(管理者)」から、「部下の成功を支援し、心理的なサポートを行うサポーター(支援者)」へと、管理職の役割を再定義することが求められます。
- 管理職への権限委譲と支援
チームの心理的安全性を高めるのは管理職の重要な役割ですが、彼ら自身がプレッシャーに晒されていては機能しません。管理職自身が心理的安全性を感じられるよう、会社(人事)がサポート(研修、コーチング、業務負荷の軽減)を行う必要があります。 - 「相互支援」の仕組み化
上司と部下というタテの関係だけでなく、チームメンバー同士が助け合う「ヨコの関係」も重要です。ピア・ボーナス(同僚同士で感謝や称賛を送り合う仕組み)や、メンター制度の導入が、相互支援の文化を促進します。
強固な「土壌」こそ、リテンションマネジメントの成果を実らせる
本コラムでは、リテンションマネジメントの基盤となる「心理的安全性」と「組織文化」の重要性について考察しました。
どれほど優れた人事制度(ハード)も、それを受け止める組織文化(ソフト)という「土壌」が痩せていれば、リテンションマネジメントという「果実」を実らせることはできません。
従業員が「自分はここで尊重されている」「安心して挑戦し、成長できる」と感じられる、心理的安全性の高い組織文化を育むこと。
それこそが、あらゆるリテンションマネジメント施策の効果を最大化し、従業員が「ここに居続けたい」と心から思える企業への、最も確実な道筋であると考えられます。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。組織サーベイを用いた価値観分析や、リテンションマネジメントを土台から支えるエンゲージメント向上策の企画立案まで、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




