人的資本開示、投資家の心に響いていますか?
「人的資本開示の義務化に対応し、有価証券報告書で必要なKPIを記載した」
「しかし、投資家やアナリストからの評価や質問が、いまひとつ的を射ていないように感じる」
「開示対応が『守り』の業務となっており、これが本当に企業価値向上に繋がるのか疑問が残る」
経営企画やIR、人事担当者の方々にとって、人的資本開示への対応は、ここ数年の重要な経営課題となっています。KPI(重要業績評価指標)の選定と開示は進んだものの、それが「開示のための開示」に留まっていないか、という懸念は根深いものがあるようです。
投資家が知りたいのは、単なる数値の羅列ではありません。その数値(KPI)が、企業の持続的な成長や競争優位性に「どのように貢献するのか」という論理的なストーリーです。
本コラムでは、人的資本開示を「義務」から「戦略的機会」へと転換し、企業価値向上に直結させるためのKPIマネジメントのあり方について考察します。
なぜKPIの開示は「伝わらない」のか?
人的資本開示におけるKPIが「伝わらない」根本的な理由は、開示されるKPIと、企業の「価値創造ストーリー」が分断されている点にあると考えられます。
多くの企業が、ISO30414などの国際規格や他社事例を参考にKPIを選定しています。もちろん、こうしたフレームワークの参照は重要です。しかし、それらの指標が「自社のビジネスモデルや経営戦略において、なぜ重要なのか」という文脈が欠落しているケースが散見されます。
例えば、以下のような状況です。
- 指標の羅列
「女性管理職比率」「育休取得率」「研修時間」といった指標が、経営戦略のセクションとは無関係に並べられている。 - 「なぜ」の欠如
「なぜ、自社にとって女性管理職比率の向上が、イノベーション創出や市場シェア拡大に繋がるのか」というロジックの説明が不足している。 - 「未来」の視点不足
開示されるKPIが過去の実績(遅行指標)に偏り、未来の戦略実行力を示す指標(先行指標)が乏しい。また、実績値は開示しているものの、目標値が設定されていない。
コトラが考える「企業価値向上に繋げるKPIマネジメント」
投資家やステークホルダーとの対話において、KPIマネジメントが果たすべき役割は、自社の人材戦略が経営戦略と深く連動し、将来のキャッシュフロー創出や企業価値向上にいかに貢献するかを「論理的に証明」することにあると私たちコトラは考えます。
これは、単に「開示基準を満たす」という受動的なKPIマネジメントではなく、自社の独自性をアピールする「攻め」のKPIマネジメントへの転換を意味します。
重要なのは、ISO30414といった国際規格を「テンプレート」として使うのではなく、自社の「価値創造モデル」を軸に据えることです。自社のビジネスがどのように価値を生み出し、そのプロセスにおいて「人的資本」がどのような役割を担っているのか。その「核」となる部分を可視化し、それを裏付ける証拠としてKPIを位置づけるアプローチが求められます。
例えば、R&D(研究開発)が競争力の源泉である企業ならば、単なる「従業員数」や「研修時間」よりも、「基幹技術領域における専門人材の充足率」や「研究開発部門のエンゲージメントスコア」といったKPIの方が、企業価値との連動性を雄弁に語るでしょう。
このKPIマネジメントのアプローチは、開示を通じて「我が社は、これほど戦略的に人材へ投資し、未来の成長基盤を構築している」という、説得力のあるメッセージを発信することに繋がります。
投資家に響く「ナラティブ」を構築する3つのステップ
では、開示を企業価値向上に繋げるKPIマネジメントを、具体的にどのように実践すればよいでしょうか。ここでは、「ナラティブ(物語)」を構築するための3つのステップをご紹介します。
ステップ1:「マテリアリティ(重要課題)」の特定
KPIマネジメントの第一歩は、自社のビジネスモデルにおいて、最も企業価値にインパクトを与える「人的資本に関する重要課題(マテリアリティ)」を特定することです。
- ビジネスモデルの分析
自社の価値創造プロセスの「どこ」で人的資本が決定的な役割を果たしているか(例:顧客接点、研究開発、生産技術)を分析します。 - 経営戦略との紐づけ
中期経営計画などで掲げる戦略目標に対し、その達成を阻害する、あるいは加速させる人的資本上の課題は何かを議論します。 - マテリアリティの絞り込み
「ステークホルダー(投資家含む)の関心」と「自社事業へのインパクト」の二軸で、優先的に取り組むべき重要課題を絞り込みます。
このマテリアリティこそが、KPIマネジメントと開示の「核」となります。
ステップ2:「戦略的KPI」の選定
マテリアリティが特定できたら、その課題への取り組みの進捗と成果を測る「戦略的KPI」を選定します。
- 「なぜ」から考える
「他社が設定しているから」ではなく、「なぜ、このマテリアリティの解決に、このKPIが有効なのか」という論理を重視します。 - 具体性と戦略性
- 例1:単なる「女性管理職比率」(結果)だけでなく、「次世代リーダー候補プールにおける女性比率」(未来への布石)を併記する。
- 例2:単なる「研修時間」(インプット)だけでなく、「戦略上重要なスキルの習熟度レベル」(アウトカム)を測定する。
- 独自性と比較可能性
自社独自の戦略的KPIを設定しつつも、投資家が他社と比較できるよう、業界標準の指標も併せて開示するバランスが求められます。
この「戦略的KPI」の選定プロセスこそが、KPIマネジメントの質を決定づけます。
ステップ3:「ナラティブ(物語)」の構築と仮説検証
KPIは、単体で存在するのではなく、ストーリーの一部として機能するときに最も力を発揮します。
- 因果の「仮説」の構築
「AというKPIが向上すると、Bというプロセスを経て、最終的にCという経営成果に繋がる」という仮説を明確にします。投資家との建設的な対話につながるような、もっともらしい論理的な仮説を提示することが重要です。 - KPIと施策の連動
構築した仮説に基づき、KPIの目標達成に向け、具体的にどのような人材施策を実行しているかを整理します。 - 開示資料での表現
経営戦略、人材戦略、そしてKPIと具体的な施策を、一貫した「価値創造ストーリー」として統合報告書や人的資本レポートで表現します。
このナラティブを伴ったKPIマネジメントこそが、投資家との建設的な対話を生み出す基盤となると考えられます。
ステップ4:「仮説検証プロセス」の実行と開示
ナラティブを「信頼」に変えるのは、このステップ4です。仮説は立てて終わりではなく、「検証」するプロセス自体がマネジメントであり、開示の重要な構成要素となります。
- データ分析の実行
設定した仮説が正しかったのかを、定期的にデータで検証します。例えば、「AI研修受講率(KPI)と、(AI活用による)生産性(経営成果)の間に、正の相関関係は見られたか」を分析します。 - フィードバックと施策の修正
分析の結果、仮説が支持されれば施策を継続・強化します。もし仮説が支持されない(例:相関が見られない)のであれば、「なぜか」を考察し、施策やロジックモデル(仮説)自体を見直します。 - 「検証プロセス」の開示
投資家に対しては、この「仮説検証のプロセス」そのものを誠実に開示することが望ましいと考えられます。「昨年度の仮説に基づき施策を実行した結果、Aという相関が見られたため継続する。一方でBについては相関が弱かったため、施策を見直す」といった開示は、企業がデータを基に人的資本を「マネジメント」していることの強力な証左となり、信頼構築に繋がります。
KPIマネジメントは「未来」への対話を促す戦略的ツール
本コラムでは、人的資本開示を「守り」の対応で終わらせず、企業価値向上に繋げるための戦略的なKPIマネジメントについて考察しました。
KPIマネジメントの本質は、数値を並べることではなく、自社の人材戦略の優位性と、それが未来の成長にいかに貢献するかを、説得力を持って語る「論理」と「物語」を構築することにあります。
開示は、投資家やステークホルダーに対し、自社の「未来への投資」の合理性を説明する絶好の機会です。この機会を活かし、KPIマネジメントを通じて自社独自の価値創造ストーリーを発信し続けることが、不確実な時代における持続的な企業価値向上に不可欠であると考えられます。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。投資家に響く人的資本開示の高度化や、戦略と連動したKPIマネジメントの設計など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




