人的資本レポートを発行する必要性とは?
「人的資本については統合報告書や有報で開示しているのに、なぜ人的資本レポートを発行する必要があるのか?」
人的資本経営の重要性が叫ばれる昨今、このような疑問をお持ちの経営者や実務担当者の方は少なくないでしょう。日本において人的資本の情報開示は、主に有価証券報告書や統合報告書の中で行われるのが一般的です。
その一方で、先進的な企業の中には、独立した「人的資本レポート」を発行する動きが少しずつ見られ始めています。しかし、その発行企業はまだ少数派であり、多くの企業にとっては「なぜわざわざ独立したレポートが必要なのか」「他のレポートと何が違うのか」という点が明確になっていないのが実情ではないでしょうか。
本コラムでは、この「人的資本レポート」の基本に立ち返り、その本質的な価値と、他のレポートにはない優位性について、基礎から徹底的に解説します。
人的資本レポートの本質
まず、人的資本レポートとは何か、その定義から見ていきましょう。
「人材」という最も重要な経営資本に特化した報告書
結論から言えば、人的資本レポートは、企業の競争力の源泉である「人材」という経営資本に完全に特化し、その価値をいかにして維持・向上させ、未来の企業価値創造に繋げていくのか、という戦略と実践の全体像を深く掘り下げて報告する専門文書です。
人材をコストではなく「資本」として捉え、その資本に対してどのような投資(採用、育成、環境整備など)を行い、将来的にどれだけのリターン(イノベーション、生産性向上、企業成長)を生み出そうとしているのか。この一連のストーリーを、データに基づいて具体的に示すことが、このレポートの核となります。
他のレポートとの違いと「人的資本レポート」ならではの優位性
ここで、他の非財務報告書との違いを明確にすることで、人的資本レポートが持つ独自の優位性を浮き彫りにします。
- vs 統合報告書:「全体像」と「深掘り」
- 統合報告書は、財務資本と非財務資本(知的資本、製造資本、人的資本など)を統合し、企業全体の価値創造プロセスを示すことを目的とします。網羅的に全体像を把握できる一方、各資本に関する記述はスペースの制約上、要点に絞られがちです。
- 人的資本レポートの優位性は、その「専門性」と「深さ」にあります。
統合報告書では数ページで触れられる内容を、人的資本レポートでは数十ページにわたって詳細に展開できます。これにより、人材戦略の細部、具体的な施策の進捗、従業員の生の声などを盛り込むことが可能となり、ステークホルダーのより深い理解を促すことができるのです。
- vs ESG/サステナビリティレポート:「社会課題」と「経営戦略」
- ESG/サステナビリティレポートは、環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)という幅広いテーマを扱い、企業が社会課題の解決にどう貢献しているかを示すことに重点が置かれます。人的資本は主に「S(社会)」の一要素として、人権やダイバーシティ、労働慣行といった側面から語られることが多くなります。
- 人的資本レポートの優位性は、人材に関する取り組みを、社会貢献という側面だけでなく、企業の競争力や成長戦略と直結する「攻めの経営マター」として位置づけられる点にあります。
自社の事業戦略を達成するために、どのような人材が必要で、その人材をどう育成・獲得するのか。この経営戦略との直接的な連動性を力強く示すことができるのが、最大の強みと言えるでしょう。
さらに補足すれば、優れた人的資本レポートは、ISO30414のような国際的な開示ガイドラインを活用し、比較可能性を担保しつつも、そこに自社独自の価値創造ストーリーを乗せることで、唯一無二の価値を発揮すると考えられます。
人的資本レポート作成の核心:「戦略ストーリー」と「裏付けとなる指標」
では、これから人的資本レポートの作成を検討する企業は、何から手をつければ良いのでしょうか。すべてを網羅しようとすると、かえって動き出せなくなることもあります。まずはレポートの心臓部となる、以下の2つの基本要素を固めることから始めるのが現実的です。
企業の未来を語る「戦略ストーリー」を構築する
レポートの骨格となるのが、企業の経営戦略と人材戦略を結びつける一貫した「ストーリー」です。単に方針を並べるのではなく、読み手が納得し、共感できる物語として構成することが重要だと考えられます。
ストーリーを構築する具体的なステップは以下の通りです。
- パーパス(存在意義)への立ち返り
まず、「自社は何のために社会に存在するのか」という根本に立ち返ります。これがストーリーの出発点であり、全ての戦略の拠り所となります。 - 経営戦略との接続
次に、中期経営計画などで示されている事業戦略(例:DX推進、海外展開強化)と、パーパスを繋ぎ合わせます。「パーパス実現のために、この事業戦略が必要だ」という論理を明確にします。 - 理想の人材・組織像の言語化
その事業戦略を成功させるためには、「どのようなスキル、価値観、経験を持った人材が、どのような組織文化の中で活躍する必要があるのか」を具体的に言語化します。これが、人材戦略におけるゴール設定となります。
このプロセスを経て、「我々は〇〇というパーパス実現のため、△△という事業戦略を進めており、その成功には◇◇な人材・組織が不可欠である」という、説得力のあるストーリーの土台が完成します。
ストーリーを裏付ける「戦略的な指標」を選定する
次に、構築したストーリーが単なる理想論で終わらないよう、客観的なデータ、すなわち「指標(KPI)」で裏付けを行います。ここで重要なのは、手当たり次第にデータを集めるのではなく、ストーリーとの関連性が強い指標を戦略的に選定することです。
指標を選定する際の視点をご紹介します。
- まずは「ありもの」から
最初から完璧なデータ収集を目指す必要はありません。まずは、既存の人事システムや過去のサーベイ結果など、現在手元にあるデータで測定できる指標から始めましょう。 - 「守り」と「攻め」のバランス
離職率や労働時間といったリスク管理に関わる「守りの指標」と、次世代リーダー育成率やスキル習得率といった未来への投資を示す「攻めの指標」。この両方をバランス良く示すことで、経営の健全性と成長への意欲を同時に伝えることができます。 - 自社らしさの表現
他社でよく開示されている一般的な指標(例:女性管理職比率)に加え、自社の戦略ストーリーを象徴するような独自の指標を一つでも盛り込むことをお勧めします。例えば、「顧客への提供価値に直結する〇〇スキルの保有者数」など、自社の強みを表現する指標は、レポートの独自性を際立たせます。
このように、一貫した「戦略ストーリー」で自社の価値創造プロセスを語り、それを「戦略的な指標」で裏付けること。それこそが、説得力のある人的資本レポートを作成するための本質的なアプローチと言えるでしょう。
人的資本レポート作成は、自社の「人材戦略」を深化させる絶好の機会
本コラムでは、人的資本レポートの基本的な概念と、その作成の核心となる2つの柱について解説しました。日本での発行は未だ少ないながらも年々増加傾向にあり、今後もさらなる発行企業の増加が見込まれます。
重要なのは、人的資本レポートの作成を、単なる情報開示の義務と捉えるのではなく、自社の経営戦略と人材戦略の繋がりを再定義し、社内で深く議論し、一つのストーリーとして言語化する絶好の機会と捉えることです。そのプロセス自体が、貴社の人的資本経営を大きく前進させる原動力となるでしょう。そして、完成したレポートは、投資家、顧客、従業員、未来の仲間たちに向けた、貴社の未来を語る最も力強いメッセージとなるはずです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。人的資本レポートの構成に関するご相談や、他社事例の解説など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。