人的資本投資、業績への貢献を「説明」できますか?
「従業員エンゲージメント向上のための施策に、これだけの予算を投じる価値は本当にあるのか?」
「人材育成への投資が、将来の売上や利益にどう結びつくのか、具体的に示してほしい」
経営会議やIRの場で、このような問いを投げかけられ、明確な答えに窮した経験はないでしょうか。「人的資本が重要である」という総論には誰もが同意する一方で、その投資対効果(ROI)を客観的なデータで証明することの難しさは、多くの企業が抱える共通の課題です。
この問いに対し、客観的なデータに基づいて説明責任を果たそうとする動きが広がっています。その中で、データドリブンな人的資本開示の有効な第一歩として注目されるのが「相関分析」です。本コラムでは、この手法を用いて開示内容に客観的な根拠を与え、説得力を高めるアプローチについて解説します。
「感覚」から「根拠」へ。データドリブン開示の第一歩
これまでの人的資本経営は、「良い組織風土が良い業績を生むはずだ」といった経験則や感覚に頼る側面が少なくありませんでした。しかし、デジタル化の進展により、人事領域でも多様なデータを蓄積・活用できる環境が整いつつあります。
相関分析とは、これらのデータを活用し、二つの事象の間の関連性(相関)を見つけ出す手法です。相関分析は複雑な因果関係を証明するものではありませんが、人的資本への取り組みと企業業績の間に「どのような関係がありそうか」という客観的な根拠を示唆してくれます。
投資家も、完璧な因果の証明を最初から求めているわけではありません。むしろ、企業がデータに基づき、合理的に意思決定しようと試みる「姿勢」そのものを評価する傾向があります。その意味で、相関分析はデータドリブンな開示への、現実的で価値ある第一歩と言えるのです。有価証券報告書等でこうした分析アプローチに言及することは、貴社の経営の透明性と合理性をアピールする上で有効な一手となります。
価値創造ストーリーを補強する「相関分析」開示の3ステップ
では、この相関分析を情報開示に活かすには、どう進めればよいのでしょうか。ここでは、その実現に向けた3つのステップをご紹介します。
ステップ1:仮説の構築 ― どの指標が何に効くのか?
やみくもにデータを分析しても、意味のある示唆は得られにくいものです。まずは、自社の経営戦略や事業特性に基づき、「何と何が、どのように関連しているはずだ」という「仮説」を立てることが出発点となります。
例えば、「当社の強みである顧客密着型の営業スタイルは、経験豊富なベテラン社員の定着率に支えられている。したがって、ベテラン層のエンゲージメント向上施策は、リピート売上率の維持に貢献するはずだ」といった具体的な仮説を構築します。この仮説の質が、分析全体の成否を左右します。
ステップ2:データの収集と分析基盤の整備
次に、仮説を検証するために必要なデータを収集し、分析できる基盤を整備します。人事データ(勤怠、評価、サーベイ結果など)と財務・事業データ(部門別売上、利益、顧客満足度など)を時系列で統合・分析できる環境があれば理想的ですが、Excel等の表計算ソフトでも構いません。
ただし、データを収集する際は、従業員のプライバシーへの配慮や個人情報保護には細心の注意を払うようにしましょう。
ステップ3:分析結果のストーリー化と開示
分析の結果は、次の3パターンに大別されます。なお、ここでは例として、「従業員エンゲージメントスコアが高ければ、一人当たり営業利益も高い(この二つは正の相関関係にある)」という仮説を立てていたとします。
- 仮説通りの相関関係が観察される。
- 仮説とは反対方向の相関関係(従業員エンゲージメントスコアが高ければ、一人当たり営業利益は低い)が観察される。
- 相関関係がない。
仮説通りの相関関係が観察されたのであれば、それを説得力のあるストーリーとして開示します。
例えば、「当社の分析では、従業員エンゲージメントスコアと一人当たり営業利益との間に、正の相関関係が確認されました。この結果は、従業員の働きがいが企業の生産性に繋がる可能性を示唆するものです。これに基づき、当社では全社的なエンゲージメント向上を重要KPIと位置づけ、〇〇といった施策に注力しています」といった形です。
一方で、期待していた相関関係が観察されない、という結果が得られることも少なくありません。しかし、それは決して「失敗」ではありません。その場合、「どのような仮説に基づき分析を行ったが、現時点では明確な相関は見られなかった」という事実と、「今後はデータの収集方法を見直す」「別の仮説で分析を継続する」といった、次への展望を誠実に開示することも一つの有効なアプローチです。
重要なのは、データと真摯に向き合い、試行錯誤するプロセスそのものをステークホルダーに示すことです。この透明性が、かえって企業の信頼性を高めることにも繋がると考えられます。
データという「根拠」が、ストーリーの信頼性を高める
人的資本と企業業績の関連性をデータで示すことは、人的資本が管理すべき「コスト」ではなく、積極的に投資すべき「価値創造のドライバー」であることを示唆する、強力な根拠となり得ます。
完璧な証明には至らなくとも、データドリブンなアプローチへの挑戦は、貴社の経営管理能力と先進性、そして透明性の高さをステークホルダーに伝え、他社にはない信頼を勝ち取る一助となるでしょう。有価証券報告書や統合報告書での価値創造ストーリーに、データという客観的な「根拠」を加えてみてはいかがでしょうか。
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