人的資本の議論、取締役会の「重要アジェンダ」になっていますか?
有価証券報告書における人的資本の情報開示。多くの企業で人事部やIR担当が中心となり、データの収集やストーリーの構築に尽力されていることと存じます。しかし、その重要な議論が、取締役会においては「執行側からの報告を聞くだけ」の受け身の場で終わってはいないでしょうか。
2021年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、中長期的な企業価値向上の観点から、取締役会が人的資本への投資等について実効的な監督を行うべきであると示唆されています。もはや、人的資本は現場マターではなく、取締役会が責任をもって向き合うべき経営の最重要アジェンダの一つです。
本コラムでは、この「取締役会の監督責任」というガバナンスの視点に立ち、いかにしてその役割を果たし、有価証券報告書を通じてステークホルダーにその実効性を示していくべきかを考察します。
なぜ取締役会による監督が不可欠なのか
投資家が企業の将来性を見極める際、個別の経営戦略や財務数値だけでなく、それらが適切に意思決定され、実行されることを担保する「ガバナンス体制」を極めて重視します。人的資本に関しても例外ではありません。
人的資本への投資は、その成果が短期的な財務指標に現れにくい特性を持ちます。だからこそ、その戦略が経営全体の方向性と一貫しているか、客観的かつ中長期的な視点から監督する取締役会の役割が不可欠となるのです。
中でも、有価証券報告書でその監督状況に触れることには、特別な意味合いがあります。それは、有報が持つ「法定開示」としての重みです。任意のレポートとは異なり、法的な責任を伴う場で企業の人的資本ガバナンスを語ることは、その取り組みが一時的なものではなく、企業としての揺るぎないコミットメントであることを内外に示す、最も強力な意思表示になると考えられます。
投資家は、経営戦略と人材戦略の間に横たわる「実行ギャップ」を埋め、戦略の実効性を担保する存在として取締役会を見ています。有価証券報告書での人的資本に関する記載は、単なる取り組みの紹介に留まらず、その裏側にある「監督機能が有効に働いているか」を伝えるための絶好の機会と言えるでしょう。
取締役会は「何を」「どう」監督し、開示すべきか
では、取締役会は具体的に何を監督し、その活動をどのように有価証券報告書で開示していけば、ステークホルダーからの信頼を得られるのでしょうか。ここでは3つの重要なポイントをご紹介します。
ポイント1:戦略と連動した「KPI」のモニタリング体制
執行側から報告される人的資本に関するKPI(重要業績評価指標)について、取締役会がその妥当性を議論し、進捗を継続的にモニタリングしているか。そのプロセスこそが開示の核となります。
- KPIの妥当性:そのKPIは、自社の中期経営計画や事業戦略と本当に連動しているか。
- モニタリングの頻度と方法:取締役会で、どのくらいの頻度で、どのような形で報告を受け、議論しているのか。
- 議論の実態:目標未達の場合、その原因分析や改善策について、執行側とどのような議論を交わしているのか。
これらの監督プロセスを具体的に示すことで、KPIが形骸化せず、実質的な経営管理ツールとして機能していることを証明できます。
ポイント2:「サクセッションプラン(後継者計画)」への実質的な関与
企業の持続可能性を左右する最重要課題の一つが、サクセッションプランです。特に社長・CEOの後継者計画は、取締役会、中でも独立した社外取締役が中心となる指名委員会が主体的に監督すべきテーマです。
- 候補者の特定と育成:後継者候補の要件定義、候補者群の特定、育成計画の策定・進捗に、取締役会がどう関与しているか。
- 議論の透明性:定期的に後継者計画について議論する場が設けられているか。
その実質的な関与の状況を有価証券報告書で開示することは、経営の安定性に対する投資家の信頼を醸成します。
ポイント3:取締役会自身の「スキルマトリックス」との連動
人的資本戦略を適切に監督するためには、取締役会自身にも相応の知見が求められます。自社の取締役会のスキルマトリックス(各取締役が持つスキルや経験の一覧表)に、人的資本経営に関連する項目(例:人事・労務、組織開発、人材育成など)を含めることが有効です。
そして、そのスキルを持つ取締役が、実際の議論でどのように貢献しているかを示すことで、監督機能の説得力は格段に高まります。これは、自社の人的資本戦略の重要性を、取締役会の構成レベルで認識しているという強いメッセージとなります。
「お飾り」ではない監督体制が、企業の持続的成長を支える
有価証券報告書における人的資本の情報開示は、今や企業のガバナンスの成熟度を示す試金石です。執行側の取り組みをただ記載するだけでなく、それを取締役会がいかに実効的に監督しているかという「ガバナンスのストーリー」を語ること。
その形式的ではない監督体制の透明な開示こそが、ステークホルダーからの深い信頼を勝ち取り、企業の持続的な成長を支える揺るぎない礎となるのでしょう。
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