開示したエンゲージメントスコア、その後どう活用していますか?
「人的資本の状況を把握するため、エンゲージメントサーベイを実施し、そのスコアを統合報告書で開示した」
これは、人的資本開示に取り組む多くの企業で見られる、標準的なアプローチの一つと言えるでしょう。しかし、人事責任者の皆様に、もう一歩踏み込んでお伺いします。そのスコア、本当に「活用」できているでしょうか。
もし、以下のような「開示して終わり」の症状に陥っているとしたら、人的資本開示のために費やした多大な労力が、宝の持ち腐れになっているかもしれません。
- 全社平均のエンゲージメントスコアは把握しているが、部署や階層ごとの課題までは見えていない。
- スコアが低いという事実は分かったが、その原因が何で、具体的に何をすれば改善するのかが分からない。
- 人事主導で研修やイベントを企画してみたものの、現場の反応が鈍く、効果も実感できない。
- 人的資本開示のデータが、次なる人事戦略や経営判断に活かされているとは言えない状況だ。
これらの課題は、人的資本開示で得られたデータを、単なる「報告用の数値」として扱ってしまっていることに原因があります。データは、眺めるものではなく、対話し、問いかけ、そして組織を動かすための「羅針盤」です。本コラムでは、人的資本開示を起点として、データに基づいた組織変革をドライブするための、具体的かつ実践的な「次の一手」について解説していきます。
データは「答え」ではなく「問い」を教えてくれる
人的資本開示で得られるデータ、例えばエンゲージメントスコアや離職率といったものは、それ自体が最終的な「答え」ではありません。それは、組織が抱える課題の「兆候」を示唆してくれる、いわば健康診断の結果のようなものです。重要なのは、その数値の裏側にある「なぜ?」を深く掘り下げ、真の課題を特定することです。
ケーススタディ:ある小売業C社の課題
ここで、当社のご支援実績をもとに、ある小売業C社のケースを例に考えてみましょう。
C社は、従業員満足度を重要な経営指標と位置づけ、エンゲージメントスコアを人的資本開示の項目として公開していました。しかし、ある年のサーベイでスコアが前年を大きく下回り、経営陣からは早急な対策を求める声が上がりました。人事部は、全社一律の施策を検討しましたが、「本当にそれが現場の求めていることなのだろうか」と、打ち手の妥当性に確信が持てずにいました。
C社の課題に対するコトラの視点
このようなC社のケースに対し、私たちコトラは、以下のような視点で解決へのアプローチを構築することが有効だと考えます。
まず、単にスコアの数字を追うのではなく、データの背後にある従業員の「生の声」に耳を傾けるプロセスが重要です。その第一歩として、「セグメント分析」というアプローチが有効です。C社の例のような状況では、この分析によって「入社3年未満の若手店舗スタッフ」と「地方店舗の店長クラス」といった、特に課題を抱える層を特定できると考えられます。
次に、課題が特定された層に対して、追加のヒアリングや小規模なワークショップを実施し、根本原因を深掘りします。このプロセスを通じて、C社が直面していたような「若手のキャリア不安」と「店長の育成スキル・時間の不足」といった、表裏一体の真の課題を突き止めることが可能になります。今回のケースでは、以下のような課題が考えられるでしょう。
- 若手スタッフの課題
「日々の業務に追われ、自分のキャリアがこの先どうなるのか全く見えない。店長に相談しても、『見て覚えろ』と言われるだけで、具体的な成長の道筋を示してもらえない」 - 店長クラスの課題
「プレイングマネージャーとして自身の売上目標も背負っており、部下を育成する時間もスキルもない。会社からは『人を育てろ』と言われるが、具体的な支援は何もない」
このように、データ分析から課題の真因を特定し、的を射た仮説を立てること。これこそが、人的資本開示のデータを、具体的な組織変革のアクションへと繋げるための不可欠なステップとなるのです。
データからアクションへ:組織を動かす3つのステップ
C社の事例から分かるように、データ分析はそれ自体が目的ではありません。分析から得られたインサイトを、いかにして具体的な組織変革のアクションに繋げていくかが最も重要です。ここでは、そのための3つの実践的なステップを紹介します。
ステップ1:課題の「真因」を特定し、仮説を立てる
サーベイの結果やデータ分析で見えてきた課題の「兆候」に対して、「なぜそうなっているのか?」という問いを繰り返します。C社の例で言えば、「若手のスコアが低い」という事象に対して、「キャリア不安」という心理的な要因、さらにその背景にある「店長の育成スキル・時間の不足」という構造的な問題まで掘り下げました。
この「真因」が特定できたら、「もし、店長に部下育成のための時間とスキルを提供すれば、若手のキャリア不安が解消され、エンゲージメントが向上するのではないか」といった、具体的な「打ち手」の仮説を立てます。人的資本開示のデータを起点に、このような仮説をいくつも生み出すことが、人事部門の新たな役割として期待されます。
ステップ2:現場を巻き込み、小さく試す(PoC)
立てた仮説を、いきなり全社展開するのはリスクが伴います。まずは、課題が最も深刻な部署や、協力的な部署をパイロットケースとして選び、小さく試してみる(PoC:Proof of Concept)ことをお勧めします。
C社の場合、特にスコアが低かった2~3店舗を対象に、以下のような施策の試験的な導入が考えられます。
- 店長の業務時間のうち、週に2時間を「育成タイム」として確保する
- 店長向けのコーチング研修を実施する
この際、重要なのは、施策の目的と狙いを現場の店長やスタッフに丁寧に説明し、彼らを「やらされる側」ではなく、「改革の当事者」として巻き込むことです。
ステップ3:効果を測定し、学びを次に活かす
PoCを実施したら、必ずその効果を測定します。3ヶ月後、半年後に再度エンゲージメントサーベイ(あるいは、より簡易的なパルスサーベイ)を行い、施策導入前と比較してスコアにどのような変化があったかを確認します。
C社のケースでは、こうしたパイロット施策を通じて、若手スタッフの「キャリア展望」に関するスコアの改善や、店舗全体の離職率の低下といった成果が期待できます。
この測定された効果や、その過程で得られる「店長からは、育成に関する具体的な相談窓口が欲しいという声が上がった」といった新たな学びをセットにして経営陣に報告することで、次のステップ、つまり全社展開への説得力を格段に高めることができるでしょう。
このサイクルを回し続けることこそが、人的資本開示のデータを「生きた情報」として活用し、組織を継続的に改善していくための王道と言えるでしょう。
「開示」は、組織との対話のスタートライン
人的資本開示は、外部のステークホルダーに対する説明責任を果たすための行為であると同時に、自社の従業員という最も重要なステークホルダーと、データを通じて対話するためのスタートラインでもあります。
集められたデータは、組織の「声なき声」です。その声に真摯に耳を傾け、課題の真因を探り、現場を巻き込みながら解決策を実行していく。この地道なプロセスの繰り返しこそが、従業員の信頼を勝ち取り、真に強い組織を創り上げる唯一の道ではないでしょうか。人的資本開示を、そのための強力なドライバーとして活用できるか否かが、今後の企業の成長を大きく左右すると考えられます。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、組織サーベイの分析から課題特定、具体的なアクションプランの策定・実行まで、貴社の組織変革をサポートします。本コラムでご紹介したようなケースでお悩みの場合は、お気軽にお問い合わせください。