その人材ポートフォリオ、最後に更新されたのはいつですか?
「我が社にも人材ポートフォリオはある」。そう語る人事責任者の方にお話を伺うと、その実態は、数年前に一度作成されたきり、更新が止まってしまっているExcelファイルや、タレントマネジメントシステムの片隅に眠るデータである、というケースが少なくありません。最新の事業計画と、手元にある人員構成表。この二つを見比べた時、そこに明確な繋がりは見出せるでしょうか。
せっかく時間と労力をかけて策定した人材ポートフォリオが、なぜ「絵に描いた餅」になってしまうのでしょうか。その大きな原因の一つは、人材ポートフォリオを「静的な完成図」として捉えてしまうことにあります。
市場環境、技術革新、働き方の多様化など、企業を取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。その変化に対応するためには、人材ポートフォリオもまた、常に変化し続ける「動的な」存在でなければなりません。本コラムでは、人材ポートフォリオを真に生きた戦略ツールとするための、具体的な構築ステップを解説します。
なぜ「動的な人材ポートフォリオ」でなければならないのか
まず、「動的な人材ポートフォリオ」とは何か、その概念を明確にしておきましょう。これは、単に定期的にデータを更新するという意味合いに留まりません。
経営戦略や事業計画の変更、市場の変化といった外部環境の変化と、従業員のスキル向上やキャリア志向の変化といった内部環境の変化、その両方をリアルタイムに反映し、常に最適な人材配置や育成計画の意思決定を支援する仕組み、それが「動的な人材ポートフォリオ」です。
静的な人材ポートフォリオが「ある一時点でのスナップショット」だとすれば、動的な人材ポートフォリオは「常に流れ続ける映像」のようなものと言えるでしょう。この動的なアプローチによって初めて、以下のような戦略的人事が可能になると考えられます。
- 変化対応力の向上:新規事業の立ち上げや事業撤退の際に、迅速に必要な人材の特定と再配置が可能になる。
- 人材育成の最適化:将来的に不足するスキルを予測し、計画的なリスキリングや育成施策を打つことができる。
- 採用戦略の高度化:自社に今、そして将来的に本当に必要な人材像を明確にし、採用のミスマッチを防ぐ。
人材ポートフォリオの価値は、その鮮度と、意思決定への貢献度によって決まります。常に動き続けることこそが、その価値を最大化する鍵なのです。
「動的な人材ポートフォリオ」を構築する3つのステップ
それでは、実際に「動的な人材ポートフォリオ」を構築するためのステップを、3段階に分けて具体的に見ていきましょう。
ステップ1:現状(As-Is)の可視化:客観的なデータで現在地を知る
最初のステップは、自社の人材の「今」を客観的に把握することです。ここで重要なのは、属性データだけでなく、能力や志向性といった質的な情報も収集することです。
- 人材情報の収集と統合
人事システムに散在する、年齢、所属、役職、評価といった基本情報に加え、スキル、資格、経験プロジェクト、研修履歴などの情報を一元的に集約します。タレントマネジメントシステムの活用も有効な手段です。 - スキル・コンピテンシーの棚卸し
単なる資格の有無だけでなく、実践的なスキルレベルを可視化します。
例えば、「ビジネス創出スキル」「組織マネジメントスキル」「専門・テクニカルスキル」といった階層でスキルを定義し、上長評価、本人申告、時には客観的なアセスメントツールも活用して、スキルマップを作成します。これにより、個人の能力を客観性と納得感を持って把握できます。 - エンゲージメントや価値観の把握
組織サーベイなどを活用し、従業員のエンゲージメントレベルやキャリアに対する考え方、働きがいを感じるポイントなどをデータとして把握します。この「内面」のデータをスキルデータと掛け合わせることで、ハイパフォーマーがどのような環境で意欲的に働くのか、といった深い洞察を得ることが可能になります。
このステップで目指すのは、精緻な人材ポートフォリオデータベースの完成そのものではなく、議論のたたき台となる客観的な事実を揃えることです。
ステップ2:理想(To-Be)の定義:未来の事業戦略から人材像を描く
次に、経営戦略・事業戦略から逆算して、3年後、5年後に「あるべき人材の姿」を描きます。
- 事業戦略の分解
中期経営計画や事業計画を、「どのような機能や能力を持つ人材が、どれだけ必要か」という人材要件にまで分解します。例えば、「DX推進」という戦略であれば、「全社のデータ基盤を構想できるアーキテクト」「事業部の課題を解決するデータサイエンティスト」など、役割と期待される能力レベルまで具体化します。 - 将来の役割(ポジション)定義
既存の役職だけでなく、将来的に必要となる新たな役割を定義します。例えば、「AI倫理担当者」「サステナビリティ推進リーダー」など、未来を見据えたポジションを構想します。 - 理想の人材ポートフォリオの策定
ステップ1で用いた分析軸を使い、事業戦略を実現した状態の人材ポートフォリオを描きます。これにより、「量」と「質」の両面で、目指すべきゴールが明確になります。
ステップ3:ギャップ分析と施策立案・実行:差分を埋めるアクションへ繋げる
最後に、現状(As-Is)と理想(To-Be)を比較し、その間に存在するギャップを特定します。そして、そのギャップを埋めるための具体的な人事施策へと落とし込みます。
- ギャップの特定と優先順位付け
「量」のギャップ(人員の過不足)と、「質」のギャップ(スキルや専門性の過不足)を明確にし、事業戦略上のインパクトの大きさから、取り組むべき優先順位を決定します。 - 施策のポートフォリオ化
特定されたギャップに対して、「採用」「育成」「配置転換」「リテンション(定着支援)」といった複数の打ち手を組み合わせ、最適な解決策を計画します。
例えば、特定のスキルを持つ人材が不足している場合、「外部から採用する」「既存社員をリスキリングで育成する」という選択肢を比較検討します。 - KPI設定とモニタリング
各施策の進捗と効果を測るため、先行指標(採用数、研修時間など)と結果指標(スキル充足率、従業員エンゲージメント、離職率など)の両面からKPIを設定し、ダッシュボードなどで可視化し、定期的にモニタリングします。
動的運用を支える仕組み
3つのステップを実行しても、それが一回きりのイベントで終わってしまっては意味がありません。「動的な人材ポートフォリオ」を組織に根付かせるには、それを継続的に運用し、意思決定に活用するための「仕組み」が不可欠です。その中核となるのが、信頼性の高いデータをタイムリーに提供する「戦略的人材データ基盤」の整備です。
- 議論の場(タレントレビュー会議)の定例化
四半期ごとなど、定期的に経営陣、人事、事業部門長が集まり、人材ポートフォリオの最新状況を確認し、今後の打ち手について議論する「タレントレビュー会議」のような場を設けます。その際、データに基づいた客観的な議論は、施策の精度と関係者の納得度を飛躍的に高めます。 - プラットフォーム(タレントマネジメントシステム)の戦略的活用
システムを単なるデータ倉庫にせず、戦略的な意思決定を支援するプラットフォームとしてフル活用することが重要です。散在する人材データを一元的に集約・統合し、人材の検索や異動シミュレーション、後継者計画の管理など、必要な情報を必要な時に引き出せる環境を構築します。 - データ鮮度と精度の担保
データ基盤の価値は、その情報の鮮度と精度に大きく依存します。従業員のスキル変化やキャリア志向を定期的に更新するプロセスを業務に組み込む、あるいはシステム連携によって各種データを自動で取り込むなど、データが常に最新の状態に保たれる仕組みを設計することが、実用的なデータ基盤の鍵となります。信頼できるデータがあって初めて、人材ポートフォリオは経営の意思決定に耐えうるツールとなるのです。
構築プロセスそのものが、組織変革の第一歩となる
「動的な人材ポートフォリオ」の構築は、一度で完成するプロジェクトではありません。それは、経営と人事が一体となり、変化に対応し続けるための「仕組み」であり「文化」です。
今回ご紹介した3つのステップは、人材ポートフォリオを策定するプロセスそのものが、自社の現状を直視し、未来について考え、具体的なアクションを促す、組織変革のきっかけとなり得ることを示唆しています。まずは小さな範囲からでも、このサイクルを回し始めることが、持続可能な成長への道を切り拓くと考えます。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。「動的な人材ポートフォリオ」の構築や、その基盤となる人材アセスメント、スキルマップの作成など、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。