離職率は「下げる」だけでいい? 人的資本経営視点の「離職の質」管理

離職率という数字の呪縛から解き放たれる

「目をかけていた若手が突然辞めてしまった」
「採用しても定着しない」

こうした切実なご相談が、連日私たちのもとに寄せられます。離職率の上昇は、現場の疲弊や採用コストの増大を招くため、経営者や人事担当者様が「一刻も早く数字を改善しなければ」と焦燥感を抱くのは当然のことです。

しかし、ここで一度立ち止まって考えていただきたいのです。「離職率を下げること」自体が、本当にゴールでよいのでしょうか? 組織の新陳代謝が止まり、変化を拒む人材ばかりが残ることは、離職率が高いこと以上に深刻な経営リスクになり得ます。

本コラムでは、数字の増減に一喜一憂するのではなく、人的資本経営の視点から「離職の質」を見極め、組織を強くするための向き合い方について解説します。

「誰が辞めたか」を分析できていますか?

「戦略的な人材流動」と「損失となる人材流出」

離職率をマネジメントする上で重要なのは、「離職の質」の分類です。経営戦略上の影響度に基づき、離職は大きく以下の二つに分類されます。

第一に「戦略的な人材流動」です。これは、企業の事業ポートフォリオの転換やビジネスモデルの変革に伴い、求められる人材要件が変化した結果として生じるものです。旧来の業務プロセスやスキルセットに固執し、新しい環境への適応が困難な人材が組織を去ることは、組織の新陳代謝として不可欠なプロセスです。この場合の一時的な離職率上昇は、組織変革に伴う過渡的な現象として許容範囲内に収めるべきです。

第二に「損失となる人材流出」です。これは、経営戦略の中核を担うハイパフォーマー、将来の経営幹部候補、あるいは代替困難な専門スキルを持つ人材の離職を指します。これらの人材の流出要因は、報酬条件などの衛生要因にとどまらず、「成長機会の欠如」「経営ビジョンとの不一致」「裁量権の不足」といった動機づけ要因の不満に起因する場合が大半です。

これらを区別せず、一律に離職率の抑制を図ることは、本来リテンションすべき人材への資源集中を妨げ、逆に代謝が必要な人材の滞留を招く「組織の硬直化」につながる恐れがあります。コトラでは、全社一律の離職率目標ではなく、人材セグメントごとの定着率目標を設定することを推奨しています。

人材ポートフォリオに基づくリテンション戦略

効果的なリテンションを行うためには、「人材ポートフォリオ」の概念を取り入れ、対象を明確化する必要があります。人材ポートフォリオとは、自社の事業戦略に基づき、人材を役割や重要度に応じてセグメント化し、それぞれに適したマネジメント方針を策定するフレームワークです。

  1. 経営・事業牽引人材(コア層)
    事業の競争優位性を決定づける層。代替コストが極めて高く、離職が経営リスクに直結するため、個別の人事施策によるリテンションが最優先されます。
  2. 高度専門人材(スペシャリスト層)
    特定の技術や知識を有する層。労働市場における流動性が高いため、専門性を適正に評価する報酬制度や、柔軟な勤務形態などの環境整備が求められます。
  3. 定型業務人材(オペレーション層)
    標準化された業務を遂行する層。業務効率と生産性が重視されるため、一定の流動性を前提としつつ、採用・育成コストとのバランスを考慮した施策を行います。

このようにセグメントを区分することで、「コア層の離職率は極小化しつつ、オペレーション層は市場平均並みを許容する」といった、戦略的な目標設定が可能になります。全体平均の数値ではなく、事業戦略上の重要ポジションにおける人材充足状況と定着率をモニタリングすることが、人的資本経営におけるリスク管理のポイントです。

ハイパフォーマーの離職特性とEVPの再定義

特に留意すべきは、ハイパフォーマーほど外部労働市場からの需要が高く、離職の選択肢を常に持っているという事実です。彼らは自身の市場価値を客観的に認識しており、自社でのキャリアパスや成長機会が頭打ちになったと判断すれば、合理的に環境を変える選択をします。

彼らを組織に留めるためには、従来の「雇用保障」や「帰属意識」に訴える手法は機能しません。「この組織で働くことが、自身のキャリア価値向上に資する」という合理的な理由、すなわち従業員への価値提案(EVP:Employee Value Proposition)を明確に示す必要があります。キャリア自律を支援する制度設計や、挑戦的なアサインメントの提供を通じて、他社にはない魅力を提示し続けることが求められます。

データに基づく定量的・定性的分析の統合

「見えない約束」の不履行と潜在的リスク

退職者が語る離職理由は、必ずしも真実を反映していません。退職時の面談では、円満な退社を優先し、組織への不満や本音を回避する傾向があるためです。したがって、表面的な理由のみを鵜呑みにし、対策を講じることは効果的ではありません。

離職の根本原因を探るためには、会社と社員の間にある「見えない約束」に目を向ける必要があります。これは、書面上の雇用契約とは別に、従業員が組織に対して抱く「努力すれば正当に評価される」「組織は個人のキャリアを支援してくれる」といった暗黙の期待や信頼を指します。

離職の意思決定は、この「見えない約束」が一方的に破られたと感じた際に発生します。評価の不透明性、約束された機会の不履行、ハラスメントの放置などがその典型例です。これらは退職面談では顕在化しにくいため、在籍中からのモニタリングが必要です。

データによる予兆検知と早期介入

離職防止において最も重要なのは、退職の意思が固まる前の段階での「予兆検知」と「早期介入」です。そのため、組織サーベイやパルスサーベイによる定点観測データと、勤怠などの人事データを統合的に分析することを推奨しています。

注視すべき指標は、静的な満足度スコアではなく、時系列での変化や乖離です。

  • スコアの急激な変動
    特定部門や個人のエンゲージメントスコアの低下傾向。
  • 期待と実感の乖離
    「重視する価値観」と「現状の充足度」のギャップ(例:成長を重視するが、機会が提供されていない)。
  • 行動変容
    残業時間の急増減、会議への参加姿勢の変化、社内コミュニケーション量の減少など。

特に、高いパフォーマンスを維持しながらもエンゲージメントスコアが低下している状態は、「静かなる退職」の前兆である可能性が高く、最も警戒すべきシグナルです。この段階で、個別の1on1などを通じて介入できるかどうかが、リテンションの成否を分けます。

定着面談の活用とマネジメント支援

データにより離職リスクを検知した後のアクションとして、重要人材を対象とした「定着面談」が有効です。これは、退職時のヒアリングではなく、在籍中の社員に対し「何が組織へのリテンション要因となっているか」「どのような環境があればよりパフォーマンスを発揮できるか」「離職を検討するトリガーは何か」を直接的に確認する対話手法です。

この対話を通じて、個々の社員の価値観やキャリア志向を把握し、配置転換やプロジェクトへの抜擢など、個別最適化されたリテンション策を講じることが可能となります。

また、多くの離職要因が直属の上司との関係性に起因することを踏まえると、ミドルマネジメント層への支援も不可欠です。自身の業務も抱える管理職が増える中で、部下のキャリア支援やメンタルケアに十分なリソースを割けない管理職が増加しています。管理職に対する1on1スキルの向上研修や、組織状態を可視化するツールの提供、そして管理職自身の業務負荷軽減など、組織的な支援体制の構築が必要です。

離職率は結果指標であり、その背景には組織風土、人事制度、マネジメントの質など、複合的な要因が絡み合っています。これらをデータと対話の両面から分析し、構造的な課題を解決するプロセスこそが、人的資本経営の実践です。

企業の成長痛としての離職を受け入れる

離職率への取り組みは、自社の経営そのもののあり方を問う作業です。「離職率が低い状態」を盲目的に目指すのではなく、「事業戦略の実現に必要な人材が確保され、高いエンゲージメントを持って定着している状態」を目指すべきです。

離職率というデータを冷静に分析し、感情論ではなく戦略的な意思決定によって人材フローを制御できる企業こそが、不確実性の高い環境下でも持続的な競争優位性を維持できます。

貴社の離職率の数値は、どのような経営課題を示唆しているでしょうか。単なる数字の増減ではなく、その背後にある組織の実態を深く考察し、次なる一手を講じることをお勧めします。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西 裕也
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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