有価証券報告書に書いた目標、その後どうなっていますか?
有価証券報告書に、「3年後までに女性管理職比率を20%に」「エンゲージメントスコアを10ポイント向上させる」といった意欲的な目標(KPI)を掲げた企業は多いことでしょう。開示初年度は、その目標設定自体が一つの成果とされたかもしれません。
しかし、2年目、3年目を迎え、問われるのはその「進捗」です。もし、有価証券報告書に記載した目標が、いつの間にか忘れ去られ、具体的なアクションに繋がっていないとしたら、それは単に「目標未達」という問題に留まりません。株主・投資家に対する「約束」を軽視していると受け取られ、企業の信頼を大きく損なうリスクすら孕んでいます。
「開示のための開示」で終わらせない。本コラムでは、有価証券報告書で掲げたKPIを確実に達成し、真の人的資本経営を実践していくための、実効性あるマネジメントサイクルの構築について考えます。
高い目標を掲げたものの、現場がついてこないE社の葛藤
当社のご支援実績をもとに、あるグローバル展開する製薬会社E社のケースを例に考えてみましょう。
E社の経営陣は、ESG評価を意識し、有価証券報告書において、ダイバーシティ&インクルージョンに関する野心的なKPIを設定しました。しかし、その目標は、経営トップの号令として発せられたものの、具体的な達成計画が各事業部や現場のマネージャーにまで落とし込まれていませんでした。
現場のマネージャーたちは、日々の業績目標に追われる中で、新たに課されたKPIの重要性を十分に理解できず、「それは人事部の仕事だろう」と捉えていました。結果として、有価証券報告書に記載された目標と、現場の日常業務との間には大きな溝が生まれ、KPIの進捗は遅々として進まない状況に陥ってしまったのです。
E社の事例は、「戦略」と「実行」の断絶という、多くの日本企業が抱える普遍的な課題を示唆しています。有価証券報告書が、経営陣の理想を語るだけの「絵に描いた餅」になってしまっているのです。
開示と実践が乖離する、2つの根本原因
なぜ、E社のような事態が起きてしまうのでしょうか。私たちは、その根本原因を大きく2つに分類できると考えています。
経営のコミットメント不足と「現場への丸投げ」
最も大きな原因は、経営陣のコミットメントが「KPIを設定し、開示する」という段階で止まってしまうことです。そのKPIを達成するために、ヒト・モノ・カネといった経営資源をどう配分するのか、達成に向けた進捗をどのようにモニタリングし、経営会議のアジェンダとして議論するのか。そこまで踏み込んで設計されて初めて、組織は本気で動き始めます。
人事施策との連動性の欠如
もう一つの原因は、設定したKPIが、採用・育成・評価・配置といった具体的な人事施策と連動していないことです。
例えば、「多様性の推進」をKPIとして掲げるなら、採用の入り口でアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を排除するための面接官研修が必要な施策の一例となります。また、「次世代リーダーの育成」をKPIとしながら、評価制度が旧態依然の年功序列のままでは、目標達成は望めません。KPIと、それを支える人事制度や現場のマネジメントが、一気通貫で設計されている必要があります。
戦略実行の鍵は「現場のマネージャー」にあり
E社の事例が示すように、経営層が掲げた高尚なKPIも、現場のマネージャーが「自分ごと」として捉えなければ、何のアクションも生み出しません。私たちコトラは、この戦略と実行の間のギャップを埋める存在こそが、現場のマネージャーであると考えています。
エンゲージメントの向上、ダイバーシティの推進、人材育成といった人的資本KPIは、そのほとんどが、日々のマネージャーと部下のコミュニケーションの質によって左右されます。例えば、「エンゲージメントスコアを高める」という目標は、マネージャーが実践する「質の高い1on1」「効果的なフィードバック」「部下のキャリアへの関心」といった具体的な行動の積み重ねによって初めて達成されるのです。
したがって、KPI達成のための最も効果的な打ち手は、目標数値をただ現場に下ろすことではありません。そのKPIが「マネージャーの日々のどんな行動によって達成されるのか」を具体的に定義し、その行動を実践できるようマネージャーを支援(育成・動機付け)することです。
「有言実行」の組織となるためのマネジメントサイクル
では、開示したKPIを絵に描いた餅にしないために、具体的にどのような仕組みを構築すればよいのでしょうか。ここでは、実践的なマネジメントサイクルを3つのフェーズでご紹介します。
【Plan】KPIのブレイクダウンと現場目標への落とし込み
全社的なKPIを、各事業部や部署、最終的には個人の目標にまでブレイクダウンします。例えば、「全社のエンゲージメントスコア向上」という目標であれば、各部署では「1on1ミーティングの月次実施率」や「部署内勉強会の開催数」といった、より具体的なアクションプランに落とし込み、現場が「何をすればよいか」を明確にします。
【Do/Check】定期的なモニタリングとフィードバックの仕組み化
設定したKPIの進捗を、定点観測する仕組みを構築します。パルスサーベイやタレントマネジメントシステムを活用し、データをリアルタイムで可視化することが理想です。そして、そのデータを基に、月次や四半期ごとに経営会議や事業部会議でレビューを行い、計画と実績のギャップを確認し、軌道修正を図ります。
この「チェック」の機能こそが、計画の実効性を担保する上で最も重要です。
【Action】評価・報酬制度との連動
最終的に、KPI達成への貢献度を、部署や個人の評価、ひいては報酬に反映させる仕組みを検討します。これにより、従業員は人的資本KPIを「自分ごと」として捉えるようになり、目標達成に向けた自律的な行動が促進されます。ただし、短期的な数値目標だけを追うことの弊害も考慮し、慎重な制度設計が求められます。
有価証券報告書は、ステークホルダーへの「約束の証」である
有価証券報告書に人的資本に関する目標を記載するということは、株主や投資家をはじめとする、企業の持続的成長に期待を寄せるすべてのステークホルダーに対する公な「約束」を交わすことに他なりません。
その約束を、言葉だけでなく行動で示し、着実に成果を上げていく。その愚直な実践の積み重ねこそが、ステークホルダーからの揺るぎない信頼を勝ち取るための王道です。「開示して終わり」の時代は終わりました。これからは、「開示から実践へ」。その実行力こそが、企業の真価として問われる時代が来ています。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の人的資本開示の高度化をご支援します。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




