戦略連動を加速する「スキルベース」という新たな羅針盤

社員の「スキル」は事業環境の変化に追いついていますか?

「DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進せよ、と号令はかかったものの、社内に知見のある人材がいない」
「長年培ってきた技術や経験が、新しい事業領域で通用しなくなってきている」
「社員のキャリアパスが固定化しており、自律的な学びの文化が醸成されない」

こうした課題は、特に歴史のある企業において、経営の根幹を揺るがしかねない問題となっています。従来の年功序列や職能資格制度といった、メンバーシップ型雇用の仕組みが、現代の急速な事業環境の変化に対応しきれなくなっていることの表れとも言えるでしょう。

この構造的な課題を解決し、経営戦略と人材戦略の連動を真に実現するための新たな羅針盤として、今「スキルベース」という考え方が注目を集めています。

DXの掛け声だけが響く…老舗食品メーカーの苦悩

当社のご支援実績をもとに、ある老舗の食品メーカーC社のケースを例に考えてみましょう。C社は、品質の高い伝統的な製品で安定した収益を上げてきましたが、市場の成熟と消費者ニーズの多様化に直面し、経営戦略として「EC事業の強化とデータドリブンな商品開発」を掲げました。

しかし、その戦略はなかなか軌道に乗りませんでした。理由は明確で、社内の人材のスキルセットが、従来の製造・営業中心のものに偏っていたためです。

  • データ分析やデジタルマーケティングのスキルを持つ人材がほぼ皆無。
  • 人事制度が勤続年数や役職で評価される仕組みのため、社員が新たなスキルを習得するインセンティブが働かない。
  • 誰がどのような潜在的なスキルを持っているのか、会社として全く把握できていない。

C社の経営陣は、外部から専門人材を採用しようと試みましたが、旧来の組織文化や評価制度が壁となり、優秀な人材の獲得・定着には至りませんでした。このように、戦略だけが先行し、それを支える「人」と「仕組み」の変革が伴わない限り、経営戦略と人材戦略の連動は果たせないのです。

「人」を「スキル」で捉え直すというパラダイムシフト

C社のような状況を打破する鍵が、「スキルベース型人事」への転換です。これは、従来の「人(Who)」に紐づいていた役職や等級ではなく、「業務(What)」を遂行するために必要な「スキル」を基軸に、採用・育成・配置・評価といった人事制度全体を再設計するアプローチです。

このアプローチの最大の利点は、経営戦略と人材戦略の間に「スキル」という客観的で具体的な共通言語が生まれることです。 経営戦略を達成するために必要なスキルの集合体を定義し(To-Be)、現在の組織が保有するスキルの棚卸しを行う(As-Is)。そのギャップを明確にすることで、人事施策の精度が飛躍的に向上します。

また、私たちコトラは、スキルベースへの移行は単なる制度変更に留まらず、社員のキャリア自律を促すという重要な側面を持つことを強調したいと思います。

社員一人ひとりにとって、自分の持つスキルが会社の中でどのように評価され、どのようなキャリアパスに繋がるのかが可視化されることで、主体的にスキルアップに取り組む動機付けが生まれます。企業の成長(経営戦略の実現)と、個人の成長(キャリア形成)が、「スキル」を介して同じ方向を向く。これこそが、これからの時代に求められる経営戦略と人材戦略の連動の理想的な姿であると考えられます。

スキルベース導入に向けた実践的3つの視点

自社にスキルベースの考え方を取り入れる際、どこから手をつければ良いのでしょうか。以下の3つの視点から、スモールスタートで始めることをお勧めします。

視点1:戦略から逆算し、重要な「クリティカルスキル」を定義する

全社のスキルを一度に定義するのは現実的ではありません。まずは、経営戦略の実現に最もインパクトを与える「クリティカルスキル」に的を絞ることが成功の鍵です。

  • 戦略とスキルの接続
    経営陣や事業責任者を巻き込み、「3年後、我が社の競争優位性の源泉となる能力は何か?」という問いから始めます。C社の例であれば、「データに基づく顧客理解力」「迅速な商品開発サイクル」などが挙げられるでしょう。
  • スキルへの分解とレベル定義
    次に、その能力を具体的なスキル項目に分解します。「データに基づく顧客理解力」であれば、「SQLでのデータ抽出」「統計解析」「データ可視化ツールの活用」といったスキルに分解できます。
    さらに、各スキルを「レベル1:指導を受けながら実行できる」から「レベル4:他者を指導できる」というように、客観的に測定可能な共通の物差し(レベル定義)を設けることが極めて重要です。これにより、全社で「スキルの共通言語」が生まれます。

視点2:「スキルの可視化」を通じて、現状と理想のギャップを把握する

定義したスキルを基に、全社の「スキル保有状況」を明らかにします。これが、戦略的な人材育成や配置の土台となるデータとなります。

  • スキルの棚卸しの実施
    本人申告と上長評価を組み合わせて、定義したクリティカルスキルについて「誰が、どのレベルにあるのか」を評価し、データを収集します。
    この際、評価の目的が「個人の成長支援のため」であることを明確に伝え、社員が正直に申告できる心理的安全性を確保することが不可欠です。
  • ギャップ分析と共有
    収集したデータを分析し、組織全体のスキルギャップを可視化します。例えば、ヒートマップのような形で、「マーケティング部門は『データ可視化』スキルが特に不足している」といった組織単位の課題を明らかにします。この分析結果を経営層や各部門長と共有し、課題認識を合わせることが、次のアクションの納得感を高めます。

視点3:リスキリングの機会とキャリアを連動させた「インセンティブ」を提供する

スキルギャップが明らかになったら、それを埋めるための具体的な「学びの機会」と、学んだ社員が報われる「仕組み」を両輪で設計します。

  1. 多様な学習機会の提供
    • Off-JT
      外部研修やe-ラーニングなど、体系的な知識をインプットする機会。
    • OJT
      実務の中でスキルを活用する経験。例えば、不足しているスキルを持つ部署への短期異動や、新しいスキルが求められるプロジェクトへの抜擢などが考えられます。学んだスキルを「使う」経験が、定着には不可欠です。
  2. 人事制度との連動(キャリアへの接続)
    • 評価・昇格
      クリティカルスキルの習熟度を、人事評価や昇格・昇進の要件に明確に組み込みます。「そのスキルを身につけることが、自身のキャリアアップに直結する」という道筋を示すことが、社員の自律的な学習意欲を強力に後押しします。
    • キャリアパスの明示
      社員が「次のステップに進むためには、このスキルが必要だ」と自律的にキャリアを考えられるよう、職種ごとのスキルマップとキャリアパスを公開することも有効です。

スキルは、企業と個人の未来を拓く共通資産

本コラムでは、事業環境の変化に対応するための新たなアプローチとして「スキルベース」の考え方をご紹介しました。

従来の属人的な人事から脱却し、「スキル」という客観的なものさしを導入することは、経営戦略と人材戦略の連動を加速させる強力なエンジンとなります。社員一人ひとりが持つスキルという「資産」を最大限に活かし、戦略的に強化していくこと。それが、企業の競争力を高め、同時に社員の働きがいをも向上させる、持続可能な人的資本経営の本質と言えるでしょう。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と、スキルベース型人事制度の導入支援の豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。貴社の戦略実現に必要な人材育成・制度設計について、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西裕也
リサーチャー兼コンサルタント

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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