「エンゲージメントスコアは70点です」だけでは伝わらない
2023年3月期決算から、有価証券報告書における人的資本情報の開示が義務化されました。これを受け、開示が義務化された「女性管理職比率」「男女間賃金格差」などに加え、多くの企業が「従業員エンゲージメントスコア」を開示項目として採用しています。しかし、単にスコアをぽんと開示するだけで、その情報が持つ本来の価値を投資家に伝えきれているでしょうか。
「当社のエンゲージメントスコアは70点です」。この一文から、投資家は何を読み取れるでしょうか。このスコアが高いのか低いのか、業界平均と比較してどうなのか、そして最も重要なこととして、このスコアが将来の企業価値とどう結びつくのか。これらの文脈がなければ、開示された数字は意味を持たない記号に過ぎません。
本コラムでは、人的資本開示という文脈において、エンゲージメントという指標をいかに戦略的に位置づけ、投資家をはじめとするステークホルダーが納得するストーリーとして伝えていくべきか、そのポイントを探ります。
【事例】開示内容に苦慮した老舗機械メーカーC社の転換
当社のご支援実績をもとに、ある老舗の機械メーカーC社のケースを例に考えてみましょう。C社は、長年にわたり安定した業績を維持してきましたが、市場のグローバル化とデジタル化の波に対応するため、ビジネスモデルの変革が急務となっていました。
経営陣は、変革の原動力は社員一人ひとりの自律的な貢献、すなわちエンゲージメントにあると考え、数年前からサーベイを実施していました。人的資本開示の義務化を受け、C社のIR担当者は、このエンゲージメントスコアを開示項目に含めることを決めました。しかし、当初の開示案は「エンゲージメントスコア:65点(前年比+2pt)」というシンプルなものでした。
これに対し、複数の機関投資家との対話の中で、「なぜ貴社にとってエンゲージメントが重要なのか」「スコア向上のために具体的に何をしていて、それがどう業績に繋がるのか」といった本質的な問いが投げかけられました。C社の経営陣は、自社の取り組みを十分に伝えきれていないこと、そしてエンゲージメントを単なる「社内イベント」の成果指標程度にしか位置づけられていなかったことを痛感しました。このままでは、エンゲージメントへの投資がコストとしてしか見なされない、という危機感を覚えたのです。
鍵は「戦略との接続」と「独自の因果関係」の提示
投資家が人的資本情報、特にエンゲージメントのような非財務情報に求めているのは、それが企業の持続的な価値創造、すなわち将来のキャッシュフロー創出能力にどう繋がっているのかという論理的な説明です。
この期待に応えるためには、単なるスコアの開示に留まらず、以下の二つの要素を明確にストーリーとして示す必要があります。
- 人材戦略・経営戦略との接続
なぜ、自社にとってエンゲージメントの向上が重要なのか。それを自社の経営戦略やビジネスモデルと関連付けて説明することが不可欠です。
例えば、「新規事業創出を加速させるため、社員の自律的な挑戦を促す土壌としてエンゲージメントを重視している」「顧客満足度を高めるためには、最前線でサービスを提供する社員のエンゲージメントが不可欠である」といった具体的な接続性が求められます。 - 独自の因果関係(ロジックモデル)の提示
エンゲージメント向上に向けた施策(Activity)が、どのようにエンゲージメントスコアの上昇(Output)に繋がり、それがさらにどのような成果(Outcome)、例えば生産性向上、離職率低下、顧客満足度向上、イノベーション創出などに繋がり、最終的に財務的な成果(Impact)に結びつくのか。この一連の因果の連鎖を、自社特有の文脈で示すことが重要です。
コトラでは、こうしたストーリー構築をご支援する際、ISO30414などの国際的なガイドラインも参考にしつつ、各企業の固有の価値創造モデルに寄り添うことを重視します。画一的な指標を並べるのではなく、自社の言葉で、自社の戦略とエンゲージメントの繋がりを語ること。それこそが、投資家からの深い理解と信頼を獲得する王道といえるでしょう。
開示ストーリーを補強する具体的なアクション
説得力のあるストーリーを語るためには、その裏付けとなる具体的な取り組みが必要です。人的資本開示をきっかけに、自社のエンゲージメント向上施策を再評価し、戦略的に強化していくことが求められます。
例えば、以下のようなアクションが考えられます。
- 指標の精緻化
全社一律のエンゲージメントスコアだけでなく、経営戦略上、特に重要な部門(例:研究開発部門、DX推進部門など)のスコアを個別に測定・開示し、その動向を重点的に説明する。 - 施策と指標の連動性の分析
実施した施策(例:リーダーシップ開発研修、スキルベースの人事制度導入など)が、実際にエンゲージメントのどの側面に、どの程度影響を与えたのかをデータで分析し、その結果を開示内容に反映させる。 - 定性情報の充実
数字だけでなく、エンゲージメント向上の結果として生まれたイノベーションの事例や、社員の声などを具体的に紹介し、ストーリーに深みとリアリティを与える。
これらのアクションは、一朝一夕に実現できるものではありません。しかし、開示をゴールとせず、自社の人的資本経営を深化させるための機会と捉え、継続的に取り組む姿勢こそが、投資家からの評価に繋がります。
エンゲージメント開示は、未来への自信の表明
人的資本開示におけるエンゲージメント情報の提供は、単なる数値の報告にとどまりません。それは、自社の最も重要な資本である「人」への投資がいかに未来の企業価値を創造するかを、論理的かつ情熱的に語る絶好の機会です。
エンゲージメントを経営戦略の中核に位置づけ、その向上に向けた具体的な取り組みと成果、そして未来への繋がりを独自のストーリーとして語ること。その真摯な姿勢は、投資家に「この会社は、持続的な成長の本質を理解している」という深い信頼感を与え、中長期的な企業価値の向上に大きく貢献するはずです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の人的資本開示の高度化をサポートします。エンゲージメントと企業価値を繋ぐストーリーの構築から、ISO30414認証取得支援まで、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。