「また、有望な若手が辞めてしまった…」その嘆きの裏にある真実
「手塩にかけて育てたエース級の社員から、突然の退職願を突きつけられた」
「採用市場で高い評価を得て入社したはずの優秀な人材が、なかなか定着しない」
多くの経営者や人事担当者が、このような深刻な課題に直面しています。離職の理由をヒアリングしても、「一身上の都合」や「新たなキャリアへの挑戦」といった建前の言葉が並ぶばかりで、本質的な原因が見えずに頭を抱えているケースは少なくありません。
もちろん、報酬や待遇、労働環境も重要な要素です。しかし、それらが一定水準以上であるにも関わらず離職が続く場合、問題の根源はもっと別の場所、すなわち職場の「心理的安全性」の欠如にある可能性が高いと考えられます。本コラムでは、人材定着の核心的な要素として心理的安全性に焦点を当て、その重要性と具体的な高め方について解説していきます。
エンゲージメントが生まれるための前提条件
従業員エンゲージメント、すなわち「仕事に対する熱意や貢献意欲」は、企業の生産性や業績に直結する重要な指標です。多くの企業がエンゲージメントサーベイを導入し、スコアの向上を目指していますが、魅力的な報酬制度やキャリアパスを提示するといった施策を講じても、期待した効果が得られないという声も頻繁に耳にします。
その根本的な理由は、エンゲージメントが発揮されるための前提条件が満たされていないことにあります。その中でも重要な前提条件こそが「心理的安全性」です。心理的安全性は、従業員が安心して仕事に没頭し、自発的に貢献しようとする意欲の基盤となります。この基盤がなければ、どのような施策もその効果を十分に発揮することは難しいでしょう。
心理的安全性が確保されていない職場では、従業員は常に以下のような不安を抱えています。
- 「新しい提案をしても、否定されるだけで誰も聞いてくれない」
- 「困っていることがあっても、弱みを見せたくなくて相談できない」
- 「チームの目標達成のためでも、他部署の領域に踏み込むと角が立つ」
このような環境下では、従業員は自己防衛にエネルギーを費やさざるを得ず、仕事への情熱や貢献意欲、すなわちエンゲージメントを発揮することが困難になります。結果として、自身の成長機会を求めて、より心理的安全性の高い環境、つまり安心して能力を発揮できる職場へと去っていくのです。心理的安全性の高め方を学ぶことは、離職防止の第一歩と言えるでしょう。
投資家も注目する「人材定着」と企業価値
従業員の離職は、もはや単なる人事部門の課題ではありません。投資家が企業価値を評価する上で重視する「人的資本」の重要な指標の一つです。私たちコトラは、企業の人的資本開示やISO30414認証取得をご支援する中で、多くの経営層やIR責任者がこの課題に直面しているのを目の当たりにしてきました。
統合報告書や人的資本レポートにおいて、ただ離職率のデータを提示するだけでは、投資家からの信頼を得ることはできません。彼らが知りたいのは、「なぜ離職が起きているのか」という原因の分析と、「それに対して企業がどう本質的な対策を講じているのか」という具体的なストーリーです。
高い離職率の背景に心理的安全性の欠如という課題があることを特定し、その改善に向けた組織的な取り組みを開示することは、企業が自社の課題に真摯に向き合い、持続的な成長を目指していることの力強い証明となります。心理的安全性を高めることは、人材流出を防ぐ守りの一手であると同時に、企業価値を高める攻めの経営戦略でもあるのです。
人材流出を食い止める4つの打ち手
心理的安全性の欠如が離職の根本原因であるとすれば、どのような対策を講じるべきでしょうか。ここでは、組織の心理的安全性の高め方として、具体的な4つの打ち手を提案します。
「話せる場」の設計と質の向上
従業員が安心して本音を話せる機会を、意図的に設計することが重要です。
- 1on1ミーティングの形骸化防止
多くの企業で導入されている1on1ですが、「単なる進捗確認の場」になっているケースが散見されます。上司は「聞く」姿勢に徹し、部下のキャリア観やコンディション、困りごとなどを引き出す「対話」の場として再定義する必要があります。そのための管理職向けトレーニングは不可欠です。 - チーム単位での対話セッション
定期的にチーム全員で集まり、仕事の進め方やチーム内のルールについて、誰もがフラットに意見を言える場を設けます。「Good & New(最近あった良かったこと)」の共有など、ポジティブな話題から始めるのも効果的です。
「失敗」の再定義とナレッジ化
挑戦には失敗がつきものです。失敗を個人の責任として追及するのではなく、組織の貴重な学びとして捉え直す文化を醸成します。
- 「アンラーニング(学習棄却)」の推奨
過去の成功体験が、新しい挑戦の足かせになることがあります。失敗を恐れずに新しい方法を試し、うまくいかなかった原因をチームで冷静に分析し、次に活かすプロセスを推奨します。 - ナレッジ共有の仕組み化
失敗事例やヒヤリハットを共有・蓄積するデータベースを構築し、優れた共有を行ったチームや個人を表彰するなど、失敗からの学びをオープンにすることを奨励します。
兆候の早期発見とデータ活用
離職の兆候は、エンゲージメントサーベイやパルスサーベイのデータに現れることがあります。
- サーベイデータの定点観測
エンゲージメントスコアの急激な低下や、特定のチームにおける心理的安全性に関する項目の悪化は、危険信号です。これらのデータを定点観測し、変化の兆候を早期に捉えて人事部門が介入・支援する体制を整えます。 - テキストマイニングの活用
サーベイのフリーコメント欄には、従業員の生々しい本音が隠されています。テキストマイニング等の技術を用いて、ポジティブ・ネガティブな意見の傾向や、特定のキーワード(例:「相談できない」「一方的」など)の出現頻度を分析し、潜在的な課題を掘り起こします。
オンボーディングプロセスの見直し
特に新しいメンバーが組織にスムーズに溶け込めるかどうかは、心理的安全性の観点から極めて重要です。
- メンター制度の充実
業務の指導役とは別に、気軽に何でも相談できる「メンター」を配置し、新人の心理的な孤立を防ぎます。 - チーム全体での歓迎
新メンバーの歓迎ランチや、自己紹介の機会を意図的に設けるなど、チーム全体で新しい仲間を受け入れる文化を醸成します。
心理的安全性は、人が育ち、定着する組織の根幹である
優秀な人材の離職は、企業にとって計り知れない損失です。その連鎖を断ち切るためには、目先の待遇改善だけでなく、従業員が安心して挑戦し、貢献意欲を高く持ち続けられる組織文化、すなわち心理的安全性の高い職場を構築することが不可欠です。
心理的安全性の向上は、単に離職率を下げるだけでなく、従業員一人ひとりの成長を促し、結果として組織全体の力を底上げする最も効果的な人材戦略と言えるでしょう。それは一朝一夕に実現するものではありませんが、本コラムで示したような実践的なアプローチを粘り強く続けることで、人は育ち、定着し、そして企業は力強く成長していくことができるのです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。エンゲージメントサーベイの分析から、人的資本開示の文脈で人材定着の課題をどう捉え、具体的な改善策に繋げるかといったことまで、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。