人的資本開示の義務化、その次に来るものとは
「人的資本開示の義務化に、ようやく対応の目処が立った」
「しかし、この取り組みは今後どこへ向かっていくのだろうか?」
規制への対応に一息ついた今、先進的な企業の経営者や人事担当者の皆様は、すでにその先の未来を見据え、このような問いを自らに投げかけているかもしれません。
現在の人的資本開示の義務化は、一連の制度対応のゴールではなく、企業経営における人的資本の重要性がさらに高まっていく、大きな変化の始まりと捉えることができます。これは単なる情報開示ルールの変更に留まらず、企業と人の関係性や、企業の社会的役割そのものが見直されていく過程の一環である、という見方が広がっています。
本コラムでは、人的資本開示の「次」に来る潮流を読み解き、未来のサステナブル経営に向けて、企業が今から備えるべきことの本質を探ります。
「義務化の次」に来る3つの大きな潮流
人的資本開示の流れは、今後ますます加速し、深化していくと予測されます。その中でも特に重要と考えられる3つの潮流について考察します。
潮流1:「戦略連動性」と「比較可能性」の追求
現在はまだ、各社が独自の方法で情報を開示している面がありますが、投資家やステークホルダーの関心は「開示しているか否か」から「開示情報が経営戦略とどう結びついているか」へと急速にシフトしています。単に指標を並べるだけでは不十分であり、自社の事業戦略やビジネスモデルと、人的資本への投資がいかに連動し、企業価値の向上に貢献しているのか、そのストーリーを具体的に示すことが求められています。
さらに、ISO30414のような国際的なガイドラインの普及により、グローバルな「比較可能性」も求められます。これにより、企業は自社の人的資本への取り組みを、客観的な物差しの上で他社と比較される時代を迎えることになります。
潮流2:「従業員体験(EX)」への注目の高まり
人材獲得競争が激化し、働き方が多様化する中で、従業員を惹きつけ、その能力を最大限に引き出すための「従業員体験(EX)」の重要性は、ますます高まっています。給与や福利厚生といった従来の魅力だけでは、優秀な人材の獲得・定着は困難です。
2025年現在、問われているのは「その会社で働くことで、どのような成長や働きがいを感じられるか」という、より本質的な価値です。ハイブリッドワークの浸透により希薄化しがちなエンゲージメントの維持・向上や、従業員の精神的・身体的健康を支えるウェルビーイングへの取り組みは、企業の持続的成長に不可欠な要素となっています。人的資本開示においても、これらの取り組みの質と実効性が厳しく評価されます。
潮流3:生成AI時代に対応する「戦略的リスキリング」へのシフト
第3の潮流として、事業変革と直結した「戦略的リスキリング」への本格的なシフトが挙げられます。特に、生成AIをはじめとするテクノロジーの急速な進化は、既存の業務や求められるスキルを根底から変えつつあります。
これからの人材育成は、単なる研修の実施に留まりません。自社の事業戦略に基づき、「将来どの事業領域で、どのようなスキルが、何人分必要になるか」を予測し、そのギャップを埋めるための体系的かつ大規模な学び直しの機会を、いかに戦略的に提供できるか。この巧拙が、企業の競争力を直接的に左右します。
人的資本開示では、研修やリスキリングへの投資額だけでなく、その結果として従業員のスキルがどう変化し、事業にどう貢献したか、という成果までが問われるようになるでしょう。
個人のキャリア自律と組織の成長の両立
これらの未来の潮流を見据えたとき、企業の競争力の源泉は、「従業員を管理する」という発想から、「個人のキャリア自律を支援し、個の成長と組織の成長を両立させる」という発想へと転換していくと考えられます。
変化の激しい時代において、企業が従業員のキャリアを終身で保証することは困難です。一方で、従業員が社内外で通用する専門性やスキルを身につけられるよう、挑戦の機会や学びの場を積極的に提供する。そうした企業こそが、変化に対応できる強い組織となり、結果として優秀な人材から選ばれ続ける存在となるでしょう。
人的資本開示は、こうした企業の姿勢を社外に示すための重要なコミュニケーションツールとなります。
開示戦略を高度化する3つの視点
では、これらの潮流を踏まえ、他社との差別化を図り、企業価値向上に繋げるためには、開示戦略をどのように高度化すればよいのでしょうか。3つの具体的な視点を提案します。
視点1:パーパスを起点としたナラティブを構築する
開示情報の説得力は、一貫した物語(ナラティブ)があるか否かにかかっています。その出発点となるのが、企業の存在意義である「パーパス」です。パーパスを起点とし、
- 自社のパーパス
- それを実現する経営戦略
- 戦略実行に不可欠な人材戦略
- 具体的な人事施策とKPI
という論理的な連なりを明確にすること。この一貫したストーリーラインが、個別の開示項目に意味と説得力を与えます。
視点2:ウェルビーイングへの投資と効果を可視化する
ウェルビーイングへの取り組みを開示する際には、単に制度の有無や投資額を示すだけでは不十分です。重要なのは、その投資がもたらした「効果」をデータで示すことです。例えば、健康経営への投資と、生産性指標の向上や離職率の低下との相関関係を分析し、開示すること。これにより、ウェルビーイングへの取り組みがコストではなく、将来の企業価値を創造する「投資」であることを客観的に証明できます。
視点3:人材育成の進捗と事業への貢献を開示する
戦略的リスキリングなどの人材育成についても、その「成果」の開示が求められます。研修の実施時間や参加者数といったインプット情報に加え、「育成の結果、特定の専門スキルを持つ人材が何名増加したか」「新たなスキルが新規事業の創出にどう貢献したか」といったアウトプット・アウトカム情報を示すことが重要です。これにより、人材育成が事業成長に直結していることを具体的に伝えられます。
開示の高度化が、企業の競争力を左右する
人的資本開示は、単なる報告義務を遵守するフェーズから、いかに戦略的に活用し、企業価値向上に繋げるかというフェーズへと移行しました。
今回提示した潮流を的確に捉え、自社の開示戦略を継続的に高度化していくこと。それが、ステークホルダーとの建設的な対話を促進し、信頼を獲得するための鍵となります。人的資本開示は、もはや企業の競争戦略そのものの一部であると言えるでしょう。
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