「開示のための開示」で終わらせないために
有価証券報告書における人的資本情報の開示義務化を皮切りに、今や統合報告書やサステナビリティレポートにおいても、従業員エンゲージメントに関する記載はスタンダードとなりつつあります。
多くの企業がエンゲージメントサーベイのスコアを開示項目の一つとして挙げていますが、「とりあえず数値を載せている」という段階に留まってはいないでしょうか。投資家やステークホルダーが本当に知りたいのは、単なるスコアそのものではなく、その数値が企業の持続的な成長とどう結びついているのか、という「ストーリー」です。
本コラムでは、エンゲージメントサーベイの結果を戦略的に活用し、他社との差別化を図り、企業価値向上を雄弁に物語るための「ストーリー戦略」について解説します。
開示の本質:数値の羅列から「価値創造の物語」へ
人的資本開示の目的は、単なる情報公開や法令遵守ではありません。その本質は、自社の人材戦略が、いかにして企業価値の創造に結びついているのか、その因果関係を論理的に、そして魅力的に説明することにあります。
この文脈において、エンゲージメントサーベイのスコアは価値創造につながる一要素に過ぎません。
- 「エンゲージメントスコアはXX%でした」
- 「前年比でXポイント上昇しました」
これだけの記述では、投資家は「それで、何が言えるのか?(So What?)」という疑問を抱くでしょう。そのスコアが、例えば生産性の向上、離職率の低下、イノベーションの創出といった経営課題の解決にどう貢献しているのか。あるいは、自社の経営理念やパーパスの浸透度をどう反映しているのか。そこまで語られて初めて、数値は意味を持ち始めます。
エンゲージメントを「未来への先行指標」として語る
私たちコトラは、開示におけるエンゲージメントの位置づけを、単なる「結果指標」から、未来の企業価値を生み出す「先行指標」へと転換することを提案します。
「結果指標」としての見方は、「良い経営をした結果、エンゲージメントが高まりました」という過去形の説明に留まります。これに対し、「先行指標」として捉えるとは、「高いエンゲージメントを維持・向上させることが、将来のイノベーション創出や顧客満足度向上に繋がり、ひいては持続的なキャッシュフローを生み出す原動力となります」という未来形のストーリーを語ることです。
この視点の転換により、エンゲージメントへの取り組みは、単なる福利厚生的なコストではなく、未来の成長に向けた「戦略的投資」として位置づけることができます。エンゲージメントサーベイは、その投資効果を測定し、次なる一手へと繋げるための重要な羅針盤となるのです。このストーリーを描くためには、自社の事業戦略と人材戦略の連動性を深く理解していることが不可欠です。
企業価値を高めるストーリー構築の実践ステップ
では、エンゲージメントサーベイのデータを活用し、説得力のあるストーリーを構築するには、具体的にどうすれば良いのでしょうか。ここでは、統合報告書などでの開示を想定した、4つのステップをご紹介します。
ステップ1:マテリアリティ(重要課題)との接続
まず、自社が特定したマテリアリティ(経営における重要課題)と、エンゲージメントを結びつけます。例えば、「イノベーションによる新規事業創出」をマテリアリティとして掲げている企業であれば、エンゲージメントが高い状態が、いかに心理的安全性を高め、挑戦を促し、結果としてイノベーションに繋がるのか、その論理的な繋がりを明確に定義します。この接続が、ストーリーの「背骨」となります。
ステップ2:課題認識と目標(KPI)設定
次に、エンゲージメントサーベイの結果に基づき、現状の課題を誠実に開示します。完璧な組織は存在しません。むしろ、「サーベイの結果、特に若手層の『成長実感』に課題があることが分かりました」といった具体的な課題認識を示すことは、組織を客観的に把握できているという信頼に繋がります。
その上で、課題解決に向けた具体的な目標(KPI)を設定します。「若手層の『成長実感』スコアを2年でXポイント向上させる」といった目標を掲げることで、コミットメントの強さを示すことができます。
ステップ3:施策と進捗の具体例
設定したKPI達成のために、どのような施策を実行しているのかを具体的に記述します。ここがストーリーの「肉付け」の部分です。
例1:若手層の「成長実感」向上
- 課題・目標
「若手層の成長実感スコアの低迷」という課題に対し、「2年間でスコアを10ポイント向上」というKPIを設定。 - 施策と進捗
「課題解決のため、メンター制度の拡充や、スキルマップを活用したキャリア面談を導入しました。その結果、1on1の満足度が向上し、サーベイにおける成長実感のスコアにも改善の兆しが見られます。」
例2:部門間の連携強化によるイノベーション促進
- 課題・目標
「部門間の連携不足がイノベーションを阻害している」という課題に対し、「部門間連携スコアを15ポイント向上させ、部門横断プロジェクト数を20%増加させる」というKPIを設定。 - 施策と進捗
「技術部門と営業部門の合同ワークショップを四半期ごとに開催し、相互理解を深める場を設けました。また、社内公募による部門横断プロジェクト制度を新設しました。これにより、共同での新規事業提案が生まれ始めており、サーベイの関連スコアも前年比で5ポイント改善しています。」
このように、「課題→目標→施策→進捗」という一連の流れを示すことで、ストーリーに説得力と具体性が生まれます。エンゲージメントサーベイは、この進捗を測るための重要な定点観測データとなります。
ステップ4:将来への展望と経営者の言葉
最後に、これらの取り組みが、マテリアリティの達成を通じて、中長期的にどのような企業価値向上に繋がるのか、その展望を語ります。そして、可能であれば経営者自身の言葉で、人的資本とエンゲージメントに対する想いや哲学を述べることが極めて効果的です。経営のコミットメントが感じられることで、ストーリー全体の信頼性は格段に高まります。
戦略的な情報開示は、未来への価値ある投資
エンゲージメントサーベイは、社内の組織改善ツールであると同時に、社外のステークホルダーとの対話を豊かにするための強力なコミュニケーションツールでもあります。
サーベイの結果を、自社の価値創造ストーリーの中に戦略的に位置づけること。その数値を、過去の説明ではなく、未来への約束として語ること。この視点を持つことで、人的資本開示は単なる義務から、企業の競争優位性を構築するための「未来への投資」へと昇華するでしょう。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の人的資本開示の高度化や、エンゲージメントサーベイの結果を戦略的に活用したストーリー構築をサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。