部署間の壁を越えよ 有価証券報告書の人的資本開示プロジェクト

「このデータ、どの部署が持っているんだ?」 有価証券報告書の舞台裏

2025年7月9日、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版」における金融庁の主な施策が公表されました。そこでは「有価証券報告書における人的資本に関する情報開示の充実を図ることを検討する」との記載があり、有価証券報告書での人的資本開示の重要性が示唆されています。

その一方で、多くの担当者が頭を抱える共通の課題があります。それは、情報収集の困難さと、部署間の連携不足です。

「育成に関するデータは人事部だが、ダイバーシティ関連は各事業部で動いている」「健康経営のデータは総務部、コンプライアンス研修の履歴は法務部…」といったように、開示に必要な情報が社内に散在し、その所在や定義すら曖昧であるケースは少なくありません。

結果として、人事部やIRの担当者が情報を求めて社内を駆け回り、疲弊してしまう。これは、人的資本開示を「特定部署のタスク」として捉えている場合に陥りがちな典型的な状況です。本コラムでは、この根深い課題を乗り越え、有価証券報告書の作成を円滑に進めるための、プロジェクトマネジメントの視点について解説します。

開示は「全社横断プロジェクト」であるという認識

まず、最も重要な心構えは、人的資本の情報開示を「人事部やIR担当だけの仕事」ではなく、「経営マターとしての全社横断プロジェクト」と位置づけることです。人的資本は、文字通り全従業員に関わる経営資産であり、その価値向上への取り組みもまた、全社で行われるべきものです。

人的資本開示プロジェクトを成功に導くためには、目的を共有し、各部署がそれぞれの役割を責任をもって果たすための、明確な体制構築が不可欠です。

具体的には、経営企画部門やサステナビリティ推進室などがプロジェクトの事務局となり、人事、IR、経理、法務、広報、そして主要な事業部門からキーパーソンを招集したタスクフォースを組成することが有効と考えられます。

このタスクフォースが、単なる情報提供依頼の場ではなく、自社の人的資本に関する課題や今後の戦略を議論する「司令塔」として機能することで、有価証券報告書に記載される情報に一貫性と戦略性が生まれます。

開示プロセスを円滑にする3つのアプローチ

全社横断プロジェクトとして開示を進める上で、具体的にどのようなアクションが有効なのでしょうか。ここでは、多くの企業で効果がみられる3つのアプローチをご紹介します。

1. キックオフミーティングでの「経営トップからのメッセージ」

プロジェクトの始動にあたり、経営トップ(社長や担当役員)から、本プロジェクトの重要性について力強いメッセージを発信してもらうことが極めて重要です。

「有価証券報告書での開示は、投資家への説明責任を果たすだけでなく、我々の人的資本経営を次のステージに進めるための重要な一歩である。各部門は責任者を定め、全面的に協力してほしい。」

こうしたトップのコミットメントが示されることで、各部署の協力姿勢が格段に変わり、プロジェクトは強力な推進力を得ることができます。

2. 「人的資本データ台帳」の共同作成

次に、タスクフォースの初期段階の共同作業として、「人的資本データ台帳」を作成することをお勧めします。これは、有価証券報告書での開示が求められる、あるいは自社が戦略的に開示したい各項目について、「何のデータが」「どの部署の」「どのシステムに」「どのような定義で」格納されているのかを一覧化したものです。

この台帳を作成する過程で、情報の所在が明確になるだけでなく、「部署によって定義が異なっていた」「そもそもデータが取得できていなかった」といった課題が早期に洗い出され、対策を講じることが可能になります。

3. 定期的な進捗共有と課題解決の場の設定

一度タスクフォースを組成しても、日常業務に追われて形骸化してしまっては意味がありません。毎週あるいは隔週で30分でも構わないので、定例ミーティングを設定し、進捗の共有と、直面している課題の解決にあたる場を設けることが肝要です。

「A事業部から必要なデータが期日までに提出されない」「この指標の算出ロジックについてIRと人事で解釈が分かれている」といった現場レベルの問題を、その場で迅速に関係者が協議し、解決していく。この地道なプロセスが、最終的な有価証券報告書の品質を左右します。

プロセス改革が、開示の質を向上させる

有価証券報告書における人的資本の情報開示は、そのアウトプット(開示内容)だけでなく、インプット(作成プロセス)にも重要な意味があります。

部署間の壁を乗り越え、全社一丸となって自社の人的資本に向き合うプロジェクトを推進する。そのプロセスを通じて、これまで見えなかった組織の強みや課題が可視化され、部門間の相互理解が深まります。質の高いプロセスこそが、ステークホルダーの心に響く、質の高い情報開示を生み出すのです。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。有価証券報告書の作成に向けた全社的なプロジェクト推進や体制構築の支援など、より具体的なご相談はお気軽にお問い合わせください。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。
X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西裕也
リサーチャー兼コンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。
DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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