投資家が本当に見ている「人的資本開示」とは? 選ばれる企業の情報開示戦略

その人的資本開示、投資家に届いていますか?

2023年3月期決算より、有価証券報告書における人的資本情報の記載が義務化されました。これを受け、多くの企業が女性管理職比率や育児休業取得率といった指標の開示を進めています。しかし、その取り組みが「開示義務を果たす」という最低限のコンプライアンス対応に留まってはいないでしょうか。

現代の投資家は、単に数字が並んだ報告書を求めているわけではありません。彼らは、その数字の裏側にある企業の思想、戦略、そして未来の価値創造能力を見極めようとしています。人的資本開示は、もはや単なる「報告義務」ではなく、自社の魅力を伝え、資本市場からの信頼を獲得するための「戦略的コミュニケーション」へとその意味合いを大きく変えています。

本コラムでは、投資家がどのような視点で企業の人的資本情報を評価しているのかを「戦略との一貫性」「独自性と比較可能性」「実効性」という3つのキーワードで解き明かし、選ばれる企業になるための、一歩進んだ情報開示戦略を具体的に提案します。

企業の人的資本開示に対する投資家の3つの視点

投資家は、開示された情報から、その企業が将来にわたって持続的に価値を生み出せるかどうかの「蓋然性」を読み取ろうとします。その際、彼らが特に重視するのが、以下の3つの視点です。

視点1:戦略との一貫性(Consistency)

投資家が最初に問うのは、「その人的資本戦略は、企業の経営戦略とどう結びついているのか?」という点です。これは、人的資本経営の取り組みが、単なる人事部門の自己満足ではなく、事業成長に不可欠なエンジンとして機能しているかを確かめるための、最も根源的な問いと言えます。

例えば、中期経営計画で「海外市場での売上比率50%達成」を掲げる製造業の企業があったとします。その企業が開示すべき人的資本情報は、単なる全社の平均研修時間などではありません。投資家が知りたいのは、以下のような、経営戦略と具体的に連動した情報です。

  • グローバルリーダーの育成状況
    海外拠点の経営を担える人材の候補者数、育成プログラムの内容と進捗。
  • 多様な人材の確保
    国籍や文化の多様性を示す指標、海外からの採用実績。
  • 異文化理解の促進
    海外赴任者向けの研修内容や、グローバルな協業を促す社内制度。

このように、自社のマテリアリティ(重要課題)に照らし合わせ、経営戦略の実現というゴールから逆算された人的資本戦略とその指標を語ること。それにより初めて、人材への投資がコストではなく、リターンを生む戦略的投資であることが投資家に伝わるのです。

視点2:独自性(Uniqueness)と比較可能性(Comparability)の両立

優れた人的資本開示は、「比較可能性」と「独自性」という二つの異なる側面を併せ持っています。

まず土台となるのが比較可能性です。これは、投資家が業界標準に照らして企業を客観的に評価するために不可欠な要素です。従業員数や離職率といった基本的な指標を、定義や算出方法を明確にした上で誠実に開示することが求められます。これは、企業の透明性を示し、投資家との対話の出発点となります。

しかし、真の企業価値を伝え、他社との差別化を図るためには、この基本的な開示に加え、独自性を示すことが重要です。これは、自社の経営戦略といかに深く結びついた、他社にはない人材へのアプローチ(独自のストーリー)があり、その有効性を客観的に示す指標(独自のKPI)を設定・開示しているか、という点に集約されます。

比較可能な基本情報で説明責任を果たしつつ、経営戦略と完全に連動した独自のストーリーと、その成果を測る独自のKPIを示すこと。これこそが、企業の将来性や競争優位性を投資家に深く理解させる、最も戦略的な情報開示のあり方です。

視点3:戦略の実効性(Effectiveness)を裏付けるエビデンス

最後に問われるのが、「その戦略が、机上の空論ではなく、実際に機能し、目指すべき成果に結びついていることを示す客観的な証拠(エビデンス)はあるか?」という、戦略の実効性そのものを問う視点です。

一貫性のあるストーリーや独自性のある取り組みも、それらが成果に結びついていなければ意味がありません。投資家の評価は、単なる「取り組みの有無」から、「取り組みがもたらした成果(アウトカム)」へと明確にシフトしています。だからこそ、個々の取り組みの結果として、どのような成果が得られたのかを、客観的なエビデンスに基づいて具体的に開示することが極めて重要なのです。

「選ばれる開示」を実現するための2つの核心的要素

では、前述した3つの視点を満たす、説得力のある情報開示はどのように構築すれば良いのでしょうか。その核心は、「価値創造ストーリーの構築」と「ストーリーを裏付けるエビデンスの提示」という2つの要素にあります。

価値創造ストーリーを構築する4つのステップ

価値創造ストーリーとは、企業の経営戦略の実現と、それを支える人材戦略が、どのように連動して企業価値向上に結びつくのかを、一貫した論理で説明する物語のことです。投資家に評価されるストーリーは、以下の4つのステップを通じて、経営戦略と人材戦略を一気通貫で結びつけることで生まれます。

  • ステップ1:起点(ゴール)の設定
    まず、中期経営計画やマテリアリティ(重要課題)で掲げる、最も重要な経営目標をストーリーの明確な「ゴール」として定義します。例えば、「特定市場でのシェアNo.1獲得」や「新規事業による売上構成比30%達成」といった、具体的で測定可能な目標です。これが全ての議論の出発点となります。
  • ステップ2:成功要因の分解
    次に、設定したゴールを達成するために、どのような組織能力や人材ポートフォリオが不可欠かを分解し、成功要因を特定します。例えば、「新規事業の創出」というゴールのためには、「『0→1』を生み出す起業家精神を持つ人材の数」や「多様な専門性を掛け合わせてイノベーションを促進する組織風土」が成功要因として導き出されます。
  • ステップ3:戦略とKPIの接続
    分解した人材や組織の要件を満たすため、具体的な人材戦略(採用、育成、配置、エンゲージメント向上策など)を策定します。そして、その戦略の進捗と成果を客観的に測るためのKPIを設定します。
  • ステップ4:ストーリーとしての提示
    最後に、これら1〜3の要素を一つの物語として編み上げます。例えば以下のように、一本筋の通ったストーリーとして情報を開示します。
    「我々は〇〇という経営目標(ゴール)を達成します。そのためにXXという人材・組織能力(成功要因)が不可欠であり、その実現のためにYYという人材戦略を実行しています。その進捗と実効性はZZというKPIで測定しており、目標達成に確実に近づいています」

ストーリーを裏付けるエビデンスの提示

構築した価値創造ストーリーに絶対的な説得力を与えるのが、客観的なエビデンスです。ストーリーが単なる「宣言」で終わらないよう、以下のような多角的なエビデンスでその実効性を裏付けます。

  • 時系列でのデータ開示
    設定したKPIが、過去から現在にかけてどのように推移しているかを示します。ポジティブなトレンドは、戦略が継続的に機能していることの強力な証拠となります。
  • 取り組みと成果の相関関係
    人材戦略への投資が、具体的な事業成果にどう結びついているかを示します。「特定の研修を受けた従業員ほど生産性が高い」や「エンゲージメントスコアが高い従業員ほど顧客満足度が高い」など、相関関係を示すことで、投資の有効性を客観的に論証します。
  • 第三者からの客観的評価
    「健康経営優良法人」の認定や、ISO30414認証の取得など、第三者機関のお墨付きを得ることにより、自社の取り組みが外部の客観的な基準から見ても優れていることを示します。

このように、論理的なストーリーと、それを裏付けるエビデンスを両輪とすることで、人的資本開示は投資家からの深い信頼を勝ち取るための強力なツールとなるのです。

情報開示を、未来を語る「対話の機会」へ

本コラムでは、投資家に評価される戦略的な人的資本開示のあり方について、3つの視点と、それを実現するための実践的アプローチを解説しました。

もはや、人的資本開示は管理部門が担うべき報告業務ではありません。それは、自社の未来を創る源泉である「人」への投資がいかに重要であるかを、経営陣自らが資本市場に向けて語りかける、絶好の「対話の機会」なのです。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。投資家に評価される人的資本開示の高度化や、ISO30414認証取得について、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西 裕也
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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