「良い研修だった」で終わらせないために、本当に必要なこと
「先日の研修、非常に勉強になりました!」
研修終了後、参加者アンケートには、このような満足度の高いコメントが並ぶ。企画した人事担当者としては、胸をなでおろす瞬間でしょう。
しかし、その1ヶ月後。研修で学んだはずの新しいスキルや考え方は、彼らの日常業務にどれほど反映されているでしょうか。「日々の業務に追われて、実践する余裕がなくて…」「現場では、結局これまでのやり方が優先されてしまう」といった声が聞こえてくることはないでしょうか。
研修で得た学びが、日々業務を行う現場では実践されない。この「研修と現場の断絶」こそ、多くの企業が抱える人材育成における最大の課題の一つです。この状態では、研修に投じた時間もコストも、その本来の効果を発揮したとは言えません。
本コラムでは、研修の学びを一過性のものにせず、現場での行動変容、そして組織の成果へと着実に繋げていくための、具体的な仕組みづくりについて考察します。
鍵は「学習転移」:学びが現場に根付かない理由
研修で学んだ知識やスキルが、実際の職務場面で応用され、維持・継続されるプロセスを、専門的には「学習転移」と呼びます。研修の成功は、この学習転移が起こるかどうかにかかっている、と言っても過言ではありません。
学習転移がうまくいかない背景には、いくつかの要因が考えられます。
要因1:研修内容が現場の「リアル」から乖離している
研修で学ぶ理論やフレームワークが、いかに先進的で優れたものであっても、現場の「リアル」な状況とかけ離れていては活用されません。
例えば、管理職研修で部下の内発的動機づけを高める理想的なコーチング手法を学んだとします。しかし、管理職が現場に戻ると、目の前にあるのは、人員不足の中で目前に迫る厳しい納期、そして多様な価値観を持つ部下たちとの複雑な人間関係です。
理想論だけでは乗り切れない現実に直面した時、「研修で学んだことは理想的だが、今の自分の現場では使えない」という判断に至り、結局は使い慣れたこれまでのやり方に戻ってしまうのです。
要因2:学んだことを試す「実践の場」が設計されていない
研修で新しい知識を得た直後は、誰しも「現場で試してみよう」という意欲を持っています。
しかし、研修から戻った途端、不在中に溜まった大量のメールや未処理の業務に追われるのが現実です。意識的に「実践の場」を設けなければ、学んだことを試す機会は、日々の業務の波に跡形もなくかき消されてしまいます。これでは、どんなに質の高い研修も意味がありません。学んだことを意識的に活用する業務を上司が与えるなど、意図的に実践の機会を設計することが不可欠です。
要因3:新しい行動を歓迎しない「現場の空気」と「仕組み」
たとえ意欲的な社員が、研修で学んだ新しいやり方を実践しようと試みても、周囲の環境がそれを許さないケースも少なくありません。
例えば、研修で学んだ効率的な会議の進め方を実践しようとした若手社員に対し、上司が「回りくどいことはいいから、早く結論を言え」と一蹴したり、同僚から冷ややかな目で見られたりする。このような「出る杭は打たれる」ような空気が現場にあれば、挑戦する意欲はすぐに削がれてしまいます。また、個人の成果だけを評価し、チームでの協力や新しい試みを評価しない人事制度など、既存の「仕組み」が行動変容の障壁となることもあります。
学習を促進する「環境」としてのマネジメントの役割
学習転移を成功させる上で、決定的な意味を持つのが、現場のマネージャー、すなわち「上司」の存在です。私たちは、研修を「人事部門と参加者のもの」と捉える従来の考え方を改め、上司を巻き込み、「組織全体で人材の成長を支援する」という文化を醸成することが不可欠であると考えています。
上司の役割は、研修で学んだことを実践しようとする部下の背中を押し、試行錯誤を温かく見守り、適切なフィードバックを与える「伴走者」となることです。部下の挑戦を奨励し、たとえ失敗しても、それを学びの機会として捉えるような関わり方ができるかどうか。これは、心理的安全性の高いチームビルディングとも密接に関連します。
つまり、研修の成果は、研修プログラムそのものの品質だけでなく、その学びを受け止め、育む「土壌」である現場のマネジメント品質によって決まるのです。組織サーベイなどを活用し、自社の職場が「社員の新たな挑戦や学習を支援する環境になっているか」を定期的にモニタリングし、改善していく視点も重要になると考えられます。
学びを現場に定着させるための連動設計:研修前・中・後の最適化
学習転移を促し、研修の効果を最大化するためには、研修の内容だけでなく、その前後を含めた一連のプロセスを緻密に設計することが極めて重要です。各フェーズで押さえるべきポイントを解説します。
【研修前】学習効果を最大化する「土壌」を準備する
研修の効果を高めるためには、参加者が研修を受ける「前」の段階も大切です。いかに学習意欲の高い状態で研修に臨んでもらうかが鍵となります。
- 参加者本人の課題意識を醸成する
研修の案内を送るだけでなく、事前アンケートで「この研修を通じて、ご自身のどのような課題を解決したいですか?」と問いかけたり、関連する記事や書籍を事前課題として提示したりすることで、参加者自身に研修の目的を「自分ごと」として考えてもらうきっかけを作ります。 - 上司による期待の伝達と学習の「契約」
上司は1on1などを通じて、「研修で学んだことを、チームのこの課題にこう活かしてほしい」という具体的な期待を伝えます。さらに、「研修での学びを実践するために、自分はこういうサポートをする」と約束することで、研修が本人と上司との間の「共同プロジェクト」であるという認識を醸成します。 - 人事部門による戦略的「文脈」の提供
人事部門は、研修の目的を単なるスキルアップに留めず、「なぜ今この研修が必要なのか」という経営戦略や事業課題と結びつけた「文脈」を丁寧に説明します。これにより、参加者は自身の学習が全社的な目標達成にどう貢献するのかを理解できます。
【研修中】「実践」への橋渡しを意識した体験を設計する
研修時間は、知識をインプットするだけの場ではありません。現場に戻ってから行動を起こすためのエネルギーと具体的な計画を得る場と位置づけるべきです。
- 「安全な失敗」が許容される場を作る
研修の場は、現実のビジネスへの影響を心配することなく挑戦と失敗ができる「実験室」です。講師はロールプレイングやシミュレーションといった演習を多く取り入れ、参加者が安心して新しいスキルを試し、フィードバックを受けられる心理的安全性の高い環境を構築することが求められます。 - 現場の課題と直結した演習を行う
抽象的なケーススタディだけでなく、参加者自身が現場で直面しているリアルな課題を教材として扱う時間を設けます。例えば、プレゼンテーション研修であれば、実際に近く予定している顧客への提案資料を題材にするなど、研修と現場の距離を縮める工夫が有効です。 - 具体的で現実的な「アクションプラン」を作成する
研修の最後には、必ず「明日から何を始めるか」を具体的に計画する時間を確保します。「頑張る」といった精神論ではなく、「次の水曜のチーム会議で、今日学んだファシリテーション手法のうち3つを試す」といった、具体的(Specific)、測定可能(Measurable)、達成可能(Achievable)、関連性のある(Relevant)、期限を定めた(Time-bound)「SMART」な目標を設定させます。
【研修後】行動変容を組織で支え、習慣化させる
研修の成果が本当に問われるのは、研修が終わった後です。学びを一過性のイベントで終わらせず、組織の力として定着させるための仕組みが不可欠です。
- 上司による積極的な関与と機会提供
上司は、部下が作成したアクションプランの進捗を定期的に確認し、フィードバックを行います。それだけでなく、「この前の研修で学んだスキルを活かすのに、ちょうど良い案件があるから任せてみよう」というように、意図的に実践の機会を創出する積極的な姿勢が求められます。 - 参加者同士のコミュニティによる相互支援
研修後も、参加者同士が学びや実践状況を共有できる場を設けます。簡単なチャットグループの作成や、1ヶ月後のフォローアップ会などを開催することで、お互いの進捗が刺激となり、一人では挫折しがちな行動変容を支え合うことができます。 - 「小さな成功」を可視化し、称賛する
部下が研修で学んだことを実践し、少しでも良い変化が見られたら、上司や同僚が「あの提案の仕方、研修で学んだことを活かしていて、すごく分かりやすかったよ」といった形で、具体的に承認・称賛します。このポジティブなフィードバックが、本人の自信となり、新しい行動を習慣化させる強力な動機づけとなります。
研修の本当の意味は、現場の行動が変わったときに生まれる
これまで見てきたように、研修の価値は、研修の場で生まれるのではありません。参加者が現場に戻り、それまでとは違う新しい行動を一つでも実践し、それが周囲に良い影響を与え始めたとき、研修は初めてその「意味」を持つのです。
研修と現場を断絶させるのではなく、一体のものとして捉え、組織全体で学習と挑戦を支援する仕組みと文化を構築すること。それこそが、一過性ではない、持続的な人材育成と組織成長を実現するための王道といえるでしょう。
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