「人への投資」は余裕がある企業だけのものか
「人的資本経営が重要なのは理解できるが、中小企業にはそんな余裕はない」
「教育研修にお金をかけても、すぐに辞められたら赤字だ」
経営者の方々と対話をする中で、このような本音を伺うことが少なくありません。日々の資金繰りや売上確保が最優先される中で、即座に効果が見えにくい人材への支出は、どうしても削減対象の「コスト」として捉えられがちです。
しかし、原材料費やエネルギーコストの高騰、そして最低賃金の上昇が続く昨今の経済環境において、従来型の「人件費を抑えて利益を出す」モデルは維持が難しくなっています。これからは、「一人当たりの付加価値(生産性)を最大化して利益を出す」モデルへの転換が急務です。
つまり、中小企業にとっての人的資本経営とは、流行に乗るためのものでも、CSR(企業の社会的責任)活動の一環でもありません。限られた経営資源である「ヒト」の能力を極限まで引き出し、利益率を向上させるための、極めて合理的かつ生存に不可欠な「経営戦略」なのです。
本コラムでは、人材を「コスト」ではなく「投資」と捉え直し、中小企業の利益率を高めるための思考法と、その実践ステップについて解説します。
コスト管理から価値創造へ:視点の転換
人的資本経営を実践し、高収益化に成功している中小企業には共通点があります。それは、人事戦略の目的を「管理(守り)」から「価値創造(攻め)」へとシフトさせている点です。
「人件費」ではなく「資産運用」と捉える
従来の人事管理は、勤怠管理や給与計算、欠員補充といった「マイナスをゼロにする」業務が中心でした。しかし、人的資本経営の文脈では、社員を「消費されるコスト」ではなく「価値を生み出す資産」と捉えます。 手入れをし、磨き上げ(教育)、適切な場所で活用(配置)することで初めて、高いリターンを生み出します。
中小企業は、大企業に比べて従業員一人ひとりのパフォーマンスが業績にダイレクトに反映される構造にあります。つまり、一人の社員のスキルアップやモチベーション向上が、組織全体の利益率を大きく押し上げるということです。
「人が少ない」ことは弱点ではなく、「個の変化が組織の変化に直結する」という強みになり得ます。
属人化を「専門性」へと昇華させる
中小企業の現場でよく課題視されるのが「業務の属人化」です。「あの人にしか分からない仕事」があることはリスクと捉えられがちです。 しかし、人的資本経営の視点では、これを単なるリスクとして排除するのではなく、その社員が持つ「独自の強み」や「専門性」として再評価します。
重要なのは、その属人性を「ブラックボックス化」したままにするのではなく、「形式知化(ノウハウを共有)」することです。特定の社員が持つ高度なスキルを可視化し、他の社員にも展開できるようにする。あるいは、その社員にはより付加価値の高い業務に集中してもらい、定型業務はITツールや他のメンバーに移譲する。
このように、個人の強みを組織の資産として活用する視点を持つことで、属人化は「組織の専門性向上」へのステップとなります。
利益率を高めるための具体的ステップ
では、具体的にどのようにして人的資本経営を利益(数字)に結びつけていけばよいのでしょうか。精神論ではなく、構造的に利益を生み出すための4つのステップをご提案します。
ステップ1:業務の棚卸しと「やらないこと」の決断
生産性向上の第一歩は、社員が時間を費やしている業務の「質」を見極めることです。全社員の業務時間を洗い出し、以下の2つに分類してみてください。
- コア業務
顧客への提供価値に直結し、利益を生む業務(商談、商品開発、製造など) - ノンコア業務
直接利益は生まないが、必要な業務(事務処理、移動、会議、社内調整など)
多くの中小企業では、優秀な社員ほどノンコア業務に忙殺されている傾向があります。
「この会議は本当に必要か?」
「この日報は誰が読んでいるのか?」
経営者主導で「やらないこと」を断行し、空いた時間をコア業務に再投資させるだけで、追加コストなしで生産性は上がります。
ステップ2:コア業務における「勝てるスキル」の特定
ステップ1で時間を確保した「コア業務」の生産性を、さらに高めるためのフェーズです。ここで必要になるのが、業務を遂行するための「能力(スキル)」の可視化ですが、いきなり全社的なスキルマップを作成するのは多大な労力を要し、中小企業にはハードルが高いのが現実です。
そこで、ステップ1で特定した「利益に直結するコア業務」だけに対象を絞り、その業務で高い成果を出している社員(ハイパフォーマー)の行動を分析する方法を推奨します。
- 観察とヒアリング
- 「Aさんはなぜ成約率が高いのか?」
- 「Bさんの製造ミスが少ないのはなぜか?」
- スキルの言語化
漠然とした「センス」ではなく、「初回訪問で必ず〇〇を聞いている」「作業前に必ず〇〇を確認している」といった具体的な行動レベルに落とし込みます。
このように、対象をコア業務に限定することで、最小限の工数で「最も投資対効果の高いスキル」を特定することができます。
ステップ3:成果とスキルに報いる評価制度への刷新
特定した重要スキルを高め、生産性を向上させた社員が、正当に報われる仕組みを作ります。 「どれだけ長く働いたか(残業時間)」や「勤続年数」で給与が決まる年功序列的な仕組みのままでは、生産性を上げようとするインセンティブが働きません。具体的な評価方法としては、以下のような運用が考えられます。
- スキル評価(基本給への反映)
ステップ2で特定したスキルを、「できる・できない」の簡易チェックリストにします。以下のような3段階程度で判定し、レベルが上がれば昇給させます。ポイントは、「知識があるか」ではなく「行動として実践できているか」を上長が確認することです。- レベル1:マニュアルを見ながらできる
- レベル2:独力で完遂できる
- レベル3:他者に指導できる
- 成果評価(ボーナスへの反映)
時間あたりの付加価値(生産性)を指標にします。 個人ごとの数値化が難しい場合は、「チーム単位」での粗利益を総労働時間で割り、「チームの生産性が目標を超えたら、全員にボーナスを加算する」といった方式が有効です。これにより、業務効率化への協力体制が自然と生まれます。
このように、「会社が求める成長(利益を生む行動)」と「個人の報酬」を明確に連動させることで、社員は自律的にスキルアップを目指すようになります。「頑張れば報われる」という納得感こそが、最大のモチベーションリソースです。
ステップ4:投資対効果(ROI)を検証するサイクルの確立
人的資本経営は、施策を実行して終わりではありません。その投資が実際に利益につながったのかを検証する必要があります。例えば以下のように「アクション」「変化」「成果」の3段階に分けて整理し、ボトルネックがどこにあるかを確認します。
- 1. アクション:そもそも、投資活動を実行できたか?
- 研修受講率、1on1実施回数など
- 2. 変化:アクションの結果、社員の能力や意識は向上したか?
- 特定スキルの保有率、エンゲージメントスコアなど
- 3. 成果:社員の成長が、最終的に会社の数字につながったか?
- 一人当たり粗利益、労働生産性など
例えば、「研修は実施した(1.投資OK)が、スキル保有率が上がっていない(2.効果NG)」なら、研修内容に問題があります。「スキル保有率は上がった(2.効果OK)が、利益が増えていない(3.成果NG)」なら、特定したスキル自体が現場のニーズとズレている可能性があります。 このような関係を経営者が確認し、チューニングし続けることこそが、人的資本経営におけるPDCAです。
企業の成長と個人の幸福を同期させる
利益とは、企業が社会に提供した価値の対価であり、社員を守り、次の投資を行うための原資です。人的資本経営の究極の目的は、「企業が儲かること」と「社員が幸せになること」を対立構造ではなく、同期させることにあります。
社員がスキルを身につけ、活き活きと働くことで生産性が上がり、会社の利益が増える。増えた利益は、より良い給与や労働環境、新たな教育機会として社員に還元される。この「成長と分配の好循環」を作り出せるのは、株主や市場の顔色だけでなく、社員とその家族の顔を直接見ることができる中小企業の経営者だからこそです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




