MBOは「時代遅れの遺物」なのか?
「MBOはもう古い。これからはOKRの時代だ」
近年、こうした言説を耳にする機会が増えました。確かに、変化の激しい現代において、OKR(Objectives and Key Results)のようなアジャイルな目標管理手法が注目されるのは必然です。
しかし、日本の企業の多くが導入しているとされるMBO(Management by Objectives:目標管理制度)は、本当に役目を終えたのでしょうか? 実態を紐解いていくと、MBOという仕組みそのものが陳腐化したのではなく、「日本的な運用慣行によって、本来の目的が歪められている」ケースが大半であることが分かります。
実際、多くの現場において、MBOは「上から降りてきたノルマを割り振るための道具」や「賞与を決めるための計算式」として機能してしまっています。これでは従業員のエンゲージメントが下がるのも無理はありません。
本コラムでは、ピーター・ドラッカーが提唱したMBOの原点に立ち返り、人的資本経営が求められる今だからこそ再評価すべき、MBOの本質と正しい運用について解説します。
ドラッカーが提唱した「MBO」の真の定義
MBOは、1954年にピーター・ドラッカーが著書『現代の経営』の中で提唱した概念です。
ここで最も重要な、そして多くの日本企業が見落としている事実があります。ドラッカーが用いた言葉は、単なる「Management by Objectives(目標による管理)」ではなく、正確には以下の通りです。
“Management by Objectives and Self-control” (目標と「自己統制」による管理)
この「Self-control(自己統制)」こそが、MBOの根幹をなす概念です。
「統制」ではなく「自律」のためのツール
ドラッカーは、上司が部下を細かく管理・命令するのではなく、部下が自ら目標を設定し、その達成プロセスを自ら管理(セルフコントロール)することで、最大の成果が生まれると説きました。
つまり、本来のMBOとは、ノルマを押し付けるための「統制のツール」ではなく、従業員の自律性を引き出すための「基盤」なのです。人的資本経営において「人材の自律」が叫ばれる今、この原点にある思想は、むしろ現代においてこそ、その真価を発揮すると言えます。
MBO運用の基本サイクル
ドラッカーが本来想定していたMBOは、期初に目標シートを埋め、期末に採点するだけの事務作業ではありません。上司と部下が対話を重ねる中で、組織の目標と個人の「こうありたい(Will)」という内発的動機をすり合わせていく。そうした人間味のあるプロセスこそが、MBOの本質です。
- 目標設定(Plan)
単に数値を割り振るのではなく、組織目標とリンクさせつつ、本人が「これをやりたい/やるべきだ」と考える目標を自ら立案し、上司とすり合わせる。 - 実行・自己管理(Do)
上司は細かく指図せず、本人の創意工夫に任せる。ただし放置するのではなく、障害を取り除くための必要な支援を行う。 - 評価・フィードバック(Check/Action)
期間終了後に達成度を振り返る。重要なのは「何点だったか(査定)」だけでなく、「何が学びだったか」「次はどう活かすか(能力開発)」という未来志向の対話を行うこと。
なぜ日本のMBOは「ノルマ管理」に変質するのか
では、なぜ崇高な理念を持つMBOが、現場では「やらされ仕事」の代名詞となってしまうのでしょうか。そこには構造的な要因と、「SMARTの法則」への過度な依存があります。
報酬連動のジレンマ(目標の矮小化)
多くの日本企業では、MBOの達成度がそのまま賞与や昇給に直結します。
- 目標達成率100%以上 → ボーナス増額
- 目標達成率90%以下 → ボーナス減額
この仕組みの中では、従業員は生活を守るために、無意識に「絶対に達成できる低い目標」を設定しようとします。また、上司も部下のモチベーションを下げたくないため、低い目標を容認してしまうでしょう。結果として、組織全体の視座が下がり、「現状維持のための管理ツール」になってしまうのです。
「SMARTの法則」の呪縛
適切な目標設定のフレームワークとして有名な「SMARTの法則」があります。
- Specific(具体的)
- Measurable(測定可能)
- Achievable(達成可能)
- Related(関連性)
- Time-bound(期限)
これは非常に有用ですが、過度に行き過ぎると「数値化できない定性的な努力」や「長期的な目線での取り組み」が目標から排除されてしまいます。また、「測定可能(M)」ばかりを追求した結果、売上や件数といった分かりやすい数字だけが並び、プロセスや行動の質が問われない「結果主義」に陥りやすくなります。
MBOとOKR、使い分けのポイント
「MBOを廃止してOKRにすべきか?」という議論がありますが、両者は目的が異なるため、単純な入れ替えは危険です。以下にMBOとOKRの違いを整理します。
| 項目 | MBO (Management by Objectives) | OKR (Objectives and Key Results) |
|---|---|---|
| 主目的 | 「評価」と「処遇」の決定→堅実な業務遂行 | 「組織変革」と「成長」→高い目標への挑戦 |
| 目標の高さ | 100%達成(必達)が前提 | 60-70%達成で成功(ムーンショット) |
| 共有範囲 | 上司と部下のクローズドな関係 | 全社オープン |
| 評価との関係 | 直結する(給与・賞与) | 切り離す(評価には直接使わない) |
MBOが適している領域
- 定型的な業務や、着実な積み上げが求められる職種
- 個人の責任範囲が明確で、成果報酬(インセンティブ)と連動させやすい環境
- 給与決定のための納得感ある「ものさし」が必要な場合
OKRが適している領域
- 新規事業や開発など、正解がなく高い創造性が求められる領域
- 部門横断的な連携が必要なプロジェクト
- 失敗を恐れずに挑戦する文化を作りたい場合
多くの企業にとって現実的な解は、MBOを評価のベースとして残しつつ、OKR的な「チャレンジ目標」を別枠で設けたり、運用スタイルを改善したりする「ハイブリッドな運用」です。
人的資本経営時代の「MBO」の再構築
MBOを形骸化させず、人的資本経営のドライバーとして再構築するためには、以下の3つの視点を取り入れることが有効です。
「Will(本人の意思)」を組み込む
組織目標(Must)のブレイクダウンだけで個人の目標を決めてはいけません。
「将来どのようなキャリアを歩みたいか」「今の仕事を通じてどんなスキルを伸ばしたいか」という本人のWillと、組織のMustが重なる部分を目標に設定します。これこそがドラッカーの言う「自己統制(内発的動機)」の源泉です。
プロセス評価(コンピテンシー)とのセット運用
数値結果(業績目標)だけで評価するのではなく、その結果を生み出すための「行動特性(コンピテンシー)」や「プロセス」も評価軸に加えます。
「結果は未達だったが、将来につながる重要な顧客開拓を行った」「チームの心理的安全性を高める行動をとった」といった定性的な貢献を拾い上げることで、MBOの納得感は飛躍的に高まります。
半期に一度ではなく「日常の対話」にする
従来、MBOは期初に目標を設定し、期末になって初めて振り返るという運用が多く見られました。
しかし、ビジネス環境の変化が激しい現代において、半年に一度の確認では対応できません。月に1回以上の面談(1on1)を行い、進捗を確認し、必要であれば状況に合わせて目標自体を修正する柔軟性を持つことが重要です。期末の評価面談は、評価結果を一方的に通達する場ではなく、日常的な対話の内容を改めて確認し合う場であるべきでしょう。
MBOは「対話」のためのプラットフォームである
MBO(目標管理制度)は、決して「ノルマを管理する冷徹なシステム」ではありません。正しく運用されれば、上司と部下が「組織の未来」と「個人のキャリア」をすり合わせ、信頼関係を構築するためのコミュニケーション・プラットフォームになります。
人的資本経営の本質は、人が持つ可能性を最大化することです。もし貴社のMBOが、社員の可能性を縛る鎖になっているとしたら、それは制度の問題ではなく、運用の問題かもしれません。
「自己統制」という原点に立ち返り、社員が自ら考え、自ら動くためのMBOへとアップデートする。それこそが、今求められている組織変革の第一歩です。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




