事業成果を生む戦略的リスキリングの進め方
「多額の予算を投じてDX研修を実施したが、現場の行動は何も変わらない」
「良かれと思って導入したe-learningも、ほとんどの社員が利用していない」
『人材版伊藤レポート2.0』で「リスキル・学び直し」の重要性が強調される中、多くの人事責任者の方々が、このようなジレンマを抱えているのではないでしょうか。施策を実行すること自体が目的となり、本来目指すべきであったはずの「事業成果への貢献」という視点が抜け落ちてしまう。これは、非常によく見られる課題です。
本コラムでは、こうした「自己満足の研修」から脱却し、リスキリングを企業の成長エンジンへと転換させるための、戦略的なアプローチについて考察します。
なぜリスキリングは「研修」で終わってしまうのか
多くの企業でリスキリングが機能しない背景には、共通した構造的な問題が存在すると考えられます。それは、「事業戦略との分断」と「個人の動機付けの欠如」です。
流行りのテーマだから、という理由で研修を企画したり、全社員に一律のプログラムを提供したりしても、効果は限定的です。なぜなら、その学びが「自社のどの事業課題を解決するため」で、「自身のキャリアにとってどのような意味を持つのか」という問いに対する答えが、社員に見えていないからです。
私たちコトラが考える戦略的リスキリングとは、単なる知識のインプットではありません。それは、「企業の未来に必要なスキル」と「社員が習得したいスキル」を重ね合わせ、個人の成長がそのまま企業の成長に直結する仕組みを設計することです。
この視点を持つことで、リスキリングはコストから「未来への戦略的投資」へとその意味合いを変えます。『人材版伊藤レポート2.0』が問いかけているのも、まさにこうした投資対効果を意識した人材開発のあり方なのです。
事業成果に繋げる戦略的リスキリングの3ステップ
では、具体的にどのように進めれば、リスキリングを事業成果に繋げることができるのでしょうか。私たちは、以下の3つのステップで進めることを推奨しています。
ステップ1:あるべきスキルの定義(経営戦略との連動)
全ての起点となるのは、経営戦略から逆算して、将来必要となる人材のスキルセットを具体的に定義することです。このステップは、人事部門だけで完結させるのではなく、経営層や各事業の責任者を巻き込んだ全社的な取り組みとして進める必要があります。
- 戦略の翻訳と具体化
まず、中期経営計画や事業戦略を読み解き、「新規事業の創出」「既存事業のDX推進」「グローバル市場への展開」といった戦略テーマごとに、それを実現するために不可欠な能力・スキルは何かを洗い出します。
例えば、「AIを活用した新サービス開発」という戦略があるなら、「AIモデルの企画・設計スキル」「データ分析・解析スキル」「プロジェクトマネジメントスキル」といった具体的なスキル要件にまで落とし込みます。 - スキルの体系化
洗い出したスキルを、「全社共通のコアスキル」「職種別の専門スキル」「階層別のリーダーシップスキル」などに体系的に整理します。これにより、全社で一貫性を持ちつつ、各部門や階層の特性に応じた育成計画を立てることが可能になります。 - 経営層との合意形成
最終的に定義した「あるべきスキルセット」は、経営会議などで正式に議論し、全経営陣の合意を得ることが重要です。これにより、リスキリングが経営マターとして位置づけられ、全社的なコミットメントを得ることができます。
ステップ2:現状スキルの可視化とギャップ分析
次に、定義した「あるべき姿」に対して、現状の組織にどのようなスキルが、どれだけ存在するのかを客観的に把握します。
- 多面的なスキル評価
スキルの可視化は、単一の手法に頼るのではなく、複数の手法を組み合わせることで精度が高まります。具体的には、「本人による自己申告」「上長による評価」「客観的なアセスメントテスト」などを組み合わせ、多角的にスキルレベルを測定することが有効です。 - 人材ポートフォリオ分析
可視化されたスキルデータは、単に個人ごとの一覧にするだけでなく、組織全体の人材ポートフォリオとして分析します。「量(スキル保有者の人数)」「質(スキルの習熟度レベル)」「分布(特定の部署や年齢層への偏り)」という3つの軸で現状を分析し、「あるべき姿」とのギャップを定量的に把握します。これにより、「どのスキルが、どの階層で、何人不足しているのか」という具体的な課題が明確になります。 - 個人へのフィードバック
分析結果は、個人のキャリア開発にも繋げることが重要です。キャリア面談などの場で、個人の強みや組織として期待するスキルを丁寧にフィードバックします。「あなたにはこのスキルが不足している」というネガティブな伝え方ではなく、「このスキルを習得すれば、将来このようなキャリアの可能性が広がる」といった、前向きな成長支援の視点が求められます。
ステップ3:学びの機会提供と動機付けの仕組み化
明確になったスキルギャップを埋めるため、具体的な育成施策を計画・実行します。ここで最も重要なのは、学びを促す「機会提供」と、学びたい意欲を引き出す「動機付け」を両輪で回すことです。
- 経験を通じた学習機会の設計
人材開発における「70:20:10の法則」によれば、人の成長の7割は「経験」から得られるとされています。そのため、Off-JT(研修)だけでなく、意図的に挑戦的な業務を与える「ストレッチアサイン」や、他部署・他社での就業経験を積む「越境学習」など、実践を通じた学びの機会を戦略的に設計することが極めて重要です。 - 多様な学習選択肢の提供
集合研修、e-learning、外部セミナー、書籍購入補助、資格取得支援など、社員が自らの興味やペースに合わせて学べる多様な選択肢を用意します。 - 学びとキャリア・処遇の連動
学びが「自己満足」で終わらないよう、明確なインセンティブを設計します。例えば、「習得したスキルを人事評価に反映させる」「特定のスキル保有者にスキル手当を支給する」「新たなスキルが求められるポジションへの社内公募制度を設ける」など、学びがキャリアアップや処遇改善に直結する仕組みを構築します。 - 学び合う文化の醸成
定期的なナレッジ共有会や、社内SNSでの学習成果の発表、優れた取り組みの表彰などを通じて、組織全体で学びを称賛し、高め合う文化を育んでいきます。
個人の成長が、企業の成長を加速させる
『人材版伊藤レポート2.0』が目指す人的資本経営において、戦略的なリスキリングは、その中核をなす極めて重要な取り組みです。それは、変化の激しい時代において、企業が持続的に価値を創造し続けるための生命線と言っても過言ではありません。
事業戦略から逆算して必要なスキルを定義し、社員一人ひとりの成長意欲を引き出す仕組みを構築すること。この両輪が噛み合ったとき、リスキリングは真の力を発揮し、個人の成長が企業の成長を力強く牽引していく好循環が生まれるのではないでしょうか。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。事業戦略に連動した人材開発・研修の企画立案や、スキルベース型人事制度の導入支援など、より具体的なご相談はお気軽にお問い合わせください。