そのHRテック投資、目的は明確ですか?
「HRテックを導入して、人事DXを推進したい」
企業の経営者や人事担当者の皆様から、このようなご相談をいただく機会が増えています。そして、多くの場合、話はすぐに具体的なツールの機能比較に移っていきます。しかし、私たちがいつも問いかけるのは、「そのHRテック導入によって、どのような経営課題を解決し、どのような未来を実現したいのですか?」という、より本質的な質問です。
もし、この問いに即座に、そして明確に答えられない場合、そのHRテック投資は、本来得られるはずの価値を発揮できない可能性が高いと考えられます。本コラムでは、無数のHRテックツールの選択に入る前に、まず明確にすべき「全ての土台となる戦略」、すなわち経営戦略と人材戦略の重要性について解説します。
「何ができるか」ではなく「何をすべきか」:戦略起点のHRテック選定
HRテックの導入検討において、多くの企業が陥りがちなのが「What志向」、つまり「このツールは何ができるのか?」という視点からスタートしてしまうことです。様々なHRテックの機能紹介に目を奪われ、自社の現状や本来の目的に立ち返ることなく選定を進めてしまうケースは少なくありません。
しかし、真に価値ある投資を行うためには、「Why志向」、すなわち「自社は何をすべきか?」という問いから始める必要があります。HRテックは、あくまで経営戦略や人材戦略を実現するための「手段」です。したがって、その選定プロセスは、自社の存在意義(パーパス)やビジョンにまで遡って考えるべきと言えるでしょう。
ここでコトラが重視するのは、経営戦略と完全に連動した人材戦略を描き、その実現に必要な打ち手としてHRテックを位置づけるアプローチです。
例えば、中期経営計画で「海外事業の拡大」を掲げているのであれば、人材戦略としては「グローバルリーダーの育成」や「現地法人の人材マネジメント体制の構築」が重要課題となります。この課題を解決するために、タレントマネジメントを支援するHRテックやグローバル対応の学習システムが必要になる、という思考の順序が極めて重要です。この視点がなければ、どれだけ多くのHRテック情報を集めても、戦略的な一手は見出せません。
戦略からHRテック選定へ:未来を創造する4つのステップ
経営戦略から逆算し、最適なHRテックを選定するための具体的なプロセスを、4つのステップでご紹介します。ここでは、ある中堅SaaS企業を例に見ていきましょう。このステップを踏むことで、多様なHRテックツールの情報が、単なる機能の羅列から、自社の戦略実現を支援するパートナーの候補リストへと変わるはずです。
ステップ1:経営戦略・事業戦略の深い理解
まずは、自社の中期経営計画や事業戦略を深く理解し、その成功の鍵(KSF:Key Success Factor)を人事の観点から特定します。売上目標、新規事業計画、市場の変化などを踏まえ、「人材」がどのように貢献すべきかを明確に言語化するプロセスです。
<具体例:中堅SaaS企業の場合>
- 経営・事業戦略
競争が激化する既存事業から、高付加価値なエンタープライズ向け新規事業へシフトする。そのために「コンサルティング型セールス」を強化する。 - 戦略成功の鍵(KSF)
エンタープライズ顧客の複雑な課題を解決できる、高度な専門性を持つ人材(プロダクトマネージャー等)の存在。 - 人事への要請
上記KSFを実現するために、必要な人材を定義し、確保・育成する仕組みを構築すること。
ステップ2:あるべき人材像と人事戦略への落とし込み
次に、特定したKSFに基づき、人事戦略を具体的に策定します。これには、あるべき人材ポートフォリオの定義、人材獲得・育成計画の立案、それを支える組織・制度設計などが含まれます。
<具体例:中堅SaaS企業の場合>
- あるべき人材ポートフォリオ
- 高度専門人材(プロダクトマネージャー等)を現在の2倍の10名に増員する。
- 既存セールス職に「コンサルティングスキル」と「特定業界の専門知識」を付与する。
- 人材獲得・育成計画
- 高度専門人材は、5名を外部から即戦力採用し、残り5名は社内のポテンシャル人材を育成プログラムで養成する。
- 全セールス職を対象としたリスキリング研修を実施する。
- 組織・制度設計の検討
- 専門性の高いスキルを正当に評価し、処遇に反映させるための「スキルベース型人事制度」の導入を検討する。
ステップ3:人事戦略上の課題とテクノロジーで解決すべき領域の特定
策定した人事戦略と現状とのギャップが、解決すべき「人事課題」です。その中で、どの課題をHRテックの力で解決するのが最も効果的かを見極めます。
<具体例:中堅SaaS企業の場合>
- 現状とのギャップ(人事課題)
- そもそも、社内にどのようなスキルを持つ人材がいるのか可視化できておらず、育成候補者を選抜できない。
- 全社的なリスキリング研修の進捗や、個々のスキル習得状況を管理する仕組みがない。
- HRテックで解決すべき領域
- 全社員のスキルデータを一元的に可視化する「スキル管理」。
- スキルや評価データを基に、育成候補者を発掘する「人材検索」。
- eラーニングや研修履歴を管理し、スキル習得状況を追跡する「学習管理」。
ステップ4:戦略的要件に基づいたツール評価と選定
最後に、定義した要件に基づき、候補となるHRテックツールを評価・選定します。単なる機能比較だけでなく、「自社の戦略実現にどれだけ貢献するか」「将来的な戦略変更にも柔軟に対応できるか(拡張性)」といった戦略的な視点での評価が不可欠です。
<具体例:中堅SaaS企業の場合>
- ツールに求める戦略的要件
- 自社で定義したコンサルティングスキルなどを、柔軟に「スキルマップ」として設計・管理できること。
- 利用中の外部学習プラットフォームとAPI連携が可能であること。
- 将来導入を検討している「スキルベースの人事制度」の評価・報酬モジュールと連携できる拡張性があること。
- ツール評価
- これらの戦略的要件を必須項目とし、複数のタレントマネジメントシステムを比較検討する。機能の多さではなく、「自社の戦略実現に貢献できるか」を最優先に評価し、最適なHRテックを選定する。
戦略という明確な指針が、HRテック投資の成否を分ける
市場に溢れるHRテックは、テクノロジーの進化を映す便利な地図ですが、目的地が定まっていなければ、その価値は半減してしまいます。自社の未来をどこに定め、どのようなプロセスを辿るのか。その判断の拠り所となるのが、経営と深く結びついた人材戦略に他なりません。
戦略なきHRテック導入は、多大なコストと時間を浪費するだけでなく、現場の混乱を招き、変革への意欲を削ぐことにも繋がりかねません。個別のツール検討を始める前に、まずは自社の戦略そのものを磨き上げ、明確な指針とすること。それこそが、人的資本経営を成功に導く、最も確実な一歩となるでしょう。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。経営戦略と連動した人材戦略の策定から、その具体的な実行支援まで、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。