人的資本ROI:全社集計値の「罠」に陥っていませんか?
「限られた予算の中で、全社員に一律の投資をするのは非効率だと感じている」
「戦略的に『誰に』投資すべきか、その基準が分からない」
こうした悩みを抱える経営者・人事責任者の方は少なくありません。この悩みの本質は、人に関する「投資」と、それによって生み出される「成果」の関係性を測る客観的な判断基準が社内に存在しないという点にあると考えられます。
この「人への投資効率」を経営レベルで可視化し、戦略的な判断基準とするための指標として、近年注目されているのが「人的資本ROI(Return on Investment)」です。これは、「人に関する投資(分母)が、どれだけの経済的価値(分子)を生み出したか」を示す指標です。
しかし、この人的資本ROIを経営に活かす上で、全社の「集計値」だけを追うことには大きな落とし穴があります。本コラムでは、全社的な人的資本ROI(マクロな指標)を、経営のアクションに繋がる「真に意味のある指標」に変えるための具体的アプローチについて解説します。
なぜ「全社集計」の人的資本ROIだけでは不十分なのか
「全社で一つの数値」に隠された「ばらつき」の罠
全社集計の人的資本ROIは、組織の全体的な投資効率を示す一つの指標にはなります。しかし、その数値は、多様な人材群のパフォーマンスが合算(あるいは除算)された、いわば「丸められた」ものに過ぎません。
実際には、
- 高い人的資本ROIを生み出しているハイパフォーマー層と、そうでない層
- 事業の成長を牽引している戦略的重要部門と、停滞している部門
- 将来の価値創造に不可欠な希少スキルを持つ人材と、陳腐化しつつあるスキルを持つ人材
といった「ばらつき」が必ず存在するはずです。全社で一つの集計値だけを見ていては、これらの重要な実態を見誤り、的確な打ち手を講じることができません。
「事業ポートフォリオ」と同じ視点で「人材」を分析する
経営戦略において、自社のどの事業に限りある経営資源(ヒト・モノ・カネ)を集中させ、どの事業の効率を改善すべきか、その優先順位をつけることは常識的なアプローチです。
人的資本ROIの「分解」は、まさにこの「事業ポートフォリオ」の分析と同じ視点を、「人材」という経営資源の配分に持ち込むためのプロセスです。
- 高ROIの部門
- なぜ投資効率が高いのか?
- その成功要因(優秀なマネジメント、高いスキルセットなど)を特定し、他部門へ展開できないか?
- この領域には更なる投資を集中すべきではないか?
- 低ROIの部門
- なぜ投資効率が低いのか?
- 人員が過剰なのか、スキルが陳腐化しているのか、採用ミスマッチが多発しているのか?
- 抜本的なメスを入れるべきではないか?
このように、人的資本ROIを「分解」して「人材ポートフォリオ(=人材の構成)」を分析することで、初めて「どこに資源を集中させ、どこを改善すべきか」という戦略的な議論が可能になります。
「分解」こそが経営課題特定の第一歩
私たちコトラは、人的資本ROIの「分解」こそが、データ駆動型の人事戦略における、最も重要かつ最初の一歩であると考えます。
全社集計値は「報告書に載せるための数値」に過ぎませんが、分解された数値は「経営課題を特定するためのダッシュボード」に変わります。
「なんとなくA事業部の元気が無い」といった感覚的な議論ではなく、「A事業部の人的資本ROIは、他部門の半分であり、特に『中堅層の生産性』が低い」とデータで示すこと。この「分解」というプロセスが、人的資本経営を「具体的な経営アクション」へと進化させる鍵となるでしょう。
人的資本ROIを「分解」する具体的な3つの切り口
では、具体的に「全社集計値」をどのように分解すれば、有益な示唆が得られるのでしょうか。ここでは代表的な3つの切り口をご紹介します。
切り口1:事業・部門別ROI(事業ポートフォリオの健全性)
最も基本的な分解方法が、事業部ごと、あるいは部門(例:営業本部、開発本部、管理本部)ごとに人的資本ROIを算出することです。
- 得られる示唆
- どの事業が、最も効率的に「人」からリターンを生み出しているか。
- 経営戦略上、伸ばすべき事業のROIが、本当に高まっているか(戦略と実態の整合性)。
- 投資(人件費)が集中しているにもかかわらず、ROIが低い部門はどこか。
- 次のアクション
- 低ROI部門への抜本的な業務改革や、要員計画(人員数)の見直し。
- 高ROI部門の成功要因(マネジメント手法など)の分析と横展開。
切り口2:職種・等級別ROI(人材構成の最適化)
職種別(例:営業職、エンジニア職、企画職)や、等級別(例:若手層、中堅層、管理職層)に分解します。
- 得られる示唆
- 特定の職種(例:エンジニア職)のROIが極端に低い場合、採用コストの高騰(分母の増加)に対して、生み出す付加価値(分子)が追いついていない可能性。
- 特定の等級(例:シニア管理職層)のROIが低い場合、人件費は高いが、それに見合ったリターン(部下の育成や組織成果)を生み出せていない可能性。
- 次のアクション
- 低ROI職種に対するリスキリング(再教育)投資の集中。
- 低ROI等級に対する役割の再定義や、評価制度・報酬制度の見直し。
切り口3:人材セグメント別ROI(戦略的投資の判断)
これは、企業が戦略的に定義する人材群(セグメント)で分解する、より高度な分析です。
- 得られる示唆
- 「新卒採用者」と「中途採用者」の、入社3年後の人的資本ROIを比較し、中途採用者のROIが低い場合、オンボーディングや採用プロセスに課題がある可能性。
- 「次世代リーダー候補群」として選抜・投資している人材のROIは、非選抜層と比べて本当に高いのか。高くない場合、ポテンシャルのない人材を選んでいる可能性。
- 次のアクション
- 中途採用者のROIが相対的に低いのであれば、オンボーディングプログラムや、中途採用の選考基準を見直す。
- 「次世代リーダー候補群」の人的資本ROIが低い場合、リーダーの選抜方法を見直したり、育成プログラムの内容をより実践的なものにする必要がある。
人的資本ROIから始める、データドリブンの人的資本経営
人的資本ROIは、全社平均の数値を眺めるだけでは、何のアクションにも繋がりません。その数値を部門別、職種別、人材セグメント別に分解し、自社の「人材ポートフォリオ」のどこに強みと弱みがあるのかを直視することから、すべては始まります。
人的資本ROIを分解し、「ばらつき」を可視化すること。それこそが、感覚論ではない、データに基づいた適材適所や戦略的な資源配分を可能にし、会社全体の人的資本ROIを持続的に高めていく、最も確実な戦略であると考えられます。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




