人的資本経営の実践:重要ポジションを絶やさないサクセッションプラン構築法

「あの人が辞めたら終わり」という、静かなる経営危機

「社長の後継者が見当たらない…」
「デジタル変革を任せられる人材が、特定のエース一人に依存している」
「あの事業は、〇〇部長が退職したら立ち行かなくなるのではないか…」

これらは、企業の持続的成長を願う経営者であれば、誰もが一度は抱くであろう深刻な懸念です。人的資本経営の実践が叫ばれる中、こうした「特定の個人への依存」というリスクにどう向き合うかが、企業の未来を大きく左右します。

その最も戦略的かつ本質的な答えが、「サクセッションプラン」の構築と運用です。本コラムでは、多くの企業が誤解しがちなこのテーマについて、その真の目的と、企業の成長エンジンとするための具体的な実践プロセスを解説します。

サクセッションプランとは何か?―多くの企業が陥る「2つの誤解」

人的資本経営においてサクセッションプランを議論する際、多くの企業が陥りがちな、しかし決定的な「2つの誤解」があります。

誤解1:対象は「社長の後継者」だけである

サクセッションプランを「次期社長選び」と限定的に捉えるのは、最も典型的な誤解です。真のサクセッションプランが対象とするのは、社長やCEOといったトップポジションに限りません。むしろ、「そのポジションを失うと、事業戦略の遂行に重大な支障をきたす、あるいは将来の成長機会を逸する可能性のある、すべての重要ポジション」が対象となります。

具体的には、以下のようなポジションも含まれます。

  • 経営幹部:CFO(最高財務責任者)、CTO(最高技術責任者)など
  • 事業責任者:主力事業や、今後注力する新規事業のリーダー
  • 高度専門人材:AI研究開発の第一人者、トップクラスのデータサイエンティスト、M&Aの専門家など

これらのポジションを担う人材をいかに計画的に育成し、候補者層を厚くしておくかが、企業の競争優位性を維持・強化する上で不可欠なのです。

誤解2:目的は「後継者一人を決める」ことである

第二の誤解は、これを「後継者一人を探し出す」という点の活動だと捉えてしまうことです。

サクセッションプラン構築の本質的な目的は、常に複数の候補者がパイプラインに存在する状態、すなわち、才能ある人材が各階層で常に育成され、いつでも上位の責任を担える準備ができている「タレントパイプライン」を構築することにあります。このパイプラインこそが、組織の安定性と、環境変化への適応力を飛躍的に高めるのです。

サクセッションプランを機能させるための実践的アプローチ

では、この戦略的なサクセッションプランを、具体的にどのように構築・運用すればよいのでしょうか。実務に即した3つのステップを解説します。

ステップ1:「役職」ではなく「機能」で考える、キーポジションの特定

最初のステップは、対象となるキーポジションを特定することです。ここで重要なのは、「現在の組織図の役職」で考えるのではなく、「3〜5年後の事業戦略を成功させるために不可欠な『機能』」で考えることです。

例えば、「営業部長」の後継者を探すのではありません。「当社のSaaSビジネスの営業組織を、現在の3倍にスケールさせる機能」を担える人材は誰か、と問いを立てます。そうすることで、既存の営業部門だけでなく、マーケティング部門や事業企画部門にいる潜在的な候補者にも光を当てることができます。未来の事業戦略から逆算して、本当にクリティカルな「機能」は何かを、経営陣が徹底的に議論することが、プランの成否を分ける第一歩です。

ステップ2:客観的データに基づく、候補者の可視化と評価(タレントレビュー)

キーポジションとそこで求められる機能(=成功要件)が定義できたら、次に全社的な視点で候補者を発掘し、客観的に評価します。

  • 多面的な候補者発掘
    各部門からの推薦に加え、人事データや過去のプロジェクト実績などから、埋もれた才能を発掘します。「あの若手は、まだ経験は浅いが、新規事業の立ち上げで卓越したリーダーシップを発揮した」といったファクトを拾い上げることが重要です。
  • タレントレビュー会議の実施
    候補者を「現在の実績(パフォーマンス)」と「将来の潜在能力(ポテンシャル)」の2軸で評価する「9-Boxグリッド」などのフレームワークを活用します。
    年に1〜2回、経営会議などの場で、このグリッドを共通言語として、候補者一人ひとりについて「強みは何か」「次のステップとしてどんな経験が必要か」を議論します。このプロセスを通じて、経営陣の間で人材に対する共通認識と育成へのコミットメントが生まれます。

ステップ3:意図的な「修羅場」を提供する、戦略的育成

候補者を選んで終わり、ではパイプラインは機能しません。最も重要なのは、意図的かつ計画的に「育成機会」を提供することです。

  • 個別育成計画(IDP)の策定
    タレントレビューの結果に基づき、候補者一人ひとりに最適な育成計画を策定します。
  • 経験学習の戦略的デザイン
    座学研修も重要ですが、リーダーは「修羅場」で育ちます。「タフ・アサインメント」と呼ばれる、困難な課題への挑戦機会を意図的に与えることが不可欠です。
    • 例:業績不振事業の立て直し責任者、未経験分野での新規プロジェクトリーダー、海外子会社の立ち上げなど。
  • 経営陣による直接的な関与
    社長や担当役員がメンターとして直接対話し、経営視座を伝えたり、自身の経験を共有したりする機会は、候補者の視野を広げ、モチベーションを飛躍的に高めます。

未来への布石こそ、人的資本経営のポイント

サクセッションプランは、目先の業績には直接結びつかないかもしれません。しかし、企業の未来を支える重要ポジションの人材を計画的に育成し、パイプラインを構築することは、不確実な時代を乗り越え、持続的な成長を遂げるための最も確実な布石です。この未来志向の取り組みこそ、人的資本経営の実践のポイントと言えるでしょう。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の事業戦略と連動したサクセッションプランの設計から、タレントレビューの実行、次世代リーダー育成プログラムの企画・立案まで、トータルでサポートします。より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。

X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西裕也
リサーチャー兼コンサルタント

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。

DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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