なぜ、意欲的な戦略は「絵に描いた餅」で終わるのか
「意欲的な中期経営計画を策定したものの、実行段階で頓挫してしまった」
「新規事業を担うリーダーが不足しており、計画が前に進まない」
「現場は日々の業務に追われ、会社の向かうべき方向性を見失っている」
このような状況は、企業の成長ステージを問わず、多くの経営者や人事責任者が直面する深刻な課題です。その根底には、壮大な「経営戦略」と、それを実行する「人」に関する「人材戦略」とが、効果的に結びついていないという共通の問題が存在します。
本コラムでは、策定した戦略を「絵に描いた餅」で終わらせず、着実に事業成長へと繋げるための、実践的な人材戦略の描き方について考察します。
成長のジレンマ:急拡大するITサービス企業が陥った罠
当社のご支援実績をもとに、ある急成長中のITサービス企業B社のケースを例に考えてみましょう。B社は、革新的なサービスで市場シェアを急速に拡大しており、経営戦略として「3年後の売上倍増」と「新規マーケットへの参入」を掲げていました。
この戦略に基づき、人事部は採用目標数を大幅に引き上げ、精力的に人材獲得に動きました。しかし、現場では次のような問題が頻発していました。
- 採用した人材のスキルが、現場で本当に必要とされるスキルとミスマッチを起こしている。
- 急な人員増に対応できるマネージャーが不足し、組織が機能不全に陥りかけている。
- 既存社員は目の前の業務に忙殺され、新規マーケット参入に必要なスキルを学ぶ機会がない。
結果として、B社は「人は増えているのに、事業は計画通りに進まない」という成長のジレンマに陥ってしまいました。この事例が示すのは、単に頭数を揃えるだけの人材戦略では、経営戦略の実現はおろか、かえって組織の歪みを生み出してしまうという事実です。経営戦略と人材戦略の連動には、より精緻な設計が求められるのです。
未来から逆算する人材戦略:スキルベースの人材ポートフォリオという発想
B社のような失敗を避け、戦略実行の確度を高めるには、どうすればよいのでしょうか。その鍵となるのが「スキルベースの人材ポートフォリオ」という考え方です。
人材を「スキル」という共通言語で可視化する
金融の世界では、リスクとリターンを最適化するために複数の株式や債券等を組み合わせたものを「ポートフォリオ」と呼びます。これを人材マネジメントに応用したのが人材ポートフォリオです。
従来の人材管理は、年齢や勤続年数、役職といった属人的な情報が中心でした。しかし、これでは「その人が具体的に何ができるのか」を客観的に把握することは困難です。
そこで、従業員一人ひとりが持つ能力を「スキル」という客観的な単位で捉え直し、全社の人材をスキルの集合体として可視化・分析するアプローチ、すなわちスキルベースの人材ポートフォリオが効果を発揮します。このアプローチにより、「現在、自社にはどのような人材が、どれくらいいるのか」という現状を客観的に把握することが可能になります。
なぜ「スキルベース」が重要なのか?
人材ポートフォリオの構築に「スキル」が不可欠な理由は、事業環境の変化の速さにあります。新しいビジネスモデルやテクノロジーが次々と生まれる現代では、過去の経験や勘だけでは、未来に必要な人材を定義し、育成することはできません。
「スキル」という具体的で客観的な共通言語を持つことで、初めて経営戦略と人材戦略の間の具体的な接続が可能になります。つまり、「この事業戦略を成功させるためには、どのスキルが、どれくらい必要で、現在どれだけ不足しているのか」というスキルギャップを定量的に把握できるのです。この客観的な分析こそが、経営戦略と人材戦略の連動を真に機能させるための第一歩となります。
「スキルベース人材ポートフォリオ」構築の3ステップ
では、この考え方を自社の人材戦略に落とし込むための具体的なステップを、より詳しく見ていきましょう。
ステップ1:経営戦略を具体的な「必要スキル」に翻訳する
「戦略の実現に必要な人材」をスキルレベルで定義する、最も重要なプロセスです。
- 戦略の分解
まず、「売上倍増」といった全社目標を、「新規顧客層の開拓」「新商品Xの市場投入」といった具体的な重点施策に分解します。 - 役割とスキルの特定
次に、各施策を成功させるために不可欠な役割(例:プロダクトマーケティング責任者)と、その役割に求められるスキルを具体的に洗い出します。例えば、「データ分析」「デジタル広告運用」「顧客インサイト分析」といったスキルが挙げられます。 - スキルレベルの定義
最後に、特定したスキルごとに、レベルを定義します。「レベル1:指導を受けながら実行できる」から「レベル4:他者を指導できる」というように、客観的に測定可能な共通の物差しを設けることが精度を高める鍵です。
ステップ2:現状の「スキル資産」を正確に棚卸しする
未来のあるべき姿が定義できたら、次は「現在地」を正確に把握します。思い込みや印象論を排し、客観的なデータに基づいて人材のスキルを評価(アセスメント)します。
- 多角的な評価
本人申告、上長評価、スキルテスト、過去の実績などを組み合わせ、多角的な視点からスキルレベルを評価します。 - データの集約と可視化
収集した情報をタレントマネジメントシステムなどに集約し、全社のスキルポートフォリオとして可視化します。これにより、「全社で『データ分析』スキルを持つ人材は多いが、レベル3以上は事業部Yに偏っている」といった組織レベルでの強み・弱みが一目でわかるようになります。
ステップ3:スキルギャップを埋める戦略的な「アクションプラン」を策定する
「あるべき姿」と「現在の姿」のスキルギャップが明らかになったら、それをどう埋めるかという具体的なアクションプランを策定します。
- Buy(採用)
外部市場から必要なスキルを持つ人材を獲得します。事業スピードを最優先する場合や、社内に全く知見のない専門スキルが必要な場合に有効です。 - Build(育成)
既存社員を研修、リスキリング、挑戦的な配置転換などを通じて育成します。組織文化の維持や、社員のエンゲージメント向上に繋がります。 - Borrow(活用)
業務委託やフリーランスなど、外部の専門家を期間を定めて活用します。特定のプロジェクトで一時的に高度な専門性が必要な場合に有効です。
これらの選択肢を、スキルギャップの性質、緊急度、コストなどを総合的に勘案して最適に組み合わせ、具体的な人事施策へと落とし込んでいきます。
戦略的な人事は、企業の競争優位性を築く
経営戦略を「絵に描いた餅」で終わらせないためには、それを実現するための人材を、質・量ともに計画的に確保・育成していく戦略的な人事が不可欠です。
本コラムでは、その中核的な考え方である「スキルベースの人材ポートフォリオ」について、その基本概念から具体的な実践ステップまでを解説しました。経営戦略と人材戦略の連動とは、単なるスローガンではなく、企業の未来を左右する極めて重要な経営アジェンダです。この連動性を高めることこそが、変化の激しい時代を勝ち抜くための、揺るぎない競争優位性の源泉となるでしょう。
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