なぜ、同じ研修を受けても「差」がつくのか
「トップ営業であるAさんのノウハウを、全社員に展開したい」
「Bさん(平均的な社員)を、どうにかしてAさんのレベルまで引き上げられないか」
経営者や現場マネージャーから、このような相談を受けることは少なくありません。これに応えるべく、多くの人事部門がハイパフォーマーの行動特性を分析し、研修プログラムを開発し、全社員への底上げ教育を実施しています。
しかし、その結果、「研修直後はモチベーションが上がったように見えたが、時間が経つと元のパフォーマンスに戻ってしまった」「Aさんと同じやり方を教えたのに、Bさんには定着しなかった」というケースも見受けられます。
なぜ、同じカリキュラム、同じ時間を投じても、成長の度合いに差が生じるのでしょうか。それは教育の「質」だけの問題ではなく、前提となる「個人の特性」に違いがあるからかもしれません。
限られた予算とリソースの中で、人的資本への投資対効果を高めるためには、組織の現状を客観的に捉え、層ごとにアプローチを変えていく視点も必要です。本コラムでは、組織論の原則である「2:6:2の法則」と、能力の構造分解を通じて、より効果的な育成投資の配分について解説します。
組織に見られる「2:6:2の法則」とは
戦略的な育成を考える上で、一つの目安となるのが「2:6:2の法則」です。これは、多くの組織において、人材のパフォーマンス分布が以下の傾向に分かれやすいという経験則です。
- 上位2割(ハイパフォーマー)
自律的に動き、組織全体の成果を牽引する層。指示されなくとも課題を発見し、解決する能力を持つ傾向があります。 - 中位6割(中間層)
組織のボリュームゾーン。定型的な業務は問題なくこなすが、イレギュラーな事態や高度な判断には支援を必要とする層。環境や仕組み次第で、成果が変動しやすい特性があります。 - 下位2割(ローパフォーマー)
業務遂行において手厚いサポートを必要とする、あるいは現在の役割と適性がミスマッチを起こしている可能性がある層。
人事施策において課題となりやすいのが、この「中位6割(中間層)」に対して、「上位2割(ハイパフォーマー)」と全く同じ到達ゴールを設定してしまうことです。「全員を上位2割の水準にする」という目標は理想的ですが、上位層と中間層では、そもそも保有している「資質のタイプ」や「得意領域」が異なるケースが多く、現実には多くの時間とコストがかかる可能性があります。
戦略人事において重要なのは、無理に層を移動させることよりも、「それぞれの層が、その特性の中で最大限のパフォーマンスを発揮できる環境と教育を提供すること」にあると考えられます。
能力の解剖学:「氷山モデル」で見極める
「中間層をハイパフォーマーと同じ動きに変えるのは難しいのか?」という疑問を紐解くために、能力を構造的に捉えてみましょう。人事の世界ではよく知られる「氷山モデル(コンピテンシー・モデル)」が参考になります。人の能力は、水面から出ている「見えやすい部分」と、水面下に隠れている「見えにくい部分」の2層で成り立っているという考え方です。
水面上の能力(知識・スキル)
履歴書や職務経歴書で確認でき、教育によって比較的短期間で習得・更新可能な領域です。
- テクニカルスキル
商品知識、業界法規制、PC操作、プログラミング言語、語学力など。 - ビジネススキル
プレゼンテーションの手法、商談のステップ、ロジカルシンキングのフレームワークなど。
これらは具体的な「方法」を教えれば、ある程度までは再現可能です。一般的な研修の多くは、この水面上の能力を対象としています。
水面下の能力(資質・マインド)
水面下に隠れており、見えにくく、かつ長期間かけて形成された性格や価値観です。これらは成人が後天的に変えるには時間がかかり、本人の強い意思変革が必要となるケースが多い領域です。
- コンピテンシー(行動特性)の源泉
- 地頭の良さ
情報処理速度、抽象化能力、複数の事象から共通項を見抜く力。 - グリット(やり抜く力)
困難に直面しても折れない達成意欲、執着心。 - 知的好奇心
未知のものに対する興味、自ら学習し続けるエンジン。 - 対人感受性(共感力)
他者の感情を読み取り、適切に反応するセンス。
- 地頭の良さ
ハイパフォーマーと呼ばれる人材は、この「水面下の能力」が強固である傾向にあります。彼らが成果を出せるのは、教わった知識やスキル(水面上の能力)を、自身の適性に合わせて活用できているからでしょう。
一方、中間層に対して、この「土台の違い」を考慮せずにハイパフォーマーと同じ高度な判断(例:マニュアルにない臨機応変な顧客対応や、ゼロベースでの新規事業開発)を求めても、うまく機能しないことがあります。
教育で効率的に伸ばせるのは主に「水面上の能力」です。「水面下の能力」の変革を教育研修のみに期待するのは、投資判断として難易度が高いと言えるでしょう。ここは教育だけでなく、「採用」や「配置」で見極めるべき領域と捉えるのが現実的かもしれません。
上位2割(ハイパフォーマー)への投資戦略:教育よりも「機会」
では、層ごとにどのような投資を行うことが有効でしょうか。まずは上位2割への戦略です。
ハイパフォーマーに対しては、座学の研修よりも実践的な機会の提供が有効です。高い意欲と学習能力を持つ彼らは、研修という形式をとらなくても、実務の中で情報を収集し、試行錯誤しながら成長していくからです。むしろ、一律の研修への参加を求めることが、彼らの時間を圧迫してしまう可能性もあります。
彼らに必要な投資は、「ストレッチアサイン(挑戦的な機会)」と「環境整備」の2点です。
ストレッチアサイン(挑戦的な機会)の提供
彼らの成長意欲を満たすためには、「今の能力では達成できるか分からない」という難易度の高いミッションを与え続けることが効果的です。
- 新規事業の立ち上げリーダー
- 海外拠点のマネジメント
- 全社横断の特命プロジェクト
これらは正解のない業務であり、彼らのポテンシャルが発揮される領域です。ここで得られる経験こそが、彼らをさらに成長させます。
環境整備(障害の除去)
彼らのパフォーマンスを高めるために、業務の阻害要因を減らします。
- 権限委譲による決裁スピードの向上
- 定型業務のアウトソーシング支援
- 柔軟な働き方の容認
彼らに対する教育予算は、セミナーへの派遣費などだけでなく、失敗のリスクを含んだ「挑戦の機会」と、動きやすい「環境」への投資に配分することが推奨されます。
中位6割(中間層)への投資戦略:「個人の感覚」から「仕組み」へ
次に、組織の成果を安定させるための鍵となる、中間層(6割)への戦略です。 ここでのゴールは、彼らをハイパフォーマーと同じ状態にすることではなく、「個人の資質に過度に依存せず、安定して成果を出せる状態(再現性の確保)」を作ることです。
ハイパフォーマーの仕事ぶりは、往々にして「個人の感覚や経験則に基づく暗黙知」によって支えられています。 これをそのまま中間層に真似させようとしても、習得には長い時間がかかります。 人事と現場マネージャーがなすべきは、この暗黙知を分解し、誰もが実行可能な「仕組み」と「ツール」に落とし込むことです。
暗黙知の形式知化(標準化)
トップ営業マンが「顧客の信頼を得る」という抽象的な行動を行っている場合、それを具体的な行動レベルに分解します。
- 「アイスブレイクで具体的に何を話しているか?」
- 「ヒアリングで必ず聞く質問は何か?」
- 「提案資料のどの部分を強調しているか?」
これらを言語化し、「成功パターン」としてマニュアルやスクリプトに落とし込みます。
思考を補助する「ツール」の提供
個人の判断力を補うために、業務支援ツールを提供します。
- 入力するだけで最適なプランが出力される「見積シミュレーションツール」
- 抜け漏れを防ぐための「業務プロセス管理シート」
- 過去の事例が即座に検索できる「ナレッジベース」
中間層への教育投資は、個人の能力を無理に引き上げることに固執するのではなく、「能力を発揮しやすくするための仕組みとツール」に向けることが有効です。
目標を大きく上回る成果を全員に求めるのではなく、基準を満たす成果を全員が安定して出せる体制を作ること。これが、組織全体の生産性を高めるための堅実なアプローチです。
下位2割への対応と、全体最適の視点
最後に、下位2割への対応についても触れておきます。 彼らに対して「中間層と同じ成果」を求めて手厚い教育を繰り返すことは、コスト対効果が見合わない場合があります。
ここでのアプローチとして有効なのは、「教育」だけでなく「マッチング(配置)」の見直しです。 現在の業務で成果が出ないのは、本人の努力不足ではなく、本人の適性と業務内容のミスマッチが生じている可能性があります。
- 対人折衝が苦手だが、正確なルーチンワークには強みがある。
- 複雑な思考は苦手だが、定型作業の持続力は高い。
複雑な判断を減らし、業務プロセスを単純化したタスクに配置転換することで、彼らが「中間層」としての働きを見せるケースも多々あります。 無理に変わらせるのではなく、彼らの特性が活きる場所を探す、あるいは業務自体を彼らがこなせるサイズに切り出すことも、全体最適につながります。
教育とは、組織の「ポートフォリオ・マネジメント」
教育を受ければ、人は誰でも成長できる。この考え方は大切ですが、企業の経営資源(ヒト・モノ・カネ・時間)が有限である以上、ビジネスにおける教育戦略には適切な投資判断が求められます。
- 上位2割
「研修」よりも「挑戦機会」と「動きやすい環境」を提供し、さらなる成長を促す。 - 中位6割
「精神論」ではなく「標準化された型とツール」を提供し、成果の再現性を高める。 - 下位2割
「矯正」よりも「最適配置」を検討し、組織全体の流れを整える。
このように、人材の分布に合わせてアプローチを使い分けること。 「中間層をトップレベルの人材にする」という難易度の高い課題に挑むのではなく、「普通の社員が、仕組みの力で安定した成果を上げられる組織」を設計すること。 それこそが、人的資本経営の時代において、人事が検討すべき育成戦略と言えるでしょう。
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