なぜ今、日本企業に「CHRO」が必要なのか
グローバルで加速する人的資本経営の流れを受け、日本企業でも「人材」を「資本」と捉え、その価値を最大化する動きが本格化しています。しかし、多くの企業が直面しているのが「経営戦略と人材戦略の乖離」という課題です。
経営層が「新たな成長戦略」を描いても、それを実行する人材の質と量が追いつかない。あるいは、人事施策が現場の管理業務に終始し、事業の成長に貢献できているかが見えにくい。こうした状況を打破し、人的資本を企業の競争優位性に昇華させる司令塔として期待されているのが、CHRO(Chief Human Resources Officer:最高人事責任者)です。
人的資本経営は、単なる人事制度の刷新ではなく、経営そのものの変革を意味します。本コラムでは、CHROという役割の重要性と、従来の人事部長との決定的な違い、そして経営を動かすために必要な実践的アプローチについて解説します。
CHROと「人事部長」を分ける決定的な視点
多くの企業で「CHRO」という役職が新設されていますが、その実態が「人事部長」の呼称変更に留まっているケースも見受けられます。両者の間には、その役割と視座において明確な違いが存在します。
「管理・調整」から「価値創造」へ
従来の人事部長の主な役割は、労務管理、採用事務、給与計算といった人事機能の円滑な運用にありました。視点は主に「社内」と「過去から現在」に向けられ、いかにミスなく、コストを抑えて管理するかが重視される傾向にありました。
これに対し、CHROの視点は常に「市場・投資家」と「未来」に向けられています。CHROは経営陣の一員として、5年後、10年後の事業ポートフォリオを見据え、その実現のためにどのような人材が必要か、どのような組織文化を醸成すべきかを設計します。
人事部長が「コストとしての人的資源」を管理するのに対し、CHROは「価値を生む資本としての人的資本」を投資・運用する役割を担っていると考えられます。
具体例で見る「三位一体経営」のリアル
CHROは、CEO(最高経営責任者)、CFO(最高財務責任者)と並ぶ「経営の三位一体」の一角を担います。例えば、新規事業への参入を検討する際、以下のような議論を成立させるのがCHROの役割です。
- CEO(戦略)
「この市場は伸びる。3年でシェア10%を取りたい」 - CFO(財務)
「そのための投資予算は◯億円まで出せる」 - CHRO(人材)
「その予算では必要なスキルの人材を市場から獲得できません。社内のリソースを配置転換して育成するか、あるいはM&Aでチームごと獲得する戦略に変えるべきです」
このように、経営戦略の「実現可能性」を人材面からジャッジし、時にはCEOの戦略そのものに修正を迫ることができるかどうかが、人事部長との決定的な違いです。
経営戦略と人事戦略を連動させる3つの核心的役割
CHROが具体的にどのような役割を果たすべきか、人的資本経営を推進する上での核心となる3つのポイントを挙げます。
事業成長を支える「人材ポートフォリオ」の動的な構築
CHROが担う人材ポートフォリオの構築は、既存の組織図の空席を埋めるような「単なる人員配置」とは本質的に異なります。CHROに求められるのは、事業ポートフォリオの将来的な変化(例:既存事業からDX事業へのシフト)を見据え、経営戦略と連動させて人材リソースを動的に、かつ大胆に再配分することです。
例えば、「既存事業のハイパフォーマーを、売上がまだ立っていない新規事業へ異動させる」といった判断は、現場の抵抗が大きく、人事部長レベルでは調整困難です。CHROは経営判断として、短期的な痛みを引き受けてでも、未来のために人的資本を再配分する決断を下します。
パーパスを起点とした「組織文化」の醸成
人的資本の価値を最大化させるためには、社員一人ひとりが企業のパーパス(存在意義)に共感し、自律的に動く組織風土が不可欠です。CHROは「カルチャーの番人」として、評価制度や報酬体系がパーパスと矛盾していないかを常に監視します。「挑戦を掲げているのに、減点主義の評価になっていないか?」といった不整合を正し、従業員エンゲージメントを高める責任を負います。
投資家との対話と「人的資本開示」の主導
人的資本情報の開示が義務化される中、CHROには自社の人的資本の状況を定量・定性の両面から分析し、社外にストーリーとして語る力が求められます。 単に離職率や女性管理職比率を公開するだけではありません。「なぜ当社の離職率が低いことが、将来のイノベーションにつながるのか」というストーリーを投資家に説明し、企業価値への信頼を獲得することが重要なミッションとなります。
組織内にCHROを実装し、形骸化を防ぐためのポイント
CHROを形骸化させず、真に機能させるためには、組織体制や権限の設計が極めて重要です。以下の3つのアプローチを並行して進めることが推奨されます。
明確な権限委譲とレポートラインの確立
CHROが単なる「人事の代表」に留まらないよう、取締役会や経営会議での議決権を持ち、CEOに直接レポートする体制を整えます。また、人事だけでなく、経営企画や広報といった部門との連携をスムーズにするための横断的な権限付与が必要です。
人事とビジネスの「バイリンガル」を登用・育成する
CHROには、人事の専門知識に加え、財務諸表を読み解く力やビジネスモデルへの深い理解が不可欠です。 そのため、必ずしも人事一筋である必要はなく、事業責任者経験者をCHROに登用するケースも増えています。一方で、現在の人事責任者がCHROを目指す場合は、自ら事業部門の会議に出席し、ビジネスの現場感覚と財務視点を養うことが、CHROへの近道となります。
サクセッションプラン(後継者計画)との連動
CHROの役割の一つに、次世代リーダーの育成があります。CEOを含む経営陣の後継者計画(サクセッションプラン)を客観的に管理し、指名委員会等と連携してガバナンスを効かせることで、企業の持続的な成長を担保します。これは「聖域」を作らず、人的資本経営における透明性を確保するという観点からも、極めて重要なプロセスです。
CHROは「企業の未来」への投資責任者である
CHROの設置は、その企業が「人を本気で資本と見なしているか」を示す象徴的なメッセージとなります。人的資本経営という変革の荒波を乗り越え、持続可能な成長を実現するためには、管理の枠を超え、経営戦略を人事の側面からリードするCHROの存在が不可欠です。
人材こそが価値の源泉であるという信念に基づき、経営と人事を一本の線で繋ぐ。その重責を担うCHROを組織の核に据えることが、激動の時代において生き残るための最も確かな戦略となるのではないでしょうか。
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