「正しい戦略」だけでは、なぜ組織は動かないのか?
練りに練った経営戦略。市場の分析も、競合の動向も、自社の強みもすべて勘案した、論理的には完璧なはずの計画。経営者として、あるいは責任者として、あなたは確かな手応えを感じていることでしょう。
しかし、いざその戦略を全社に共有した時、現場から返ってくる反応はどうでしょうか。期待したような熱気や当事者意識は感じられず、どこか他人事のような、静かな反応。会議室で語られたはずの熱量が、現場に届くまでに霧散してしまうような感覚。まるで、アクセルを踏み込んでいるのに、見えないブレーキがかかっているかのようなもどかしさ。
この「正しい戦略」と「動かない組織」との間にある深い溝こそ、多くのリーダーが抱える最も悩ましい課題の一つではないでしょうか。その原因は、戦略のロジックではなく、人の「心」の領域にあります。本コラムでは、この見えないブレーキの正体である「エンゲージメント」の課題に焦点を当て、経営戦略や人材戦略の実行力を高めるためのアプローチを考察します。
理念は立派、でも現場は「しらけムード」:あるサービス企業の現実
当社のご支援実績をもとに、あるサービス業E社のケースを例に考えてみましょう。E社は「お客様に最高の感動体験を提供する」という素晴らしい経営理念を掲げていました。経営陣は、この理念を体現するために、新たなサービス基準や行動指針を策定し、全社に通知しました。
しかし、現場の社員の反応は芳しくありませんでした。
- 「また上層部が何か言っている。どうせ現場のことは分かっていない」
- 「日々の業務で手一杯なのに、さらに新しいことを覚えろというのか」
- 「理念は素晴らしいと思うが、それを実現しても自分の評価には繋がらない」
このような「しらけムード」が蔓延し、理念は壁に飾られたお題目のまま。社員のエンゲージメントは低迷し、顧客満足度も伸び悩むという悪循環に陥っていました。
E社の失敗は、戦略や理念という「何を(What)」を伝えることばかりに注力し、社員の想いや感情という「なぜ(Why)」や「どのように(How)」に向き合うプロセスを軽視したことにあります。経営戦略と人材戦略の連動は、制度やルールといったハード面だけでなく、人の心というソフト面のアプローチが不可欠なのです。
戦略実行力の源泉は「心理的安全性」と「質の高い対話」
では、どうすればE社のような状況を改善し、社員一人ひとりが会社のビジョンを自分ごととして捉え、主体的に動き出す組織を作れるのでしょうか。その鍵を握るのが、「心理的安全性」が確保された場での「質の高い対話」です。
心理的安全性とは、「この組織の中では、自分の意見や感情を安心して表明できる」とメンバーが感じられる状態を指します。これが確保されていない組織では、社員は本音を語らず、経営からのメッセージは一方通行で消費されるだけになってしまいます。
エンゲージメントの高い組織では、この心理的安全性を土台として、様々なレベルで活発な対話が行われています。
- 経営と社員の対話
経営陣が自らの言葉でビジョンを語り、社員の疑問や不安に真摯に耳を傾ける場(タウンホールミーティングなど)。 - 上司と部下の対話
目標設定や評価だけでなく、部下のキャリア観や価値観について深く理解し、成長を支援する場(質の高い1on1ミーティング)。 - 同僚との対話
互いの業務への理解を深め、協力し合い、建設的なフィードバックを交わし合う文化。
私たちコトラは、これらの対話が単なる情報共有の場であってはならないと考えます。対話の目的は、会社のビジョンと個人のキャリアビジョンをすり合わせ、重なり合う部分を見出すことにあります。社員が「この会社で働くことが、自分のなりたい姿に近づくことに繋がる」と感じられた時、内発的な動機付け、すなわち真のエンゲージメントが生まれます。
経営戦略と人材戦略の連動とは、突き詰めれば、この「会社と個人のベクトル合わせ」のプロセスに他なりません。
組織に対話文化を根付かせるための具体的な仕掛け
組織に対話の文化を育むことは、一朝一夕に成し遂げられるものではありません。しかし、意識的な仕掛けによって、そのプロセスを加速させることができます。
「1on1ミーティング」をキャリア対話の場として再定義する
多くの企業で導入されている1on1ですが、業務の進捗確認に終始していないでしょうか。これを「部下の成長とキャリアを支援する時間」と再定義することが重要です。
- テーマの多様化
「業務の進捗」だけでなく、「キャリアの希望や不安」「心身のコンディション」「(上司である)私へのフィードバック」といったテーマを設け、部下が話したいことを選べるようにします。 - 「ステイ・インタビュー(定着面談)」の実施
「どうすれば、あなたがこの会社で働き続けたいと思ってくれるか?」という問いを軸に、社員が会社に留まる動機を直接ヒアリングする対話も極めて有効です。
経営層による積極的な「自己開示」を促す
心理的安全性を高めるには、まず立場の上の人間から自己を開示し、信頼の橋を架けることが有効です。
- 具体的な発信の場
CEOブログや全社集会(タウンホールミーティング)などで、戦略決定の背景にある悩みや、過去の失敗談、個人的な価値観などを率直に語ります。「完璧ではないリーダー」の姿を見せることが、社員が本音を話しやすい雰囲気を作ります。 - 非公式な対話の機会
少人数の社員グループとのランチミーティングや座談会など、経営層が現場の声を直接、かつフラットに聞く場を設けることも効果的です。
ポジティブな行動を増幅させる「称賛・承認」の仕組みを整える
人は、自分が認められていると感じる組織に貢献したいと考えるものです。日々のポジティブな行動を可視化し、増幅させる仕組みを取り入れましょう。
- ピア・ボーナスの活用
社員同士が感謝と共に少額のボーナスを送り合えるツールなどを活用し、称賛を日常的な文化にします。 - 価値観に紐づけた称賛
「〇〇という行動は、まさに我々のバリューである『顧客第一』を体現している」というように、称賛を会社の価値観や戦略と結びつけることで、望ましい行動が組織全体に浸透していきます。
率直な意見交換を促す「フィードバック文化」を醸成する
質の高い対話には、ポジティブな面だけでなく、改善点や懸念を伝え合う建設的なフィードバックが不可欠です。
- 共通のフレームワーク導入
「SBI(Situation/状況 – Behavior/行動 – Impact/影響)型フィードバック」のような、客観的な事実に基づいてフィードバックを行うための共通フレームワークを導入し、全社でトレーニングを実施します。これにより、人格攻撃ではない、行動改善に繋がるフィードバックが可能になります。 - フィードバックの双方向化
上司から部下へ、だけでなく、部下から上司へ、あるいは同僚同士でのフィードバックを促す仕組み(360度フィードバックなど)を導入し、組織全体の学習能力を高めます。
エンゲージメントは、戦略を推進するエネルギー
本コラムでは、経営戦略と人材戦略の連動を実現するためのソフト面からのアプローチとして、「対話」と「エンゲージメント」の重要性、そしてそれを育むための具体的な仕掛けを解説しました。
どれほど精緻な経営戦略を策定しても、それを実行する社員一人ひとりの意欲、すなわちエンゲージメントが低ければ、戦略は期待した成果を生みません。心理的安全性の高い土壌の上で、質の高い対話とフィードバックの文化を育むこと。それこそが、社員の当事者意識を高め、組織全体を動かす強大な推進力を生み出すのです。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と、エンゲージメント測定・向上策の企画立案の豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。社員のエンゲージメントを高め、戦略の実行力を上げるための具体的な対話の設計について、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。




