エンゲージメント投資は、結局いくらの利益になるのか?
「従業員エンゲージメントを高めるための研修や制度改定には、多大なコストがかかる。その投資が、最終的に会社の利益にどう結びつくのか、具体的な数字で示してほしい」
経営会議でこのように問われた時、人事責任者・経営企画責任者の方々は明確な回答を用意できているでしょうか。エンゲージメントが重要であることは共通認識となっていても、その経済的価値、すなわち投資対効果(ROI)を説明するのは容易ではありません。
この「説明責任の壁」を突破する鍵こそが、従業員推奨度(eNPS)をブリッジとして活用し、「投資 → エンゲージメント → eNPS → 経営成果」という一連の因果の連鎖を、データに基づいて可視化することです。
エンゲージメントという、いわば組織内部の「熱量」を、eNPSという「経営成果に近い指標」に転換し、そこから財務的リターンへの道筋を示す。このストーリーを構築することが、人的資本投資への理解と協力を得るための有効なアプローチだと考えられます。本コラムでは、そのための具体的な4つのステップを解説します。
eNPSが「エンゲージメント」と「経営成果」を繋ぐ鍵となる理由
「エンゲージメントが高い従業員は生産性が高い」など、エンゲージメントと経営成果の間には直接的な関係性も存在します。それでもなお、このフレームワークでeNPSを両者の間に置くのは、eNPSがエンゲージメントだけでは捉えきれない組織全体の課題を映し出し、特定の経営成果との結びつきをより強力に説明する、優れた中間指標として機能するためです。その主な理由は2つあります。
経営成果との論理的な近接性
eNPSは、特定の経営成果と概念的に強く結びついています。例えば、「職場として推奨する」というeNPSの定義は、人材の定着やリファラル採用(社員紹介)の可能性と直接的に関連し、企業の採用力を示す指標となります。
また、自社を推奨する従業員が、顧客満足度の向上に貢献するという論理的な関係性も広く認識されており、eNPSは内部の従業員満足を外部の顧客価値へと繋ぐ重要なブリッジ指標として機能します。
KPIとしての優れた実用性
経営指標(KPI)として、eNPSは実用面で大きな利点を持ちます。具体的には、eNPSは「職場を10段階でどの程度推奨できるか」という問いに基づき、回答者を明確に3つのカテゴリに分類します。
- 推奨者(Promoters)
9~10点を付けた従業員。自社の成長に貢献する熱意を持つ層。 - 中立者(Passives)
7~8点を付けた従業員。満足はしているが、熱意は限定的な層。 - 批判者(Detractors)
0~6点を付けた従業員。不満を抱え、離職や生産性低下のリスクがある層。
eNPSスコアは「推奨者の割合 ー 批判者の割合」で算出されます。 エンゲージメントスコアが「5段階評価で平均3.8点」といった相対的な数値で示され、その良し悪しの判断基準が曖昧になりがちなのに対し、eNPSは「批判者を減らし、推奨者を増やす」という、誰にでも分かりやすく、具体的な目標設定を可能にします。この分類の明確さとコミュニケーションのしやすさが、組織全体の意識を統一し、改善活動を推進する上で強力なツールとなるのです。
以上の理由から、eNPSを重要なハブとして設定することで、人的資本への投資が最終的にどのような経営的価値を生み出すのか、そのプロセスをより解像度高く、説得力を持って説明することが可能になるのです。
人的資本投資のROIを解き明かす「4つのステップ」
Step 1:投資(Investment)- 何に、なぜ投資するのかを明確にする
まず、人的資本への「投資」とは何かを具体的に定義します。これらは単なるコストではなく、明確なリターンを期待する戦略的活動です。例えば、以下のようなものが挙げられます。
- マネジメント開発
1on1ミーティングの質の向上を目的とした管理職向けコーチング研修、360度フィードバックの導入など。 - 成長と機会の提供
DX人材育成のためのリスキリングプログラム、キャリア自律を促す社内公募制度の活性化、資格取得支援制度の拡充など。 - 公正な評価と報酬
評価プロセスの透明化、貢献に即時で報いるピアボーナス制度の導入、成果と連動した報酬テーブルの見直しなど。 - ウェルビーイングの向上
柔軟な勤務形態(リモートワーク、フレックスタイム)の導入、メンタルヘルスサポートの充実、コミュニケーションを活性化させるオフィス環境への改装など。
Step 2:エンゲージメント(Engagement)- 「最初の効果」を測定する
次に、Step1の投資が、従業員の意識や行動にどのようなポジティブな変化をもたらしたかを測定します。ここで示すべきは、厳密な因果関係の証明ではなく、投資の有効性を示す合理的な根拠です。
<定量的な分析>
施策の前後で、関連するエンゲージメントサーベイの項目がどう変化したかを分析します。
例えば管理職向けのコーチング研修を実施した場合、研修に参加したマネージャーが率いるチームと非参加者のチームを比較します。このとき、エンゲージメントサーベイの「上司は自分の成長を支援してくれる」「上司は自分の意見に耳を傾けてくれる」といった項目のスコアが参加者の率いるチームで有意に向上したか、を検証します。
<定性的な分析>
さらに、数値データだけでは見えない変化の背景を捉えるため、定性的な情報で分析を補完します。
例えば、施策に参加した管理職やその部下にヒアリングを行い、「研修で学んだ内容が、日々のどのような行動変容に繋がったか」「それによって、部下の意識やチームの雰囲気にどのような具体的な変化があったか」といった声を集めます。こうした生の声は、数値上の相関関係に説得力のあるストーリーを与え、投資効果の納得感を高める上で非常に有効です。
これらの定量的・定性的な分析を組み合わせることで、「投資Aの実施と、エンゲージメント要因Bの向上との間には、ポジティブな相関関係が見られる」という蓋然性の高い仮説を示すことができます。
Step 3:eNPS – 「影響度」を定量化し、転換を検証する
エンゲージメントの向上が、eNPSの向上にどの程度影響を与えるのかを定量的に検証します。
ここでは、回帰分析などの統計モデルを用いて、エンゲージメントの特定項目(説明変数)がeNPS(目的変数)に与える影響の大きさを算出します。これにより、どのエンゲージメント項目がeNPSを動かす上で重要なドライバー(駆動力)となっているかを特定できます。
例えば、回帰分析の結果から「『成長を実感できている』という項目のスコアが1ポイント高い従業員は、eNPSのスコアが平均でXポイント高い」といった具体的な影響度が導き出されたとしましょう。この場合、Step2の結果と組み合わせることで、「研修によって『成長実感』が高まった結果、eNPSがYポイント向上する見込みである」という、より精緻で説得力のあるロジックを構築できます。
Step 4:経営成果(Business Outcome)- 「経済的価値」に翻訳する
最後に、向上したeNPSが、具体的な経営指標にどれだけの経済的インパクトをもたらすのかを試算します。ここでは、例として「人材リテンション効果(離職コストの削減)」という観点から試算します。
- データ準備
過去のeNPSサーベイの結果(誰が推奨者・中立者・批判者だったか)と、そのサーベイ実施後の一定期間(例:1年間)における実際の離職者データを匿名化して準備します。 - カテゴリ別離職率の算出
サーベイ時点での「推奨者」「中立者」「批判者」の各グループが、その後1年間でどれくらいの割合で離職したかを算出します。多くの場合、「批判者」の離職率は「推奨者」のそれよりも有意に高い傾向が見られます。 - 経済価値への換算
上記で算出された離職率の差を、具体的なコスト削減額に換算します。従業員一人当たりの離職・採用コスト(採用広告費、人材紹介手数料、採用担当者の人件費、研修費用などを合算して算出)を設定します。計算方法としては、以下のような式が考えられるでしょう。
(批判者と推奨者の離職率の差)×(対象従業員数)×(一人当たり離職・採用コスト)= 削減可能な年間コスト
このプロセスにより、「eNPSを改善し、批判者を推奨者に転換させることで、年間XX円の離職コストが削減できる」という、経営層にとって具体的でインパクトのある主張が可能になります。
eNPSは、エンゲージメントの価値を経営言語に翻訳するツール
エンゲージメント向上への取り組みは、それ自体が目的ではありません。その価値を、経営陣が理解できる「言語」、すなわちeNPSと、その先の経済的リターンに「翻訳」して初めて、全社的なコミットメントを得て、人的資本経営を本格的に加速させることができます。
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