「仲良し」なだけの組織になっていませんか?
近年、経営や人事の領域で頻繁に耳にするようになった「心理的安全性」という言葉。多くの経営者や管理職がその重要性を認識し始めています。しかし、その意味を「メンバー同士が仲良く、波風の立たない穏やかな状態」や「誰も傷つかないように、厳しい指摘をしない『ぬるま湯』のような職場」と誤解しているケースが少なくありません。
もし貴社が目指す姿が、単なる「仲良し組織」であるならば、それは企業の成長を停滞させる危険なサインかもしれません。本コラムでは、今さら聞けない「心理的安全性」の基本に立ち返り、その正しい意味と、なぜそれが企業の持続的成長に不可欠なのかを、基本から徹底的に解説していきます。
心理的安全性とは
心理的安全性の概念を提唱したのは、ハーバード大学のエイミー・C・エドモンドソン教授です。同氏は心理的安全性を「チームにおいて、対人関係におけるリスクをとっても安全であるという信念が、チームメンバーに共有された状態」と定義しました。
簡単に言えば、「このチームの中では、素朴な疑問を投げかけたり、自分の意見を率直に述べたり、あるいは失敗したりしても、罰せられたり、恥ずかしい思いをさせられたりすることはない」と、メンバー全員が自然に感じられる状態のことです。
この概念が一躍注目を浴びたのは、Google社が実施した「プロジェクト・アリストテレス」という大規模な調査がきっかけでした。成功し続ける生産性の高いチームに共通する因子を分析した結果、チームメンバーの知性や経験、働き方といった要素以上に、「心理的安全性が群を抜いて重要である」という結論に至ったのです。
「ぬるま湯」組織との決定的な違い
ここで重要なのは、心理的安全性の高さは、仕事の基準や規律の甘さとは全く関係がないということです。仕事への基準と心理的安全性の組み合わせによって、組織の状態を4つのタイプに分類して考えることができます。その中で目指すべきは、「仕事の基準は高く、かつ心理的安全性も高い」という学習と成長が生まれる状態です。
- 高基準・高安全性(学習・ハイパフォーマンスゾーン)
メンバーは互いに尊敬し、信頼し合い、高い目標に向かって挑戦し、失敗から学び、共に成長できる理想的な状態。 - 低基準・高安全性(快適ゾーン)
仲は良いが、仕事への要求水準が低く、成長や挑戦が生まれない、いわゆる「ぬるま湯」の状態。 - 高基準・低安全性(不安ゾーン)
高い成果を求められる一方で、失敗が許されず、常に不安や恐怖を感じるストレスフルな状態。 - 低基準・低安全性(無関心ゾーン)
仕事への意欲も、人間関係への関心も低い、最も生産性の低い状態。
心理的安全性とは、挑戦と成長を促すための「土台」であり、決して「逃げ場」ではないのです。
心理的安全性を構成する「4つの因子」
日本の研究者たちが、エドモンドソン教授の概念を基に、日本の組織文化に合わせてより具体的に提唱したのが、以下の「4つの因子」です。自社のチームがどの因子に強みや弱みを持っているかを考えることで、現状をより深く理解できます。
- 話しやすさ
役職や年齢に関係なく、自分の意見や考えを率直に発言できる状態。「こんなことを言ったら空気が悪くなるかも」といった懸念なく、誰もが安心して話せる空気感を指します。 - 助け合い
困ったときや行き詰まったときに、いつでも気兼ねなく周囲に相談し、助けを求められる状態。「助けてほしい」と声を上げることが弱さではなく、チームで課題を解決するための一つの手段として認識されています。 - 挑戦
失敗を恐れずに、新しいアイデアやアプローチを試すことができる状態。結果の成否だけでなく、挑戦したこと自体が評価され、たとえ失敗してもそれが学びとして組織の資産になるという信頼感があります。 - 新奇歓迎
多様な価値観や異なる意見、新しいメンバーを、組織全体で歓迎し、受け入れる姿勢。自分と違う考え方を脅威ではなく、新たな視点をもたらす「ギフト」として捉える文化を指します。
なぜ今、心理的安全性が経営課題となるのか
心理的安全性の確保は、単に「働きやすい職場を作る」という次元の話に留まりません。企業の競争力や成長性に直結する、極めて重要な経営課題です。具体的にどのようなメリットがもたらされるのかを、詳しく見ていきましょう。
メリット1:イノベーションの創出と加速
現代のように変化が激しく、将来の予測が困難な時代において、イノベーションは企業の生命線です。組織における心理的安全性の向上は、イノベーションが生まれ、育ちやすい組織風土を形成するという点で重要です。
メンバーは「こんなアイデアは馬鹿にされるかもしれない」と躊躇することなく、多様な意見や斬新な視点を提示できます。異質なアイデアが自由に飛び交い、それらが結合することで、これまでにない画期的な解決策が生まれる可能性が高まります。また、「失敗は学びの機会である」という共通認識があるため、リスクを恐れずに挑戦する文化が醸成され、組織全体の学習スピードが加速していくのです。
メリット2:従業員エンゲージメントの向上
従業員が仕事に対して持つ熱意や貢献意欲を指す「エンゲージメント」は、生産性と密接に関連します。
心理的安全性が確保された環境では、従業員は「自分はチームの一員として尊重されている」「自分の意見や仕事が組織に貢献している」という自己有用感を強く感じることができます。この感覚が、エンゲージメントの核心的な要素です。
やらされ仕事ではなく、主体的に課題を発見し、解決しようと動く従業員が増えることで、組織全体のパフォーマンスは飛躍的に向上すると考えられます。
メリット3:優秀な人材の獲得と定着(リテンション)
人材の流動化が進む現代において、優秀な人材を惹きつけ、定着させることは最重要課題の一つです。
特に若い世代ほど、報酬や待遇といった金銭的条件だけでなく、「働きがい」や「成長できる環境」、「良好な人間関係」を重視する傾向が強いと言われます。心理的安全性の高い職場は、まさにこれらの要素を満たす場所であり、求職者にとって大きな魅力となります。また、既存の従業員にとっても、安心して能力を発揮し、成長を実感できる環境は、離職を踏みとどまらせる強力な要因となるでしょう。
メリット4:コンプライアンス遵守とリスク管理
心理的安全性の欠如は、時に深刻なコンプライアンス違反や不祥事を引き起こす温床となり得ます。現場で問題やミスを発見しても、「報告すると自分の責任を追及される」「面倒なことになる」といった恐れから、隠蔽や先送りが起こりやすくなるからです。
心理的安全性の高い組織では、「不都合な真実」であっても速やかに報告・相談できるため、問題が大きくなる前に早期に対処することが可能です。これは、ハラスメントの防止という観点からも極めて重要であり、健全な企業統治の基盤となります。
働く価値観の分析が示唆すること
これらのメリットを最大化する施策を検討する上で、従業員が「働く上で何を大切にしているか」を把握することは、非常に重要な示唆を与えます。
例えば、コトラが提供する価値観サーベイでは、従業員が「個人の裁量」を重んじる傾向があるのか、「チームでの協働」を重視するのかといった働く価値観を分析できます。もし「挑戦」や「創造性」といった価値観を持つ従業員が多い組織であれば、「挑戦」の因子を伸ばす施策、すなわち失敗を許容し、それを称賛する文化の醸成が特に効果的であると考えられます。
一方で、「安定性」や「協調性」を重視する従業員が多い場合は、まず「話しやすさ」や「助け合い」の土台を固めることが、結果として挑戦しやすい雰囲気作りに繋がるかもしれません。
このように、従業員の価値観の傾向を理解することで、より効果的なアプローチを選択できるのです。
心理的安全性は、成長し続ける組織の「OS」である
本コラムでは、心理的安全性の基本的な概念について解説してきました。心理的安全性は、単なる福利厚生や雰囲気づくりの話ではなく、企業の競争力と持続可能性を根底から支える、いわば組織の「OS(オペレーティングシステム)」のようなものです。
このOSが安定して機能して初めて、イノベーションの創出や人材育成といった様々なアプリケーション(施策)が効果的に作動します。まずは自社の「OS」の状態、すなわち心理的安全性がどのような状態にあるのかを正しく認識することから、組織変革の第一歩を始めてみてはいかがでしょうか。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。組織サーベイを用いた心理的安全性の可視化や、その結果に基づく具体的な施策のご相談は、お気軽にお問い合わせください。