なぜ日本の「人的資本経営」は進まないのか? 多くの企業が陥る3つの罠と処方箋

掛け声倒れに終わる「人的資本経営」への危機感

「人的資本経営の推進」——今や多くの企業が、中期経営計画や統合報告書でこの言葉を掲げています。しかし、その実態を詳しく見てみると、具体的な変革にまでは至らず、掛け声倒れに終わってしまっているケースが散見されるのが実情です。

欧米企業に比べて、日本の人的資本経営は周回遅れになっている、という厳しい指摘も存在します。なぜ、これほどまでに重要性が叫ばれながら、日本の人的資本経営は思うように進まないのでしょうか。本コラムでは、多くの日本企業が直面する構造的な「罠」を解き明かし、真に価値ある人的資本経営を実現するための処方箋を考察します。

日本企業が陥る「人的資本経営」の3つの罠

日本の企業組織が持つ伝統的な特徴は、かつて高度経済成長を支える強みとして機能してきましたが、現代においては、皮肉にも人的資本経営を阻む足枷となっている側面があります。

罠1:「メンバーシップ型雇用」の慣性

多くの日本企業で採用されてきたメンバーシップ型雇用は、新卒一括採用、長期雇用を前提とし、ゼネラリストを育成することに重きを置いてきました。このシステムは、従業員の高い帰属意識や安定した組織運営に寄与してきた一方で、人的資本経営の観点からはいくつかの課題を生んでいます。

  • 専門性の軽視
    ジョブローテーションを繰り返す中で、特定の分野における高度な専門性が育ちにくい傾向があります。
  • スキルのブラックボックス化
    個々の従業員がどのようなスキルを持っているかが明確に定義・評価されにくく、人材の「可視化」を困難にしています。
  • 適材適所の阻害
    「人ありき」で仕事が割り振られるため、事業戦略に基づいた最適な人材配置が後回しにされがちです。

こうした慣性が、戦略的な人材ポートフォリオの構築を阻む大きな壁となっています。

罠2:「同質性」を重視する組織文化

「空気を読む」「和を以て貴しと為す」といった価値観は、日本的組織の円滑な運営を支えてきました。しかし、この同質性を過度に重視する文化は、イノベーションの源泉となる多様な視点や意見を抑制してしまう可能性があります。

  • 心理的安全性の欠如
    異論を唱えることが躊躇される雰囲気は、従業員の率直な意見や斬新なアイデアの表出を妨げます。
  • 挑戦の萎縮
    失敗を許容しない文化は、従業員がリスクを取って新しいことに挑戦する意欲を削いでしまいます。

エンゲージメントの低い、指示待ちの従業員が増える土壌となり、人的資本の価値を最大化する上で深刻な課題と言えるでしょう。これこそが、人的資本経営を実践する上で見過ごせない点です。

罠3:「人事部門の機能不全」

本来、人的資本経営を牽引すべき人事部門が、その役割を十分に果たせていないケースも少なくありません。

  • オペレーション偏重
    日々の労務管理や給与計算といったオペレーショナルな業務に追われ、戦略的な人事企画に時間を割けていない。
  • データ活用の遅れ
    勘や経験に頼った人事判断が多く、データに基づいた客観的な分析や意思決定ができていない。
  • 経営との断絶
    経営戦略を深く理解し、それに基づいた人材戦略を立案・提案できる人材が不足している。

人事部門が経営のパートナーとして機能しなければ、人的資本経営は決して組織に根付きません。

罠から抜け出すための3つの処方箋

これらの根深い罠から抜け出し、実効性のある人的資本経営へと舵を切るためには、覚悟を持った変革が必要です。

処方箋1:ジョブ型への部分的移行と「スキルベース人事」の導入

メンバーシップ型の良さを維持しつつも、専門性が求められる領域や管理職層を中心に、職務内容と必要なスキルを明確に定義する「ジョブ型」の要素を取り入れることが有効です。

さらに一歩進め、コトラが提唱するのは「スキルベース型人事制度」の導入です。これは、従業員一人ひとりが持つスキルを可視化・評価し、それを処遇や配置、育成に連動させる考え方です。これにより、適材適所が促進され、従業員の自律的なスキルアップも期待できます。

*スキルベース型人事制度については、以下のコラムをご参照ください。

処方箋2:サーベイデータを活用した「組織文化の定量化」

エンゲージメントサーベイや組織サーベイを定期的に実施し、その結果を真摯に受け止めることから始めましょう。重要なのは、単に数値を測るだけでなく、その背景にある要因を深掘りすることです。 例えば、「心理的安全性」のスコアが低いのであれば、その原因となっているマネジメントの在り方や会議の進め方を見直す。このような地道な対話と改善のサイクルを回し続けることが、風通しの良い、挑戦を歓迎する組織文化を育みます。

処方箋3:CHROの設置と人事部門の機能強化

人事部門を、単なる管理部門から「経営戦略を実現するための実行部隊」へと変革する必要があります。そのためには、経営的視点を持つCHRO(最高人事責任者)を設置し、人事部門に明確な権限とミッションを与えることが不可欠です。 また、人事担当者自身がデータ分析や組織開発に関する専門性を高めるための投資(リスキリング)も欠かせません。データドリブンで戦略的な提言ができる「強い人事」を作ることこそが、人的資本経営成功の鍵を握ります。

伝統からの脱却と、未来に向けた変革

本コラムでは、多くの日本企業が直面する人的資本経営の課題と、その解決策について論じました。長年にわたり形成されてきた雇用慣行や組織文化を変えることは、決して容易なことではありません。しかし、この変革なくして、企業の持続的な成長は望めない時代に突入しています。

自社がどの「罠」に陥っているのかを冷静に分析し、勇気を持って処方箋を実行していくこと。それこそが、経営者に今、求められているリーダーシップではないでしょうか。

株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。スキルベース型人事制度の導入や、組織サーベイを用いた組織文化の変革について、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。

この記事を書いた人

kotora

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コトラ(人的資本チーム)

経営戦略に連動した「動的な人材ポートフォリオ」の構築から、「採用」「育成」といった人材マネジメントの実践まで、人的資本経営を一気通貫で支援しています。

コンサルタント紹介

杉江 幸一郎
ディレクター ISO30414リードコンサルタント

東京大学経済学部経営学科卒。大手メーカー、通信事業者、IT企業など上場事業会社にて経営企画、事業戦略、新規事業立ち上げ等の責任者を歴任。上場企業取締役、CISO および ISO事務局等も担当。

コトラでは、ISO30414を始めとした人的資本経営のコンサルティングに従事。ISO30414リードコンサルタント。ESG情報開示研究会、人的資本経営コンソーシアム、地方創生SDGs官民連携プラットフォーム会員。
X(旧Twitter):@Kotora_cnsl


蘇木 亮太
コンサルタント ISO30414リードコンサルタント

同志社大学法学部卒。大手教育系企業でのコンサルタント経験を経て、金融系スタートアップに入社。 組織・人事企画チームに所属し、エンゲージメント向上施策やDE&I推進、研修開発、人事制度運用等を担当。

コトラでは、有価証券報告書・統合報告書における人的資本開示、ISO30414、人事組織コンサル等に従事。ISO30414リードコンサルタント資格/日本ディープラーニング協会G検定保有者。


大西裕也
リサーチャー兼コンサルタント

神戸大学大学院経済学研究科卒。教育経済学を専攻。

コトラでは、ISO30414認証取得支援及び人的資本開示動向のリサーチ、人事データ分析・レポート作成等に従事。
DX推進パスポート(G検定、データサイエンティスト検定、ITパスポート)、一種外務員資格取得者。


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