その事業計画、実行する「人材」の顔ぶれは見えていますか?
中期経営計画を策定し、意欲的な事業目標を掲げている。市場のニーズを捉えた新サービスも構想している。しかし、その戦略を実行し、目標を達成するために「どのようなスキルや経験を持つ人材が、何人必要なのか」という問いに、明確に答えられるでしょうか。多くの経営者や人事責任者の方々が、事業戦略と人材戦略の間に存在する、この見えない溝に課題を感じているのが実情と考えられます。
この溝を埋め、戦略の実行性を飛躍的に高めるための強力な思考のフレームワークが「人材ポートフォリオ」です。しかし、「人材ポートフォリオ」という言葉は知っていても、単なる年齢や役職、所属部署ごとの人員構成をまとめたグラフ、といった静的なイメージで捉えられてはいないでしょうか。
本コラムでは、そうした静的な理解から一歩踏み込み、人材ポートフォリオが企業の未来を創造する「羅針盤」として機能するために、その本質を紐解いていきます。(最終更新:2025年10月6日)
人材ポートフォリオとは何か
まず、「人材ポートフォリオ」とは何かを明確に定義しておきましょう。人材ポートフォリオとは、企業の経営戦略や事業戦略を実現するために、人材を「質(スキル、経験、役職、ポテンシャルなど)」と「量(人員数)」の両面から可視化し、現状(As-Is)とあるべき姿(To-Be)を比較・分析することで、最適な人材配置や育成、採用計画の立案といった戦略的人事を実行するための経営ツールです。
金融の世界では、リスクとリターンのバランスを考えて株式や債券などの金融資産を組み合わせることを「ポートフォリオ」と呼びます。これと同様に、人材ポートフォリオは、従業員一人ひとりの能力や特性を客観的に把握し、事業の成長や変化に対応できる最適で持続可能な人材の集団を、戦略的に構築・管理することを目指します。
人材ポートフォリオの具体例
人材ポートフォリオは、どのような「切り口(分析軸)」で人材を分類し、可視化するかによって、見えるものや打つべき施策が変わってきます。以下に代表的な具体例を4つご紹介します。
具体例1:年齢・勤続年数による人員構成ポートフォリオ
これは最も基本的で、多くの企業が把握しているポートフォリオです。縦軸に人数、横軸に年齢階層をとった「人員ピラミッド」が代表的です。
- 見えること・分析できること
- 組織の年齢バランス
特定の年齢層に偏りがないか。 - 世代交代の課題
数年後に定年退職者が急増するなど、専門知識や技術の承継が間に合わないリスクはないか。 - 若手・中堅層の空洞化
採用を抑制した時期の影響で、将来の管理職候補となるべき中堅層が極端に少なくなっていないか。
- 組織の年齢バランス
- 活用例
- ベテラン層から若手への計画的な技術承継プログラムの立案。
- 不足している中堅層を補うための、戦略的な中途採用計画の策定。
具体例2:パフォーマンスとポテンシャルによる人材評価ポートフォリオ
これは、人材の「質」を見極め、次世代リーダーの発掘や育成計画に活用されるポートフォリオです。縦軸に「ポテンシャル(将来の成長可能性)」、横軸に「パフォーマンス(現在の業績)」を置き、人材を複数の領域に分類します。
- 見えること・分析できること
- スター人材(エース層)
パフォーマンスもポテンシャルも高い、将来の経営幹部候補。 - 中核人材(堅実層)
現在の事業を安定的に支えている、組織に不可欠な人材。 - 育成強化層
ポテンシャルは高いが、まだパフォーマンスに結びついていない若手など。
- スター人材(エース層)
- 活用例
- スター人材に対しては、早期抜擢や挑戦的な役割(タフアサインメント)を与え、成長を加速させる。
- 育成強化層には、不足しているスキルや経験を補うための研修やOJTを重点的に実施する。
- パフォーマンスが低い層に対しては、1on1を通じて原因を分析し、配置転換や役割の見直しを検討する。
具体例3:スキル・専門性によるポートフォリオ
企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進や新規事業創出において、特に重要となるポートフォリオです。
- 見えること・分析できること
- 保有スキルの棚卸し
全社で「誰が」「どのようなスキルを」「どのレベルで」持っているかを可視化する。 - 戦略的スキルの充足度
AI、データ分析など、今後の事業戦略上、不可欠となるスキルの保有者が、必要数に対してどれだけ充足/不足しているか。
- 保有スキルの棚卸し
- 活用例
- 不足しているDX人材について、「外部から採用する人数」と「社内でリスキリングによって育成する人数」を具体的に計画する。
- 特定の個人の専門性に依存している業務を特定し、組織的なナレッジ共有や後継者育成に着手する。
具体例4:サクセッションプラン(後継者計画)ポートフォリオ
経営の持続性という観点から、極めて重要なポートフォリオです。社長や役員、事業部長といった重要ポジション(キーポジション)ごとに、後継者候補がどれだけいるかを可視化します。
- 見えること・分析できること
- 後継者候補のパイプライン
「すぐに就任可能」「1〜2年後に可能」「3〜5年後に可能」といった準備段階別に、後継者候補が何名いるか。 - 後継者候補の多様性
特定の経歴を持つ人材に後継者候補が偏っていないか。
- 後継者候補のパイプライン
- 活用例
- 準備段階に合わせて、候補者一人ひとりに対する育成プラン(海外赴任、新規事業リーダーへの任命など)を策定・実行する。
- 後継者候補が不足しているポジションを特定し、外部からの採用や、早い段階からの候補者発掘に着手する。
なぜ、人材ポートフォリオは経営戦略と不可分なのか
ここまでの具体例で、人材ポートフォリオが年齢構成、スキル、ポテンシャルといった多様な切り口から、自社の人的資本の「現状」を可視化するツールであることがお分かりいただけたかと思います。
しかし、その分析が単なる「現状把握」で終わってしまっては、その価値は半減してしまいます。最も重要な問いは、「この現状の人員構成で、我が社が掲げる中期経営計画や事業戦略を、本当に実行し、達成できるのか?」という未来に向けたものです。
例えば、「5年後に海外売上比率を50%に高める」という戦略を掲げたとします。この場合、人材ポートフォリオの観点では、以下のような問いが生まれます。
- グローバルなビジネス交渉をリードできる人材は、現在何名いるか?
- 異文化を理解し、現地組織をマネジメントできるリーダー候補は育成できているか?
- 今後、どの地域で、どのような専門性を持つ人材を、何名採用または育成する必要があるか?
このように、人材ポートフォリオは抽象的な経営目標を、具体的な「人材」の要件に落とし込み、戦略の実行可能性を客観的に評価するための「翻訳機」の役割を果たします。この翻訳機能なくして、戦略が「絵に描いた餅」で終わってしまうリスクは非常に高いと言えるでしょう。
静的な管理から、動的な価値創造へ
私たちが重視するのは、一度作成して終わりではない、「動的な人材ポートフォリオ」という考え方です。市場環境や事業フェーズは絶えず変化します。それに伴い、企業に求められる人材の質・量も変化し続けます。
重要なのは、定期的に人材ポートフォリオを見直し、経営戦略との整合性を確認し続ける仕組みを構築することです。それにより、事業環境の変化に後追いで対応するのではなく、変化を先読みし、変革をリードする戦略的な人事を実現できると考えます。この動的なアプローチこそが、人材ポートフォリオを真に経営に資するツールへと昇華させる鍵となります。
未来を描くための第一歩:戦略的人材ポートフォリオ構想の視点
では、戦略的な人材ポートフォリオの構築は、どこから手をつければ良いのでしょうか。最初から完璧なものを目指す必要はありません。まずは、自社の現状を正しく認識し、未来の姿を構想するための「視点」を持つことが重要です。
視点1. 事業フェーズと求められる人材像の定義
現在、自社の主要事業はどのようなフェーズにあるでしょうか。事業フェーズによって、求められる人材の特性は異なります。例えば、以下のように分類して考えることができます。
- 創造・創業期:ゼロからイチを生み出す、チャレンジ精神旺盛な人材
- 成長期:事業を拡大し、仕組みを構築する推進力のある人材
- 成熟期:既存事業の効率化や改善を主導する、安定志向の強い人材
- 変革・再生期:新たな価値を創造し、変革を恐れないリーダーシップを持つ人材
全社一律で同じ人材を求めるのではなく、事業ごとの特性を理解し、それぞれに最適な人材ポートフォリオを構想することが、戦略の解像度を高めます。例えば、成長期の事業には事業拡大を牽引する人材の比率を高め、成熟期の事業にはオペレーション改善を推進する人材を手厚く配置する、といった戦略的な人員配置が求められます。
視点2. 人材を評価する「軸」の検討
人員構成を分析する際、年齢や勤続年数といったデモグラフィック情報だけでは不十分です。経営戦略との連動性を高めるためには、以下のような「軸」で人材を可視化することが有効と考えられます。
- スキル・専門性
単に「何のスキルを持っているか」だけでなく、その「レベル」や「将来性」まで見極めます。例えば、専門スキルをレベル1(指導のもと遂行可能)からレベル5(業界の第一人者)のように段階分けしたり、「将来性が高く、強化すべきスキル」と「陳腐化リスクがあり、学び直しが必要なスキル」に分類したりすることで、より戦略的な育成計画に繋げることができます。 - 役割・貢献度
現在の役職名だけでなく、組織内で実際に果たしている「役割」と「貢献度」を評価します。特に、売上などの直接的な業績貢献に加え、後進の指導やナレッジ共有といった、チームや組織文化への間接的な貢献も評価の対象とすることが重要です。これにより、数字には表れにくいものの、組織にとって価値の高い人材を見出すことができます。 - ポテンシャル・成長意欲
将来の可能性を評価します。その際、単なる素質としての「ポテンシャル」だけでなく、本人の「成長意欲」を重視することが実務上は極めて重要です。キャリア面談での発言、自発的な学習活動、未経験領域への挑戦意欲など、本人の主体的な意志を示す行動を捉えることで、企業が提供する成長機会との最適なマッチングが可能になります。
これらの軸を組み合わせることで、単なる人員数ではなく、「どのような能力を持った人材が、どこに、どれだけいるのか」という、人材ポートフォリオの「質」を捉えることが可能になります。
視点3. 未来を創る人材流動とサクセッションプラン
人材ポートフォリオは、分析して終わりではありません。その分析結果を基に、未来の組織を創るための「人材の動き」を設計することが、最終的な目的です。
- 戦略的な人材配置と異動
人材ポートフォリオの分析によって明らかになった強みや課題に基づき、戦略的な人材配置を実行します。例えば、現状の組織では能力を発揮しきれていないポテンシャルの高い人材を、成長事業の新たなポジションに抜擢する、といった意図的な異動は、本人と組織の双方に大きな成長をもたらす可能性があります。 - サクセッションプラン(後継者計画)への活用
特に重要なのが、経営幹部や基幹事業の責任者といった重要ポジションの後継者計画です。
人材ポートフォリオを用いて、次世代リーダー候補となる人材群を平時から特定・可視化しておくことで、計画的な育成(タフな経験の付与、経営視点を養う研修など)を早期から始めることができます。これにより、不測の事態にも対応できる、サステナブルな経営体制を構築することが可能になります。
人材ポートフォリオは、持続的成長の礎となる
本コラムでは、人材ポートフォリオの基本的な概念から、経営戦略と不可分である理由、そしてその具体的な可視化アプローチまで、「人材ポートフォリオとは何か」という本質について解説しました。ご紹介した構想の視点を用いて自社の人材を分析することは、現状を把握するための重要な第一歩です。
しかし、その分析結果も、一度作成しただけでは時間の経過とともに陳腐化し、「静的な管理」に留まってしまいます。真の価値は、これをいかに「動的」に運用し、経営の意思決定と連動させ続けるかにあります。
では、具体的にどのようにして人材ポートフォリオを構築し、定期的に見直し、生きた経営ツールとして機能させ続ければよいのでしょうか。その実践的なステップについては、以下のコラムで詳しく解説しています。
まずは本コラムでご紹介した視点を基に自社の現状を議論し、次なるステップへの準備を始めていただくことを推奨いたします。
株式会社コトラでは、人的資本経営に関する深い知見と豊富な実績で、貴社の課題解決をサポートします。人材ポートフォリオの構想や、それを支える人材データの可視化・分析について、より具体的なご相談は、お気軽にお問い合わせください。